(表表紙デザインはこんな感じです)
ある朝、目が覚めたディーンは周囲の状況と自分の記憶が一致しないことに気が付く。
月曜日であるはずが何故か金曜日であることに戸惑っている内に、ディーンは見知らぬ男に刺されてしまう。
しかしディーンが次の日、目を覚ますと前日の木曜日になっていた――。
>>Redrum
・シリアス長編1作。また長い。何故!(きくな)
・今回はデキあがってる二人から出発しております。
・最初から最後までディーン視点で進みます。ひたすらがっつりディーンが頑張ってます。
・ディーンが巻き込まれる現象のネタは大好きなXファイルのS8-6「レッドラム」をスポイラーにしています。
・が、原型を上手く生かしきれずに趣味に爆走しました(訳:やりたいことを存分にやってしまいました…)
・以下本編冒頭〜1章の抜粋です。
・プレビューにS7-2までのネタバレを含みます。セル組の方はネタバレにお気を付けください
・ムパラ当日はセル後になりますので、特にネタバレ表記はいたしません
【冒頭〜1章部分】
9月21日 金曜日 AM10:56:32
ザァザァという音で目が覚めた。
ディーンが最初に思った事は喉が渇いたな、と言う寝起きの頭で考える事にしてはごくごくありふれた事だった。水は何処に置いただろうか。ディーンは脳が完全に覚醒するのを待たず、開くことを拒否する瞼を無理やりこじ開けながらベッドサイドに手を伸ばす。
最近、酒を飲んで寝ると夜中に喉が渇いて目を覚ます事がよくあるディーンはベッドサイドにミネラルウォーターを置いておくことを習慣にしている。全ては夜中に目を覚ました時に冷蔵庫まで歩きたくないという無精を上手く解決するためのものだ。ディーンは楽をするための努力は惜しまないのだが、サムはそんなディーンを時々呆れたような眼差しで見つめている。失礼な奴だ。
枕に顔を埋めたままのディーンは記憶の中のサムに悪態をつきながら、ベッドサイドの隅から隅まで腕を動かす。だが無い。何処にもペットボトルが無い。何処かに置いたような気がしていたが気のせいだったようだ。
そこでやっとディーンはうつ伏せの姿勢のまま、頭の下に敷いていた枕を抱え込んでもごもごと唸った。まだ起きたくない。起きたくないが喉は渇いた。水が欲しい。水が欲しいならどうしても起きなければならない。それが面白くない。
外から聞こえてきているザァザァという音が耳に心地よく、それがどうやら雨の音なのだとやっとディーンは気が付いた。これだけの雨音が家の中まで聞こえてくるならば、今日は一日雨になるだろうか。ディーンは再びうとうととしながらそんな事を思う。
喉はやっぱり渇いている。しかし瞼は未だに下がり続けようとしていたし、全身は寝起きの時だけに感じる気怠さを訴えている。このまま二度寝に突入してしまおうか。
ディーンは枕に顔面を押し付けたまま、大きく息を吸い込んで首を傾げた。むむ、と一瞬だけ唸り、無暗にシーツを手繰る手の動きを止めて、糸を引き寄せるように徐々に昨晩の記憶を引き戻し始めた。
「―――!」
そしてディーンは手繰り寄せた糸の先に縛り付けられていた昨日の夜の記憶を引き戻した瞬間、まるで弾かれたようにがばりと身を起こした。
だがその瞬間またもディーンは面食らった。うつぶせの状態から両手をついて上半身を起こしたまま、海老反りのような恰好で周囲をくるりと見回した。
「…何処だ、ここ」
何処だ、と言ってはみたが場所は分かる。酒を飲んで前後不覚の状態で何処か見知らぬ場所に転がり込んだというわけでは無い。
此処は隠れ家だ。リヴァイアサンのおかげでボビーの家が燃やされてしまって、完全に戻る場所を無くしたディーン達が当面の間、身を潜めるために借りた借家だ。
そしてここはその隠れ家の地下だ。それは考えずとも分かるが何よりも問題なのは、何故その地下にいるのかがディーン自身にも分からないという事だ。昨日の晩にこんな所で寝た記憶はディーンには少しも無い。むしろベッドにもつれ込む様に倒れたはずなのだ。昨日の夜は。
「サム?」
何処だ、と問いかけてみるが返事は無い。
閉じかけていたディーンの瞼は既に完全に開いて、さっきまでの引っ付きそうだった上瞼と下瞼は今や反発するかのように開ききっている。ディーンは今度こそはっきりした頭で体を起こし、ゆっくりと周囲を見回した。
