(表表紙デザインはこんな感じです)



ミネソタ州、またの名をアメリカの冷蔵庫――その場所は五月でも稀に雪が降るという。
旧知のハンターの求めに応じてその場所に滞在していたディーンとサムは偶然にも一人の男の死に立ち会う。
過去などない。過去とは記憶である。そう叫んで自らの頭を拳銃で撃ちぬき、死んだ男の言葉。

「皆、気が付いていないのか…」

それは二人が手に入れられたかもしれない別の過去。欲しいのは別の過去。
正しい兄弟、対等な関係、夢を叶えた二人、運命に縛られない生き方。

“ああ、幸せだ、とても”

そうだ―――この世界はほんの5分前に成立したのだ。
そして、その異常さに誰も気が付かない。




>>5分前

 ・シリアス長編1作
 ・夏発行ですが本の二人は「寒い!」と連呼しています。涼しいお部屋でお読みください(笑)
 ・事件モノになりますが、血なまぐさい描写はほとんどありません。
 ・特に時系列等を想定してませんが、二人の関係は念頭にS6をおいてます。
 

 ・以下本編からの抜粋です。





【導入部分から一部抜粋】

 ほう、と吐いた息は真っ白になって静かに色付いた。すっきりと晴れずに白みがかった空を見上げて、無意識にサムは手を擦り合わせている自分に気がついた。
「雪が降るかもな」
 気がつけば、いつの間にか隣に立っていたディーンもサムと同じく空を見上げている。
「ああ、そうかもね」
 白い空は今にもそこから雪が落ちてきてもおかしくないほど重たい気がした。無精して今日は天気予報を確認していないが、この街を経つ前に気温だけでも確認しておいた方がいいかもしれない。道中で雪でも降ろうものならそれなりの装備がインパラに必要となる。
「ミネソタを甘く見るととんでもない目に合うぞ」
 不意に届いた声にサムとディーンは揃って後ろを振り向いた。
「流石アメリカの冷蔵庫。五月でこんなに寒いとは思わなかった。三日居ても慣れなくてまいった」
 ディーンの唇から言葉が吐き出されるタイミングに合わせて白い息がちらほらと零れる。本当にここは寒い。
「お前さん達は薄着なんだ。暫くはまだかなり冷えるらしい。もしかしたら雪が降るかもしれんな」
 二人の目の前に居るのは初老を迎えた男だ。いかにも暖かそうなダウンジャケットを着こんでいる姿に対して帽子を被っていない白髪頭のギャップが寒々しく見える。
「ブライアンはここに来て五年だっけ?五回もここの冬を越したんだと思うと尊敬するよ」
 そうサムが言うと、ブライアンと呼ばれた男は少し笑って頭を掻いた。
 優男と呼ぶにふさわしい立ち姿をした男は眼鏡を掛けている姿からも学者風情という表現がぴったりで、ハンターという風貌からほど遠いものだ。だが彼は紛れもなくハンターで、二人の知り合いでもある。
「また何かあったら連絡してくれ。恩を売りにくるから」
 ディーンが茶化すように言うと、ブライアンは小さく笑う。彼の吐息が白く滲んで、ミネソタ州のダルースという都市がいかに寒いかということをサムは改めて意識した。
「言うようになったな。二人ともあんなに小さかったのに」
「何時までも子供じゃないよ」
 二人がこの街にきたのは、このブライアンの求めに応じたものだ。
 厄介な霊がいる。しかし自分ではいささか心許ないから手を貸してくれないか――ボビー経由で届いた連絡はそういうものだった。偶然にもアイオワ州に滞在していた二人はその日の内にミネソタに入った。
 霊はハンターが三人揃ったことで二日間で片がついた。
 ただ二人が閉口したのは寒さだ。五月だというのに、州の北東に位置するこの都市は半端無く寒い。流石アメリカの冷蔵庫と呼ばれるだけのことはある。
「もう街を経つのか?」
「いや、急ぐ用事もないし、夜は冷えそうだから明日経つよ」
 サムが助手席のドアを開けながらブライアンに答える。ディーンは既に運転席に乗り込んでヒーターをつけるためにインパラのエンジンをかけている。
「その方がいい。…この街は冷える」
 ブライアンが空を見上げる。白く重い空を。
 その空は遠くの夕日を背に受け吸収し、やけに白く、寒々しく見えた。


