(表表紙デザインはこんな感じです)




世界は貴方中心(軸を喪えば世界は反転する)




>>ある箱庭の中のなんてことはないある恋の話

 ・今まで発行した合同誌、アンソロでの作品をまとめた再録集になります。
 ・5作品収録しています。収録作品については以下をご参照ください。
 ・昔のものについては加筆修正をしておりますが、オチ等については大きな変化はありません。
 ・びっくりするほど死にネタや特殊設定が多いです。再録作業中に白目剥きました。
 

【収録作品】
@愚者の恋(R18)
 合同誌『asthma』より。加筆修正あり。アニメツンサムが可愛いというテーマからエロに着地したお話です。アレッ?
A死神の恋
 合同誌『アウトランドスの恋』より。加筆修正あり。病弱サムがテーマの本で、サムが入院しているお話。
→些末な顛末(書下ろし)
 死神の恋で当時P数などの関係で書けなかった設定を全て詰め込んで書いた補足です。
Bお菓子の箱庭
 合同誌『ユートピアディストピア』より。こちらはジェンサムになるのでお気を付けください。誤字等を修正しております。
Cある1月のなんてことはないある恋の話
 合同誌『パニックホラームービーに兄弟が巻き込まれたら生き残るはずがない』より。
 パニックホラームービー(ゾンビネタ)に兄弟を入れて、サムが死んだらディーンももれなく死ぬよね、というお話です(わー)
 誤字等のみ修正しております。
D箱の中
 アンソロジーから。サム死にネタ本からのお話です。特に修正はありません。









【収録作品からそれぞれ冒頭から】



【@愚者の恋より冒頭部分】


 どうしようもないな、と思う。

 思い浮かぶのは不毛だとか生産性がないだとか、そういう後ろ向きな単語ばかり。サムはそんな言葉達を取り留めもなく脳内で反芻してみる。ああ、哀しいかな、そんな言葉達は道に面して全面ガラス張りになっている某大手コーヒーチェーンの和やかな空気にはまるで似合わないものだ。
 まるで太陽の柔らかな光を引き寄せているかのように、店の中には光が満ち溢れている。穏やかに流れるのは曲名こそ思い出せないものの、クラシカルな曲調にアレンジされた一昔前に流行った曲。鼻腔をくすぐるのは深煎りされたコーヒー豆の香ばしい香り。店内のざわめきは緩やかに耳に馴染む。心地のいい空間だ。
 そんな心地よい場所に身を置きながらも、サムの唇から口をついて出たのは小さなため息だ。思考に至っては他人に覗かれては生きていけそうにない。
「何だ、景気の悪い顔して」
「…別に」
 サムは目の前の座席にいきなり座り、あまつさえ慣れ慣れしく話しかけてきた相手に視線を遣らずに答えた。確認せずとも誰だか分かるからだ。
 サムはその相手――ディーンを見ずに、彼がテーブルの上に置いた紙だけを見る。死亡証明書だ。
 ざっと中身を確認しながら、サムがコトと置いたグランデのカップの中にはまだ少しキャラメルラテが残っている。ディーンがそのカップの中身がキャラメルラテだと知るや、からかいの言葉を投げ込んできたが、サムは無視を決め込んだ。男がキャラメルラテを飲んで何が悪い。
 胃の居心地が悪い。どうやらサムの胃はラテのベース豆がお気に召さなかったらしい。ざわざわと胃がざわめき、喉にまでせり上がってくる不快感にサムは少し眉を寄せた。気分が悪い。ならば胃薬か吐き気止めか、否、馬鹿馬鹿しい、これくらいで。
 そこでやっとサムはため息交じりにディーンを見た。
 ディーンは買ったばかりのショートサイズのコーヒーを一口飲み、サムが調べていた資料の束に視線を遣りながら口を開く。
「で、お前の方の収穫は?」
「かなり匂う」
 答えたサムはPCをくるりと反転させて、ディーンの方に向けた。画面に表示されているのはウェブブラウザで、ページにはとあるモーテルが表示されている。今回の事件の現場であり、狩りの舞台だ。
 が役所に行って、今回の狩りの標的が『人間であった頃』の情報を調べている間、サムはこのカフェの小さな丸テーブルのスペースを陣取って、ひたすらにPCと向き合って調べものをしていた。変わりばえのしない、いつもの光景である。
 結果、腕のいいウインチェスター兄弟の評判の通り、調べから得た収穫はそれなりのもので、加えてディーンが手に入れてきた死亡証明書で二人の推測が事実だと証明されたに近い。