ディーンがさっきまで心地よく眠っていたのはベッドでは無く、固いソファだった。しかも前の住人が置いていったらしい年季の入ったソファだ。ついでに柔らかい枕だと思っていて抱きしめていたのは、くたくたになって地下室に押し込まれていたクッションだった。抱き心地がいいと思っていたのは寝ぼけていたからで、鼻を近づけてみるとやけに埃くさい。
「サム?おーい、サムー?」
当然の事ながらディーンしかいない地下室に言葉はからからと響くだけで誰からの返事も無い。地下室まで雨音が響いてきている。もしかしたら外は土砂降りかもしれないな、とディーンは思う。
「サム?」
サムがいない。
変だ、とディーンは思った。昨日の夜の記憶と目覚めてからの環境がどうにも一致しない。おかしなことばかりだ。一瞬だけサムを怒らせてこの地下室にぶち込まれたのかとも思ったが、そんな記憶は無い。そこまでサムを怒らせたのなら自分だって流石に覚えている。
ディーンは起き上がり、薄暗いままの地下室の階段をギシギシと音を立てて昇り、一階の廊下に出るドアに手を掛けた。のだが。
「…?」
何故かドアは開かなかった。ドアノブを捻る方向を間違えたのかと今度は反対側にもガチャガチャと捻り続けてみるが、ドアは押しても引いても開かない。どういうことだ、とディーンは思った。これはもしかせずとも閉じ込められている、という状況がピッタリではないのか。
「おい!誰かいないのか!」
もう一度数回だけドアノブを回し、変わらず開かない事が分かると、ディーンはドアをドンドンドンと力の限り叩いた。何故か携帯電話はポケットに入っておらず、サムに電話をする事も出来ない。どうにかしてここから出なければ閉じ込められたままだという状況のみを素早く悟ったディーンは叩く手を止めないまま声を張り上げた。
「サム!いないのか!おい!誰かいないか!くっそ、トイレ!トイレだ!トイレに行きたい!出してくれ!俺が漏らしてもいいのか!大惨事だぞ!」
ここまで叫んでもドアは開かない。こうなったらドアを蹴破るしかないか、と考えたディーンがドアに体当たりをしようと一度ドアから体を離す。元からしっかりした作りのドアではない。数度体当たりをすれば簡単に開くだろうと目算をつけたディーンが助走をつけて走り出そうとした瞬間、ドアはあっけなく開いた。
「落ち着いたか?」
「…ボビー?」
そこにいたのはボビーだった。
ボビーはディーンが何をやろうとしていたか分かっていたであろうに、それには言及せず、ディーンの顔を見るとふぅと困ったように小さく息を吐いた。逆に息を吐かれて困ったのはディーンだ。
「便所に行きたいのか?」
「いや…。もういい。それよりなんでボビーがここに居るんだ?確か、そうだ、一昨日だ。一昨日から狩りに行ってただろ?ほら、オレゴンの端っ側だ。一週間は戻らない、って。何だよ、俺らの手伝いが欲しくて戻ってきたのか?」
そうだ。ボビーは一昨日からオレゴンのハンター仲間から助っ人を求める電話がかかってきて出かけていったはずだ、とディーンは思い出す。
常ならばディーンかサムが同行するのだが、サムの体調が思わしくなく、ディーンとサムはこの場所に留まったのだ。そもそも電話を寄越したハンターもボビー一人で問題ないと言っていたから問題は無かったはずだが。
そんなボビーが何故かここにいる。ディーンは首を捻った。いくらなんでも戻ってくるのが早すぎる。
「一昨日じゃない、ディーン。それは六日前だ」
「はぁ?」
大真面目にボビーが言った言葉に、ディーンは思いっきり眉を顰めた。
「何言ってんだ。ボビーが出かけたのは土曜だろ。今日は月曜日、なら一昨日だろ?」
瞬間、ぐ、とボビーの瞳が僅かに歪む。しかしディーンはその理由に全く見当がつかず、周囲をキョロキョロと見回した。
「ところでサムは何処だ」
つーか何で俺はあんな所にいたんだ?と続けると、ボビーは益々瞳を歪ませた。まるで憐れんでいるかのようなそれにディーンの心に湧き上がるのは不信感と同じくらいの不快感だ。思わずディーンの眉間に皺が寄る。
「何だよ、その顔。ビックリするくらい変な顔だぞ」
「……まぁいい。その話は後でゆっくりしよう。落ち着いたようだし一旦出るぞ。二日もここにいたんじゃ気も滅入るだろうしな」
六日前?二日もここにいた?何の話だ?
