(表表紙デザインはこんな感じです)




――本当は、誰も傷つけたくなんて無かった。

「俺たちの互いの弱点は俺たちだ」
「もう二度と会わない」
「別々に戦おう」

美しい言葉で途切れた携帯電話。
耳に残る離別の声。

何処から間違って、何を失った?
そうしてサムは考える。過ちを正す方法を。こうならないためにどうすればいいのかを。

――ならば、僕を無かった事にしよう。

そしてサムは過去への扉を叩く。

自分を 殺す ために。




>>ビューティフルワールド the first volume

 ・S5の4話「5年後の世界」冒頭でディーンから離別の言葉を告げられた後のサムが再びディーンから電話を貰うまでの話です(長ッ!)
 ・今回がサム視点のお話で前編になります。
 ・サムが贖罪を試みるお話です。
 ・後編はディーン視点のお話を予定しています。
 ・S5ベースと言いながら、S1〜S4までの時間のネタも入ったりしています。
 ・本編ベースですが、わりとはっきり恋愛色が出ていると思います。

 ・以下本編からの抜粋。当たり障りの無い箇所を少しだけ(笑)





 ディーン、それでも。それでも、ディーン。ディーン、ディーン、ねぇディーン。
 緩く暗くなっていく世界の色を感じながらサムはそんな事を思う。対向車線の車のヘッドライトが目に眩しい。アスファルトの上の所々剥がれている白線の輪郭がぼやけている。
「ディー、」
『元気でな』

 ぷつん。

 あ、と思った。そしてその次にはツーツーという無機質な電子音が乾いた音を漏らす。
 電話が切れた、と頭の中で理解するにはそれから数秒がかかった。決死の覚悟で繋がった電波は蜘蛛の糸のように切れた。後は風に流れて朽ちていくだけだ。そんなイメージがサムの脳内で残像のようにチカチカと点滅した。
 ツーツー、という音が繰り返される度、目の前が暗くなる。何故か風に消し飛ぶ蜘蛛の糸の向こうにディーンの背中が見えたような気がしてサムは息を詰めた。
 そしてその背中が見えなくなる。もう見えない。ディーンが立ち止まらないからなのか、それはサムが遠ざかったからなのか。サムには分からない。
 けれど確かな事がある。

 何もかもを間違った。全てが間違いだった。

 何処からだとか何処までだとか、始まりや終わりという言葉で定義出来る期間ではなく、全部だ。全部間違えた。
 全部、全部全部全部全部全部、ぜんぶだ。最初からだ。
 何もかもが間違いだ。だから取り戻せないし、やり直せない。

 正せない間違いはない、どんな過ちも許される、とサムに語った優しげな声をぼんやりとサムは思い出した。あの優しい言葉にサムは救われた。あの時サムは彼女の言っている事は正しいと思ったが、それでも正せない間違いもこの世には確かにあるのだろう。許されない過ちもある。そしてサムが犯したのはそんな類の過ちだ。
 何故生まれてきてしまったのか。どうして生きているのか。どうして今まで死ななかったのか。
 死ぬチャンスはいくらでもあった。実際死んだこともあった。その幾らかのチャンスの中で死んでいればこうはならなかった。間違いだったなら最初から始まらなければ良かった。馬鹿馬鹿しい。どうして始まった。何故始まった。どうして誰かが終わらせてくれなかった。
 サムはもう電子音さえ聞こえずに通常の待ち受け画面に戻った携帯電話を耳から離した。そして重力に従ってだらりと垂らす。携帯電話は左手から離れてシフトレバーにぶつかり、ごとんという音を立てて足元に転がった。
 これからどうしようか、とハンドルを片手で握ったままサムはぼんやり思った。これからどう生きていくべきか、とも。
 あるのは少しの武器と服、盗んだこの車。そしてこの体一つだ。
 サムは惰性のままアクセルを踏み続け、ヘッドライトに照らされた道をひたすらに眺める。ヘッドライトに照らされない部分は闇が広がっている。ロービームのままのライトは行く先を上手く照らしてはくれない。先の見えないこの道はまるでこれからの自分の人生のようだとサムは思った。
「いや、違うな」
 サムは一人呟いて思い直す。
 振り返ってみれば走ってきた道はこんな綺麗なアスファルトではなかった。それは例えるならば、ぬかるんだ道だ。どろどろの泥土に囲まれた道だ。其処に残してきたのは綺麗な足跡ではなく、足跡の周囲はぐずぐずに溶け、ぬかるんでいる。走り、軌跡を作り上げてきた道は、最後には足跡もよく分からないようにしてしまう、そんな醜悪な沼地だ。

 どうしようもない。
 今まで何のために生きてきた。何のために全てを投げ捨ててきた。何を言われても自分のしてきた事は正しいと信じてきたからではないのか。
 じゃあその信じていたものがまやかしだった時にはどうすればいい。どうしたらいい。答えを持っているのならば誰か諭して欲しい。己が持つ理論ごと論破して欲しい。他に答えがあるなら、今この瞬間からどう生きていくべきか示して欲しい。
 この身一つを自分自身で幸せにする事はおろか、実の兄でさえ幸せに出来ないと言うのに、世界を不幸にする事は簡単に出来る。全部を殺すことは出来る。

 しかしもうサムに術は無かった。サムが思い浮かぶだけの贖罪の方法を、贖罪をしたい相手は望んでいない。
 なんて皮肉だ。
 ささやかな幸せは作り上げられないと言うのに、最大の禍根は作ることが出来る。身近な人間は誰も救えないのに、全ての存在に絶望を与える事は出来る。簡単だ、イエスと言いさえすれば良い。そうすればサムが感じている絶望以上のものを地上に降らせる事が出来る。遍く絶望を、広く、遠く。
「――っ、」
 終わらせるしかない。サムは発作的に思った。贖罪が許されぬなら、この手で幕を引くしかない。

「それは困る」

 その声にサムは勢い良く隣を振り返った。空のはずの助手席に人の形をしたモノが座っている。
 それはサムが最も見たくない顔であり、今最も殺したい相手だ。
「ルシファー…!」
 瞬間、サムの脳内が沸騰した。それは今までサムが感じた事のないほどの感情のうねりだった。怒りがお前を自滅させるぞ、と言われた言葉が脳内を掠める。
 その通りになった。何処か遠くで自分が自分をせせら笑う声がする。
 ――お前はこの怒りで自滅したのだと。

 サムは惰性のまま踏んでいたアクセルから右足を離した。そのまま右足をブレーキペダルに移してめいいっぱい踏み込む。
 かろうじて目に留まった路肩にハンドルをきった事はサムの怒りで目が眩んだ状態から考えれば奇跡に近かった。後続車が居なかったのは偶然で、他に走る車がいないのは此処が郊外で、人目が無かったのは幸いだ。キキッと響いた耳障りな音にタイヤが磨り減っているのだろうと、どこか冷めた部分で考える。
「殺してやる…!」
 サムは車が止まったと同時に素早く銃を取り出す。そしてその銃口を迷わず相手の心臓に向けた。
「君は分かっているはずだ。目の前にいる私は実体のない私だと」



                    
***前半部分より抜粋***