「じゃあ行ってみるしかないか」
 ふー、と細い息を吐きながらディーンが空になったカップの端をガシガシと噛みながら呟く。その背は椅子の背もたれに体重を預けるようにして反り返り、視線は天井を憂い気に見つめている。
「それには賛成するけど。……どうやって」
 サムが出来うる限りの最大限に嫌そうな表情を顔面に張り付けて問う。
「どうやって、ってお前、そりゃインパラに決まってるだろ」
「殴るぞ」
 冷たい一瞥と共にサムが睨むと、ディーンは小さく肩をすくめてみせる。その芝居かかった動作もサムにしてみれば苛立ちを増幅させるだけのものだ。
「簡単だ。ゲイのカップ、…いってぇな!」
 サムがテーブルの下の足をおもいっきり踏んづけてみせるとディーンが大げさな声をあげる。叫ぶほどの痛さじゃないだろ、とサムは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「ここが何処か場所を考えろ、場所を。あらぬ誤解を受けたらどうしてくれるんだ」
「いいじゃねぇか、聞こえるもんでもなし。そもそもヤってる事はヤって…」
「今、僕が考えうる限りのディーンの口を閉じさせる方法を一から十まで披露してもいいんだけど」
「分かった分かった。黙ればいいんだろ。何イライラしてんだ、女かよ」





【A死神の恋より冒頭部分】

 天使かと思った。
 その青年は彼を見て、そう言った。

 青年と彼が出会ったのは暑い時期も終わりの頃、たった数十平方メートルの狭い世界。白い壁に囲まれた病室の中。
 蝋燭を燃やすために、酸素を奪い奪われる残酷な神の箱庭の中だった。


◇◆◇


『……お前は目が悪いのか』
『いや、普通天井にふわふわ浮いてる人を見たら、そう思っても可笑しくないと思うけど』
 出会うなり、彼を天使と呼んでみせた青年の名を、サミュエル・ウィンチェスター。サム、と云う。

 彼が分かるのは青年のその名前。そして青年が今まで送ってきた人生の内容、彼が青年について知る事はその二つだけだ。だが、それだけで十分だった。名前と人生の記録だけが人間を語る。そしてたったその二点だけで語り尽くせて仕舞う矮小な存在。それが人間という存在だった。
『で、どうして浮いてるの?』
『驚かないんだな、お前』
 青年はベットの上から、ふわふわと浮いている彼を見て、驚きもせず、怯えもせず、静かにそう聴いた。
 なるほど、多くの修羅場を潜って来ただけあって、この青年は多少の事では驚かないらしい。
 彼は青年の人生全てを知り尽くしていた。生まれ落ちた瞬間から、彼と青年が出会った今この時まで、全てだ。
驚く事に、彼は青年の人生をまるで記録されたフィルム映像を見るかのように、簡単に窺い知ることが出来た。特別な術は必要ない。その人間の人生を見たい、と思えば映像は彼の頭の中に勝手に流れ込んでくる。
 何故なら。
 彼は死神だったからだ。
 何処からやって来ただとか、今までどう過ごして来ただとか、これからどう過ごすだとか、そういう事は全て彼にとっては何の意味もない。
 過去も未来という言葉も有限の時の流れの中でこそ意味を持つ。時間という概念は、今を主軸に相対的な指標で指し示すだけの便利なものさしでしかない。云わば道具だ。
故に永久を生き、記憶に価値を見出さない彼にとっては過去も未来も意味は無かった。そもそもそんな概念が無いのだ。
 よって、彼は今までどうしてきたかを記憶していない。未来にどう過ごすかという事も考えることは無い。彼には今しか無く、死んだ今は過去になり、彼の中では無いものと同じなのだ。当然生まれていない未来も無いものと同じなのである。意味がない事に機能を割くのは正しく無意味でしかない。意味のない行為をする事こそ、最も非生産的な行為であり、エネルギーの浪費だからだ。
 だから死神に余計なものを記憶する機能は備わっていない。少なくとも彼にはそういう機能は備わっていなかった。だから彼は今までどんな魂を狩ってきたのかも記憶に無い。
 彼が持つ機能は、死期が近い人間の魂が余計なものに掻っ攫われないように見守り、肉体から離れた魂を速やかに回収する事だけだった。
 そして彼が出来る事と言えば、人間の魂を狩るに必要なもの――例えば、人間の名を知る事であったり、その人生を知る事――そんな程度の事でしかなかった。