まだボビーから何の説明もされていなかったが、ディーンは歩いていくボビーの後ろ姿にしぶしぶ従った。何が何の事やらいまだに何一つ分かってはいなかったが、ここからとりあえず出られるならそれはそれで歓迎できることだったからだ。
一階のリビングとして使っている部屋に入ると、そこは何故か重く静かに沈んだままで、さっきまで誰かが居たような空気も、他の誰かが居るような空気もない。当然サムの気配もない。
天井付近をふらふらと飛んでいる蛾がディーンの目に留まる。くすんだ灰色をした汚い蛾だ。こういうのはサムが嫌がるだろう。サムの事だから気にしない素振りを見せながら気にして、最後には目くじらを立てそうだ、とディーンはぼんやりと思う。
薄暗い部屋の中の全ての環境は少しばかり見慣れたものだというのに、何故か見知らぬ場所へ放り出されたようなどうしようもない違和感がディーンにつきまとう。
薄暗い部屋の中でぼんやりと光源を放っているアナログのテレビの中のニュース画像はデジタル放送に規格が合わせられているせいでテロップ画像の細かい文字が潰れていた。画面の中ではファンデーションを塗りたくって整えられたであろうアナウンサーの肌も、視聴者受けを狙って発色よく塗られたルージュも何もかも滲んでくすんで見える。
『9月21日、金曜日の今日はぐずついた天気模様。週の終わり、気分は明るくいきましょう!では今日のヘッドラインニュース――』
画面では朝の番組の録画を垂れ流しているようだった。地方のケーブル局のチャンネルなどそんなものだ。安っぽいセットに安っぽい画像でもアナウンサーの声だけははっきり聞こえてくる。
だが問題は録画が垂れ流されている事ではない。アナウンサーが発した日付だ。
「……金曜日?」
思わず足を止めてディーンは画面を凝視した。ご丁寧にアナウンサーの手元には今日の日付と曜日がプレートで掲げられている。如何にも地方局のセンスだが、そこにははっきりと9月21日と記されている。
テレビを凝視しているディーンをさして気にした風でもなく、玄関の方に向かっていたボビーが振り返って言う。
「ディーン、少し気分転換でもすべきだろう。街まで何か食いに出よう」
「なら、尚更サムも一緒に飯を食いに――。そうじゃない、金曜?今日が金曜だって?」
「ディーン?何を言ってるんだ?木曜の次は金曜日だ。昨日は木曜日だっただろう?」
木曜日の次は金曜日だ。それはそうだろう。そこに文句をつける気など微塵もない。
しかしディーンの昨日は木曜日ではない。昨日は日曜日だった。
「昨日は日曜だろう。だから今日は月曜だろう」
「ディーン、混乱しているのは分かるが…」
「ちょっ、と。ちょっと待ってくれ。今日が金曜日?ボビー、どうなってる」
「今日は9月21日、金曜日だ。しっかりしろ」
金曜日のはずがない。今日は17日、月曜日のはずだ。今日は月曜日でなければならないはずなのに、なぜか今は金曜日だ。記憶が日曜日――つまり16日の夜から21日の朝に飛んでいる。記憶が無い。何も覚えていない。この空白の四日間を何一つ覚えていない。
だがボビーは混乱するディーンをさして構うでもなく、玄関のドアを開けて外に出ようとしている。雨を零す空を見つめて小さく息を吐きながら「傘は…あるわけがないな。濡れるが車まで走るぞ」と振り返って言う。
「ボビー!聞けよ!サムは、って聞いてるだろ!なんでサムがいない!」
だんだんイライラしてきたディーンは納得できる説明があるまでここを動かないぞ、という決意を込めてボビーを見つめる。風で雨が吹き込み、玄関に立つボビーとディーンの顔と体をバタバタと濡らしていく。
だが急にボビーが酷く切迫した様子でディーンの肩を掴んで、その上激しく揺さぶった。
「しっかりしろ、ディーン!サムが死んだ事をいい加減受け入れろ!」
――は?
「な、」
一体全体何の事だ。
絶句するディーンの前でボビーが尚もディーンの肩を揺さぶる。何を。何を、何の話を。そう聞きたいが何から聞けばいいのかディーンには分からない。何の話だ。
脳の奥でフラッシュを焚くように光が点滅する。フラッシュバックの如く甦り、頭の中にぼんやりと浮かぶ声。『ディーン』傾く見慣れた背中。力なく床に崩れ落ちる体。必死に手を伸ばす、届かない。ゆるゆると音もなく広がるのは柔らかな赤。そして抱き起した口元は――笑っていた?何故?『サム、何故だ…』俺は途方に暮れている。
フラッシュバックが波を引くように収まり、ディーンは呆然と目を見開いた。
これは夢か?