 バーの喧噪は嫌いではない。
 サムはヴァン・ショーを口に含みながら周囲をぐるりと見回した。落ち着いた雰囲気の店だ。耳に邪魔にならない程度にジャズが流されていて、オレンジの明かりが程良く視界から鮮やかさを奪い、外の冷え込みを一瞬でも忘れさせてくれる。何より客層も落ち着いていて騒がしくない所がいい。
 サムは手の中の湯気の立つグラスを両手で包む。手はじんわりと暖かいし、コアントローが程良く加えられた暖かいワインは冷えきった体を内部から温める。冬にはうってつけの飲み物だ。兄は女みたいなもん飲みやがって、という失礼な暴言を吐いていたが。氷がじゃらじゃらと入ったウイスキーグラスを傾けていたディーンの方がどうかしているとサムは思う。
 サムはこういう時間が殊更好きだ。素面でもなく、酔っているのとも微妙に違う、酔いはじめの独特な周囲からの浮遊感。少しだけ離人感にも通じた感覚は、考えなければならない何もかもを少しだけ、ほんの少しだけ忘れさせてくれる。
「随分静かなバーだな。活気が死んでるぞ」
 しかしサムを現実に呼び戻したのは兄の声だった。
 声の方を見ると氷だけになったグラスを持った兄が不機嫌そうな顔をして立っていた。どうやら美しい女性と会話したいという兄の思惑は失敗したらしい。
 ディーンはどっかりとカウンターのサムの隣に座ると、プレッツェルをポリと軽快な音と共に前歯で折った。
「次は暖かいとこ行こうぜ。南だ南。南下するぞ。この寒さはこたえる」
「南、か…。うん、まぁいいけど」
 南に行くのなら闇雲に向かわず、どの州に行くのか最低限決めておいた方がいいだろう。気になる事件は既にいくつか新聞とネットから拾い上げている。その中で南の州のものはあっただろうか。サムがそんな事を考えていると、この場にはそぐわない些か野暮な音が響いた。乱暴にドアを開く音だ。
「この世界はおかしい…!」
 サムとディーンだけでなく、バーにいた人間もその音の方を見た。
 男が顔面を蒼白にして立っていた。しかもドアを開けっ放しにしているせいで外気が忍び込んできて寒い。
「なんだ、あれ」
「さぁ」
 ディーンの言葉にサムも首を捻る。
「おかしいのは俺か?いや、そうじゃないはずだ!おかしいのは世界だ、総意の記憶だ。改変された記憶が虚構の過去をつくってる。おかしいのは記憶だ。そしてそこからしか生成されない過去だ。みんな気がついてない!」
 男が何を喚いているのかさっぱり意味が分からない。サムはディーンと視線を合わせて、互いに首を捻った。
「頼む、俺を、俺を…元の世界に戻してくれ!此処は本物じゃない!」
 バーの中は既に奇妙な訪問者のせいで随分とおかしな空気になっていた。自分たちは奇妙な事――むしろ常識から外れた事に慣れているが、ほかの一般の客は興が冷めてしまうだろう。
「お客様、すいませんが他のお客様の迷惑になりますので、お引き取り願えますか」
 カウンターのバーテンダーが困ったように男に退出を願う。男は瞳孔の開いた目をバーテンに向け、そして白けた空気が漂う店内を呆然と、まるで裏切られたかのように見渡し、そして最後に兄弟もしっかりとその視界に納めた。
「皆、気が付いていないのか…」
 そして男は呆然とした様子で、手をジャケットの中に突っ込んだ。
「おい…!」
 最初に異変に気がついたのはディーンだった。そしてそのすぐ後にサムも気がつき、二人は同時に腰をあげた。
 男が懐から取り出したのは、黒光りする鉄の銃器だ。女性にも扱える小型のそれは引き金を引けば簡単に命を奪える凶器になる。
 店内から悲鳴があがる。
 しかし男はその銃を他の誰にも向けはしなかった。突っ込んだのは口だ。男自身の。
「おい、やめろ!」
 二人は同時に駆けだしたが、それが徒労に終わるであろうということにも何処かで気がついていた。男と二人の間には距離がありすぎた。
 パン。
 滑稽なまでに乾いた音の後に、べしゃりという不快な音。壁には真っ赤な色が張り付いて彩りを添える。
 そして一瞬の静寂の後。生々しい死の瞬間に立ち会った者達の悲鳴が店内に満ちるまでそう時間はかからなかった。



                    
***冒頭部分より抜粋***