 それでも青年は今でも出会いの時の事を思い出すたびに楽しそうに笑ってこう続ける。
「天使かと思ったんだよ、本当に」
「これの何処か天使に見えるんだ」
 死神である彼は革ジャンを着ていた。何故か革ジャンとジーンズという軽い出で立ちだった。
 死神がどういう恰好で在るべきかを彼は考えた事など無かった。だが、少なくとも彼の格好は人間が抱いているイメージ上の死神らしさも無ければ、ましてや天使とは似ても似つかない恰好だろうと言うことくらい、彼には分かっていた。
「確かに君は死神らしくないけどね。でも天使も天使らしくない姿をしてるよ。会った事がある」
 そう少し笑いながら常人では俄かに信じられない事を云う青年は決して頭がおかしいわけではなかった。





【Bお菓子の箱庭より冒頭部分】

 やさしいものは、こわいもの。
 とろとろと溶けだしそうな輪郭の中、サムは小さくその言葉を口の中に出してみた。
 やさしいものは、こわいもの。
 しかしその言葉を音にしてころりと吐き出さずに、口の中でころころと転がしてみる。ゆっくり。そおっと。慎重に。まるで上等の蜂蜜が熟成されてゆっくりゆっくり大切に粒にされたような飴を舐めるような感覚で。丸めた舌の上で転がすように大切に。それはとっても優しくて柔らかで甘い。けれど焦って舌で擦り合わせ続けてしまえば甘さで喉が焼けてしまうだろう。この飴は眠くて眠くて仕方のない状態で口に含んで、うとうととしてしまう程度が丁度いい。舐める事を忘れて、ふと意識を戻した時に頬の内側がふやけて甘みに驚くくらいが恐ろしくない。何でも恐ろしくないものがいい。こわいものはどうあったってやっぱり怖い。

 だって、やさしいものは、こわいものだから。

◇◇◇

 何の因果が、また『こっち』の世界に来てしまった時、サムは一体これを果たしてどうすればいいのかと考えた。
 サムは手元に雑誌を一冊持っていて、それは実はサムの本来の仕事とは全く関係のない――全米の本屋やマーケット、オフィス街のテナントに入っている病院の待合室、少しお高くとまった喫茶店――そういった所にある、一か月に二回発行される大衆向けの経済誌だった。とりあえずこの手に持っている雑誌を何処かに置きたいなぁ、これをどうすればいいのなかぁ、という酷く呑気な事をサムは見知らぬ場所に放り込まれた自分を俯瞰で認識しつつ、ぼんやりと考えていた。
 さて、自らの身に起こったこの奇妙な現象に実に合理的で、尚且つ正しい説明を自らに求めなければいけない。サムはとりあえず手に持っていた雑誌を閉じて、目の前の白い机の上に置いた。そうして一つ息を吐いて周囲を見回し、携帯電話を確認してみる。圏外の表示はサムの携帯を通話可能圏内にしてはくれなかった。
 こういう状況にサムは不本意ながらも少々慣れている。突然周囲の景色が変わり、見知らぬ場所に居る。そういう事は過去、何度かあった。例えば殴られて気が付いた時には手足を縛られて椅子に縛り付けられていたこともあったし、見知らぬ倉庫の中にいたこともあったし、過去に居たことも、果てはパラレルワールドに行ったこともあった。そしてそれらの現象の後には大抵碌でもない展開がサムをすっぽり覆ってもぐもぐと食べている。実に美味しそうにサムを頭の先から齧ってしまう。しかし何故か何時も最後の最後の所で幸運がサムの片手をぎゅっと掴んでくれるので、サムは足の先までは食べられた事は無い。かろうじてつま先までパクっと飲み込まれてしまう前に、その足で地面をぎゅっと踏みしめて踏ん張って上体を捻って、何とか食べられることだけは回避してきた。そいつは何時も満腹になる前にサムを取り逃がしてしまうのだった。
 さて、今回はどうだろうか。どこまで食べられてしまっているのだろうか。
 サムはまず冷静さを取り戻すために、ふぅふぅと呼吸に意識を向けてきっちり深呼吸を二回繰り返した。何度もこういう場面に接していて自分が冷静であると思っていても、案外思いもよらない所で動揺しているものだ。無意識にでも焦ってしまわないようにサムなりの対策を打った後、瞳を開けてくるりと周囲を見回した。
 まずディーンはいなかった。それはこの雑誌を読んでいる所が見つかると嫌だからだと、一人でベンチで座っていた所で記憶が断絶しているからだ。これがもしも例えばモーテルでディーンと一緒に調べ物をしている時であったなら、二人一緒にこの不思議な状況に投げ込まれていたのだろうか、という憶測をとろとろと流しながら周囲を見る。
 ああ、一体全体、ここは何処なのだろうか。

