(表表紙デザインはこんな感じです)




ねぇ、あの日そこに込めた願いを覚えてる?(受け取った想いを大切にしてくれた?)




>>二人のためのメロディ

 ・アミュレット好きをこじらせて一冊の本になりました…(笑)
 ・8篇の短編を収録したオムニバス短編になっています。
 ・サイトに一人アミュレット祭りとしてアップしている「戸惑いプレリュード」「紛失カプリッチオ」「キリエ」に加筆修正をし、
 新たに5つの話を書きおろしにしております。
 ・最初から最後までひたすらアミュレットにまつわる話になっています。
 ・時系列もS1〜S7まで入ります。しかも全部アミュレットです(しつこい)
 ・「御影は本当にアミュレットをこじらせやがった…」そんな風に指差して笑って頂ければ幸いです(笑)
 

 ・以下書き下ろし「埋葬レクイエム」から冒頭部分の抜粋です。








【収録作品/埋葬レクイエムから冒頭部分/時系列はS5とS6の間です】



埋葬レクイエム


 ひっそりとしたガレージの中。カバーをかけられて、それは静かに佇むようにそこにある。
 ディーンはあの日からそれを見ないようにしている。まるで存在しないもののように、ガレージにバーベキューの道具を取りに入る時も、壁のペンキを塗るために脚立を持ち出すときも、座る時にぐらぐらと揺れる椅子のネジを締めるためにプラスドライバーを探すときも、ディーンはそこにあるものをまるで無いものであるかのように扱っている。
それ。そこにあるもの。つまり――インパラを。
 あるけれどない。ないはずなのにそこにある。まるで部屋の隅でじっと佇む幽霊のようだ。どんな時も共にあった愛すべき車を幽霊のようだと例える事自体が全くもって自分らしくない、と思ったのは一瞬で、ディーンはそこにあるはずのないものをじっと見つめた。
 インパラを覆う銀色のボディカバーの表面は、ガレージの小さな天窓から差し込む太陽の光を受けて、魚の鱗のようなぬるりとした光沢を放っている。その中にはあの日のままの運転席、助手席、後部座席、トランクがあるのだろう。
 あの日からディーンはその中を見ていない。この家に真っ直ぐ来た後はインパラには乗っていないし、必要な着替えだけをおろした以外はカバーをかけて触れていない。
それは時間の流れから逸脱して、上から何もかもを覆ってしまう事でまるで封印してしまったようだとディーンは思う。
 見たくない。
 ディーンはその感情を自覚して、酷く苦々しいものとして認めている。見てしまえばそこにある事実を認識してしまう。見てしまった事、知ってしまった事からはどうしたって逃げられなくなる。見る事で現実を認めなくてはならない恐怖に立ち向かう事は、今のディーンにとって酷く困難な課題だった。

 ふぅ、とディーンは小さく息をついた。
 逃げを許されないというのは息が詰まる。見たくないものを見なければならないという事は、どうしてこんなにも背中に汗を滲ませるのか。それは臆病者の証拠なのだろうか。
 もしかしたら過去に立つ自分が今の自分を眺めれば、不甲斐ないと責め立てるのではないかとも思う。
 昔はこんな風ではなかった。もっと自信があったし、こんな風になるなんて事を思わずに、疲れ果てるなんて事さえ思った事も無かった。ましてやこんな風にボディカバーを見下ろす日が来るなどと。
 見たくないものから目を逸らし喚いて叫んで、どうして分かってくれないのだと叫ぶ事は簡単だった。自分が正しく、相手が間違っているという主張は、裏側に自分への自信があったから、行動に苦痛は無かった。
 信条と少しの怒りで声は出せる。しかし今やそんな記憶は昨日の事のように思い出せるのに、遠い世界のように霞みがかってぼんやりとしている。今やあの日に叫んだ言葉が正しかったのか、あの怒りは正確か、分からなくなってしまった。
 正しいのか分からない事を見つめ、足を踏み出すことは恐ろしい。とても。

 ディーンは肋骨の下で踊る心臓を叱咤して、ボディカバーを持ち上げた。
 濡れたように光る布は思ったよりも軽やかに持ちあがる。その下から見えたのは黒光りする車体だ。太陽と埃と雨を避けて保管されていたボディは、心なしかほんの少しくすんでいるようにも見えた。
 久しぶりに取り出したキーを差し込んで、トランクを開ける。
ぶわりと鼻腔を刺激する匂いは酷く馴染んだものだ。
 インパラのトランクそのものの匂いに加えて、銃のオイルの匂い、乾燥した木の匂い、呪い袋の残り香、それらが複雑に交じり合ったハンターの道具箱の匂いだ。
 その匂いに思わず一瞬ディーンは後ろへ身を引きそうになったが、かろうじて堪えた。
 ディーンが探しているものは聖水を作るための十字架だった。
 本当はそんなものは要らない生活をしているのだろうと何処かでは分かっている。でもそれは理屈では無いのだ。
 ディーンは怖い。闇のものがいないはずの生活が。
 何も起こらない生活というのは必然的に何かが起こると言う可能性を内在している。白から黒に塗りつぶされた時の途方もない恐怖と喪失感をディーンは母が死んだあの晩を契機にして何度か経験している。
 だからこそより恐ろしいのだ。ベッドの下に聖水を作っておいて忍ばせておかずにはいられない程度には。
 これは保険だ。何も起こらないと知っていると信じるために、何かあったときのための準備をしておくのだ。今を安心して生きるために。