◇◇◇

 結果的に合理的な疑問を挟むことなく、現在の状況について、事実と推測に基づく正確な分析にサムは成功した。だが、それとサムが元の世界に戻る話はワンセットではあるが、要求される問題解決までのプロセスと期待される行動は実の所、全くの別問題であった。
 この世界に放り込まれた事を理解するために必要な知識と経験と、元に戻るために必要な知識と経験は全く別の話で、連立不等式のように代入で求められるものではない。変数が多すぎて、三つの式からは四つの変数を確定させる事が不可能であることと同様で、サム一人では求められないものがどうしても多かった。
 そうしてサムはもう二十三日間と八時間、加えておおよそ三十八分間。この世界に留まったままだった。



【Cある1月のなんてことはないある日の話】

 ガリ、ガリ、ガリ、とステンレスの輝きを放つドアの向こうから、弱弱しくも、確かに何かが引っ掻く音が聞こえてきている。
 奇妙な音だ。ゆっくりとした音だ。散発的に続きはするが、けれども一向に終わる気配の見えない音だ。
 周囲を確認しながら進んでいた七人はその音にはっと表情を硬くして、第二ミーティングルーム――関係者以外立ち入り禁止――のプレートが掲げてあるドアを見つめた。その上には今は非常用出口のランプが赤と緑のまだら模様のまま不気味な光を放っている。ガリリ、ガリリ。全員が足を止めた事で音はなお一層不気味に響き渡る。ガリリ。ガリリ。
 少女が酷く不安そうな視線をドアに張り付けたまま、傍らに立つ女の制服の袖を怯えたように握りしめた。女はそんな少女を見下ろすと、小さな肩に優しく手を添えて「ミア、あのドアさえ開けなければ大丈夫よ」と微笑むと、少女――ミアはほんの少しだけ緊張を和らげた。女はそんなミアから顔を上げ、残りの五人を見つめて頷いた。
 女は保安官の制服を纏い、ネームプレートにはマーシャルと言う名前が見て取れる。毛先が少しカールかかったブロンドの髪をアップに纏め、ブラウンの瞳の中には緊急事態に置かれている状況でも理性的で聡明な光が灯っていた。腰のホルスターには黒光りしている支給品の銃が見えている。
「よし、こっちだ。行くぞ」
 そんなミアとマーシャルのやりとりを見ていた五人の男の中の一人が全員を見回して先を促し、皆がそれに従って歩き出す。
 皆を促し、先頭を行く男は四十代後半といった風貌で、ラフなシャツとジーンズに身を固めているが、シャツの外された一番上のボタンから覗く胸板や、腕まくりされた場所から覗く腕の太さが、その男の屈強さを明らかに物語っている。片手にはアサルトライフルが握られ、名前をマラマッドと名乗っている。
 男――マラマッドの後ろに、マーシャルがミアの手を引きながら歩き、その後ろには怯えた様子で女性でも扱えるような小型の銃を握りしめている学生風の青年と、スーツを着込んだ潔癖そうな男が腰に差した銃をしきりに触りながら歩き、しんがりをシャツとジーンズ、そしてジャケットを着た二人の若い男達――二人の内の一人は造形が酷く整った顔を持つ短髪の男で、もう一人は随分と背が高いが柔和な雰囲気を持っている男だ――がそれぞれに慣れた様子で銃を持ち、周囲をくまなく確認しながら歩いている。
 送電線がやられてしまい、非常電源で最低限の明かりはついているとは言え、七人が歩いている地上五十メートル十三階のフロアは酷く薄暗い。
 こつ、こつ、かつん、と綺麗にモップの掛けられているであろう床は人数分の足音を鈍く木霊させていて、音自体がまるで生き物のようだ。バラバラの歩幅とバラバラの速度で靴音が重なり合い、ずれ、乱れる。靴音だけに集中していると、いつの間にか逃げねばならぬ存在が立てる音を霞めさせてしまいそうな気がして、七人の間に妙な恐怖感が薄く漂っている。
 靴音以外の音は遠くで聞こえる警報音、狂ったように避難してください、検疫を受けてください、と言うくぐもった機械で作られた女の声。それらが他のフロアから聞こえてくるのみだ。しかしそれらに耳は疾うに慣れてしまっている。
 しかし突如、バァン、という今までにない音が響いた。ぎょっと全員が目を剥いて音の方向を探る。
 後方からひたひたというこの状況に合わない音と、微かなうめき声、何かが蠢き、胸の底をざわめかせるような不穏な気配が満ちてくる。全員の間に霞んでいた緊張感が膨れ上がり、破裂せんばかりになっていく。
「…来るぞ」
 そう呟いたのはしんがりをつとめていた男の内の短髪の男だ。彼はさほど明るくない中でもよく目立つ銀色と白色で装飾を施されている銃の安全装置を手慣れた様子で外し、じっと通路の奥のほの暗い方を見つめながら銃を構える。
「マーシャル、ミアを安全な所へ!」
 そう叫んだのはしんがりをつとめていたもう一人の男だ。振り返った瞬間に色素の薄い長めの前髪が静かに揺れる。少女の安全を保安官に頼むと、彼は腰に差していた銃を素早く抜き、マラマッドに素早く目配せをした。
「ここは三人で食い止める!皆は先のドアの中に隠れろ!」
 マラッドの言葉に、マーシャルとミアに続いて学生風の男とサラリーマンの男も慌てたようにすぐ傍の研究室1と書かれた小さな部屋に駆け込む。
 ドアを慌てた様子で締めた音と、銃口から火花が吹いた音が響いたのはほぼ同時だった。
 一番反応の早かった短髪の男が物陰から現れた影に躊躇なく発砲し、隣の男もほぼ同時に銃を放つ。重めの銃声とビチャリという濡れた音と共に質量を伴った何かが地面に沈む音が二つ響く。
 暗がりから倒れた二つのモノは人の形をしていた。だがそれを人として定義するにはおおよそ難しいものだった。
 血塗れの体。しかし皮膚は健康な色からは程遠く、抉られた肉と血のまだらな模様を縫うようにドス黒い痣の色が沈み込んでいる。眼球はごっそりと窪み落ち、頭を撃ち抜かれた身体は未だにビクビクと痙攣を続けている。
 続けざまに銃声が響く。二人の男が後から絶え間なく次々とやってくるモノ達を撃ち続ける音だ。しかし二人の銃弾が貫くモノは圧倒的に数が多かった。倒れたモノの上から新しいモノがのしかかるようにやってくる。肩や足に銃弾を撃ち込む程度では衝撃でゆらりと体をよろめかせるだけで、そのモノ達は苦痛に顔を歪ませるわけでも、倒れるわけでもなく、のろりのろりと進んでくる。床に伏してピクリとも動かないモノは、全て頭を撃ち抜かれたモノだけだ。
「次から次へと湧いてくるじゃねーか!」
「数が多すぎる!」
 二人の男が銃を撃ちながらも、迫ってくるモノ達にじわじわとおされ、一歩後退する。
「よし…少しどいていろ」
 マラマッドの一言と共に、並んで立っていた二人の間からライフルだけがぬっと前に出る。慌てて二人が横に移動したその瞬間にパパパパパという酷く軽い音が転がり、頭を撃ち抜かれたモノ達がバタバタと一気に床に倒れていった。
 二人の男は驚いたようにマラマッドを見て、目をぱちぱちと二回しばたたかせたが、はっと我に返り、残り数体だけになったソレらの脳天に懐から取り出したナイフを、鮮やかな手つきで差し込んでいった。
 それは数分にも満たない間に終わった。全てのモノを床に沈み込ませると、三人の男はふぅと息をついた。短髪の男がマラマッドを横目で睨む。