 ディーンは十字架を取り出すと、他にも取り出す予定の無かったいくつかの魔除け達も取り出して、ジャケットのポケットに突っ込んだ。そして他の用は無いとばかりに直ぐにトランクを閉めようと両手を掛けて、ふと、リヤガラスから見える後部座席が目についた。
 確かあの中にも幾つかの魔除け袋を入れていたような気がする。ディーンは家の間取りと部屋数をざっと思い浮かべ、それらを取り出しておいて損はないだろうと考えた。
 だがトランクを閉めて、後部座席に乗り込んで初めて、ディーンは激しくその行動を後悔した。

 車内にはあの日を最後として、今は居ない存在の気配の残り香があちこちに散らばっていたからだ。

 あの日から時が止まったかのように、静かに沈黙した気配の中にディーンの胸を突くあらゆるものが詰まっていた。
 気を抜けばいつも汚れていく男二人が使っていた車内だ。後部座席の下には小さなチラシが落ちている。これは何時かの夜、チェーン展開をしているダイナーのレジで無愛想な女が差し出してきたキャンペーンのチラシだ。
 シートの上にはスナックの空袋。小腹が空いた時に二人でたまにつまんでいたものだ。流石にこれは放置しておくとマズイだろうと、ディーンは手早く落ちていた空き袋に詰め込む。
 そして中身の無い水のペットボトル。痛み止めだとか薬をこれで飲んだ。最後に使ったのは頭痛のための鎮静剤を飲んだ時だ。 
 汚れたジャケットは隅によける、狩りの時に使った資料もゴミ袋に詰める。そして。

 そして鞄。もちろんディーンのものではない。

 ディーンは一瞬躊躇った。指先が空気を掴んだが、ディーンは迷った後に意を決してその鞄を開けた。
 中にはパソコン。携帯電話、財布、幾つかの服が無造作に詰め込まれてあった。無造作――確かに無造作ではあったが、コンパクトに押し込まれたそれは次に使う事を想定しているわけではなく、あくまでまとめる事だけを考えていたのだと分かる詰め方だった。
 この荷物をどうしろという言葉は無かった。ただディーンが向かうべき場所を言い残しただけで、自分自身の事をそういえば一言も言っていなかったな、とディーンは思い出す。処分するつもりだったのだろうか。ディーンには分からない。いや、もしかしたら自分でどうにかするつもりが、慌ただしくしていたせいでそんなことをする暇が無かったのかもしれない。
 耳の後ろが痛い、とディーンは思った。
 心臓がけたたましく鳴っている音が耳裏に響いているせいだろうか。けれどその音もまるで別の誰かが感じているように現実味が酷く薄い。
 閉じてしまいたい。この鞄のチャックを締め直して、どこかに隠しこんでしまいたい。そう思うのにディーンの腕は探る手を止められない。全部燃やしてしまいたい衝動と、この鞄の中身を暴いて、今は居ない存在の欠片を残さず取り込んでしまいたい衝動の狭間でどうにかなってしまいそうだった。
 少しでも身近に感じたい。まだ感じていたいのだ。そうしなければ人間は失った人間との間に広がる果てしなく遠い物理的距離に気が狂ってしまうだろう。
 俺は一体何をしているのだろう。この行動になんの意味があるのだろう。ディーンは自問自答する。
 これは敬意を表して偲ぶ弔いのようで、遺品整理のような事務的な作業のようでもあって、記憶を身近に引き寄せるための自慰のようなものだ。少し息苦しい。
 弔い、遺品整理。
 自分で思った言葉に傷つく。これは遺品整理では無い。弔いでもない。死体は無いじゃないか。死んでなんてない。そうやって咄嗟に否定するが、否定した所でこの行動に別の意味を見出すことは出来ない。現に今ここにアイツはいない。
 カバンの中には色んなものが詰まっていたけれど、私物が圧倒的に少ないのも事実だった。生きていくために必要な、狩りのために必要なものだけだ。整理など必要ない。結局全部アイツがそれをしてしまっていたのだから。
 カバンの底を静かにさらう。欠片を求めて手を動かすと、今までと違う感覚が指先に当たった。何だろうと指先で手繰り寄せ、掴んで引き寄せて、目の前に掲げた。
 キラリと何かが光る。カシャンと留め具が微かな音を立てた。

 アミュレットだった。



【本文に続く】