「最初からそのライフル使ったらいいんじゃねーか」
「ライフルでは無駄弾が多くなる」
「言ってみただけだよ。固いなアンタ」
 短髪の男はナイフにこびり付いた臓物を壁にこすりつけながらマラマッドに軽口を飛ばす。長身の男はそんな二人を横目で見ながらも、異常がないか静かに周囲を見回しながら、頬についた返り血を袖でぬぐっている。
「もう異常はないようだ」
 あの四人を呼ぼう。そんな風に男が言いかけた瞬間だった。
「きゃあああ!」
 突然響いた悲鳴に三人ははっと研究室1のドアの方を向いた。幼い甲高い悲鳴は確かにミアのものだ。
 マラマッドが先陣をきってドアに体当たりをし、中を蹴破る。
 部屋の中は使わない機材や道具を入れておく倉庫になっているのか、中は様々な研究機材が置かれ、ロッカーが周囲に並んでいる。
 その部屋の真ん中にソレが二体いた。
 一つは半分ほど潰れた頭部をかくかく揺らしながらスーツの男の背中にのしかかっている。悲鳴をあげるミアを抱きしめる学生風の男は顔面を蒼白にし、マーシャルはロッカーから腸を引き摺りながら歩いてくるもう一体に銃を向けていた。
 一番に中に飛び込んだマラマッドがスーツの男にのしかかっているソレに体当たりをして、懐から取り出したサバイバルナイフを眉間に差し込んで地面に蹴倒す。マーシャルも何とか銃をそのモノの口に押し込んで、脳天に向かって銃弾を撃ち込む。
 部屋にいた二体のソレはマラマッドの加勢もあって、あっけなく地面に倒れ込んだ。
「おい、大丈夫か?噛まれてないか?」
 出番の無かった銃をジャケットに仕舞いながら、短髪の男が学生に声をかけ、ミアを抱き起す。ミアは酷く怯えてはいたが、幸いにも怪我は無かった。ミアは学生と男に「ありがとう」と礼を告げた後はマーシャルの方に歩いていく。ミアはマーシャルに懐いているのだ。
「ああ、ビビった…」
 ミアの背中を見つめながら、正直な感想を言った学生風の男は名前をコナーと言った。
 コナーは一応持っていた銃の存在に今やっと気が付いたのか「はは、ビビり過ぎて使うの忘れてた…」と気が抜けたように息を吐いた。
「怪我は?」
「ありがとう。噛まれてない。大丈夫だ」
 そう言って背の高い男が話しかけたのは、さっきまでソレにのしかかられていたサラリーマンの男だ。男は体液のついたジャケットを脱ぎながら九死に一生を得たという風に冷や汗をぬぐった。汚れたジャケットをもう使えないと判断して床に捨てた男の名前はアイザックと言う。
 少し離れた場所ではマラマッドがマーシャルに声をかけ、肩を叩いている。そんな姿を見ながら、未だ名前の明らかになっていない残りの男二人は互いに歩み寄り、肩を寄せ、大きく息をつく。死者が出なくて良かった、そんな風に。
短髪の男が拳銃の残弾を確認しながら、隣の背の高い男に話しかけた。
「残弾はどうだ?サム」
「あんまり多くは無い。ディーンは?」
「お前と同じだな。あまり多くない」
 二人は同時に残りの銃弾を銃の中に戻して周囲を見回す。部屋の中には二つの死体――最早その風貌からゾンビと言って差し支えない――と廊下にも大量のゾンビの死体がある。しかもまだ他のフロアにも山ほど同じようなモノが歩き回り、理性を無くして飢えた瞳で人間を喰らおうと彷徨っているのだ。
「不味いな。想定外の出来事に耐性がついてると思ってたが、流石にこれはねぇだろ。マジでない」
「ああ…本当に」
 そして大きく息をつく青年二人は同時に額の汗をぬぐった。
 それは他でもない、ディーン・ウィンチェスターとサム・ウィンチェスターだった。





【D箱の中】

 僕は何故ここにいるのか。それを僕はもう随分と長い間考えて続けているのだが、答えはさっぱり得られていない。
 いや、長い間というのは実はあまり正しくないのかもしれない。何故なら僕にはあまり時間の流れが分からないからだ。
 この場所に時計は無い。ついでに朝日や夕日、太陽の傾きで時刻を知ることも出来ない。だって此処は太陽が見えなくてずっと真っ暗だ。だから僕はほとほと困ってしまっている。
 人間の体内時計は二十五時間周期と聞く。という事は日に日に体内時計と実際の太陽の自転周期と時間はズレていくわけだ。だが太陽の明かりを浴びる事で体内時計はリセットされ、外と内の時間が一致するらしい。まったく人間の体とはよく出来たものだ。
 でもリセットされた所で正確な時間が分かるはずがないと思うのは僕の穿った見方…になるんだろうか。まぁ、なるんだろう。どうやら家族から言わせれば、これは屁理屈と言うやつらしいのだ。
 僕はよく昔から理屈を言うな、などと言われる事が多かった。しかもそれは大抵言い争いをしている時に言われる台詞であって、それを言われてしまうと僕はぐっと黙り込むしか出来なくて酷く理不尽な思いをしたものだ。
 だってそうだろう?屁理屈という言葉は便利だ。何でだよ、どうしてこれが屁理屈なのか教えてくれよ。ほうら、それが屁理屈なんだ。そう言われてしまえば、答えを望む前に誰も答えを教えてくれないのだと宣言されたのと同じだ。
 こうなったらもう何を言ってもだめだ。言う言葉全てが何もかも屁理屈になって、僕の言葉は今まで音にした言葉も、これから言葉にする予定だった言葉も、全て殺されたも同然になる。先手必勝。僕の中で僕の言葉は整合性を持っていて、屁理屈であった事は一度もないのだが、他の誰でもない家族からはそう見えたのかもしれない。それは不当だし、とても理不尽だと思うのだが、まぁ今その事についてとやかく言っても仕方ないのだろう。
 それでも僕が思うのは、人間の時間感覚なんてこれ以上なく怪しいものだという事だ。まぁた屁理屈か、と言われてもこれは譲れない。もしも、僕の居るこの場所に太陽が昇って沈んだとしても、時計がなければやっぱりどれくらい僕が此処にいるのかは分かりはしないだろう。朝日によって僕の二十五時間周期の体内時計がいくらリセットされた所でやっぱり時計なしで正確な時間が分かった試しはあまりないし、太陽の光の陰りで時間が分かった試しもないのだ。
 分かるとすれば、お腹が空いたから朝頃だろう、昼頃だろう、夜頃だろうという程度の事だ。太陽があったって人間の感覚なんてそんなものだ。ギリシャの数学者や天文学の先駆けでもあるまいし、太陽の高度で正確な時間を知る事はできない。そういう意味で電波時計に頼るしか術の無い大多数の現代人は衰退していっているのではないかと思ったりもするのだが。
 少し、いや、かなり話が脱線してしまった。つらつらと考え事をしてしまうのはいけないな、と思う。僕は考えることが好きだけれど、こうもまとまりのない思考に溺れるのは好きではない。暗闇の中に居るせいで思考があっちこっちに飛んでしまうようになってしまった。
 兎に角、今の僕に分かる事は、僕には時間の流れが全く分からない、という事だけだ。
 こうなると太陽の存在如何に関わらず、やっぱり時計は必要なのだろう。そうなるとカレンダーも必要になる。
 時間が分からないということは日付も実はよく分かっていないという事だ。日付とは時間の蓄積である。僕はもうどれだけの間この場所にいるのかよく分かっていない。西暦はたぶん変わっていないだろうけど、それも何となくそういう気がしているというだけだ。やっぱり肝心の何月何日かはよく分かっていないのだから僕の勘は甚だ説得力が無い。たぶんそんなにこの場所に来てから時間は経っていないだろうとは思う。思うけれど、どうしてそう思うんだと聞かれたらやっぱりそれも勘だと言わざるを得ない。
 にしてもどうして此処は真っ暗なのだろう。明るいままではなく、真っ暗だ。しかも一度も明るくなったことが無い。陽の当たらない場所、ということは何処か建物の中か、それとも地下か。
 そして寒くもなければ、暑くもない。という事は季節も分からない。
 音はない。けれど無音でもない。真の無音状態に置かれると人間は発狂してしまうらしいから、僕が発狂していないという事は無音ではないという事だ。まだ僕は正気だ。それに現に何か物音はするのだ。微かに誰かが居る様な気配はずっとしている。くぐもった声も。何処か少し揺れているような感覚もある。けれどなんだかここは酷く暗くて、感覚がとても鈍るのだ。
 そもそも、どうして僕はここにいるのだろう。
 それがさっぱり思い出せない。じゃあ覚えている所から思い出してみよう。僕はそっと覚えている確かな記憶を掘り起こして再生してみる。
 何度も繰り返したそれを今日もまたもう一度。






【本文に続く】