ディーンはそう思った。そうだ、夢か。ならば全部納得がいくではないか。夢は道理の無い話ばかりで、辻褄というものは何から何まで合わないものなのだから、これはまさしく夢だ。ディーンは醒めろ、と念じる。こんな意味不明の中で混乱するだけ馬鹿馬鹿しい。さっさと起きてしまいたい。
起きてしまえば隣にサムがいるはずなのだ。そう、今日は月曜日であるはずだから、その前日の日曜の夜はサムと同じ ベッドに入ったのだから。さっさと目を醒まして寝ているサムの鼻でも摘んでささやかな悪戯をしかけるのもいいし、寝顔をひたすら眺めてみるのもいい。
だから。
ディーンはボビーの手を振りほどいて、ポーチから外に飛び出る。瞬間、雨が直接ディーンを叩く。
けれど一向に夢は醒めない。雨は冷たく、これが夢ではない可能性をディーンにつきつけてくる。
それどころか外からこっちに向かってくる一つの影まで登場した。
「……?」
雨合羽を来た…男だろう。背格好からそれは間違いないように思われた。だがしかし雨の景色の中でもはっきりと浮かび上がる真っ黒なレインコートが周囲の光景からその姿をはっきりと切り取っている。顔は分からない。目深にフードをかぶり、男の真一文字に引き結ばれた口元だけが無機質な印象を与えている。
「ディーン!」
ボビーの声でディーンは我に返った。その声は確かに警告を示すもので、ディーンはもう一度男にさっと視線を巡らせた。
そして男の右手に握られているものがキラリと雨の中で限りある光を反射した瞬間、ぞくと背筋に流れるものを感じた。
男の右手の甲に入っている刺青の蛾の柄が雨の中でも酷く毒々しい。が、今はそれよりもその手に握られているものが問題だった。マズイ。長年の勘が告げる。あれはとてもマズイものだと、感覚が叫んでいる。
しかし男は次の瞬間駆け出していて、気が付いた時にはディーンの目の前に立っていた。
「これでやっとお前も殺せる」
男は耳障りな声で一言、そう言った。
「――!」
ド、と腹に鈍い衝撃が走った。最初それが何なのかディーンにはさっぱり分からなかった。
「ディーン!!」
ボビーの声が聞こえる。あ、と思った時には何故か地面が目の前に見えて、むっと香る泥の匂いを不快に思う。
上から降ってくる雨だけでなく、下からも細かい水滴が跳ねてくる。そこでどうやら自分が地面に倒れているらしい、とディーンはやっと理解した。
腹が驚くほどに熱い。かぁっと熱が集まっているような感覚にディーンはその場所に掌を這わせた。そこは雨で濡れている感覚だけでは説明できないほどの生ぬるい何かがあった。何だ?ディーンはゆるゆるとそこに手を這わせて、掌を見てみる。
「あークソ、冗談だろ」
掌は真っ赤だった。それも見ている傍から雨の粒に色が流れて、ディーンの手首を、服の袖を、薄い赤に染めていく。
何だ、刺されたのか。なかなか自分では分からないもんだな、とディーンは思った。必死の形相をしたボビーが駆け寄ってくるのが見える。それよりもっと遠くに背中を見せて悠々と立ち去っていく黒いレインコートも見える。ちくしょう、と内心で毒づきながら追いかけてやろうと意地になって体を起こそうとするが、その瞬間、喉の奥に何かが逆流してきてディーンは激しく噎せて咥内のものを吐き出した。ビシャっという音と共に零れたのはディーンの腹から流れているものと同じ色をしたものだ。
「ああ、ちくしょう…」
これはヤバイやつだ。ディーンはそう思った。
ザァザァと雨が降っている。ボビーに上半身を少し乱暴に起こされ、腹が熱いんだからもっと怪我人を労われよ、と文句を言おうとしたが、唇を動かす度にゴボゴボと血が噴き出して声が出る余地が無い。
地面の上に放り出された力の入らない自分の腕をディーンはまるで他人のもののように見る。何故か左手首には自分の時計では無く、サムの時計が嵌められていた。その時計に薄くついている色は血の痕ではないだろうか。上から雨が降っていても未だこびり付いたまま、流れていかない。
そのガラス版に細やかなヒビが入っている。それは何故か月曜日のPM6:17:22で止まっていた。何故だろう。そんな事を思うが、思考はどんどん鈍く、考えたいと思う感情だけが渦巻いてその先に進めない。
すうっと背中から何かが抜けたような感覚があった。
その何かが引き抜かれた冷たい感覚にディーンはいよいよ覚悟した。
反対側の手首の自分の腕時計が目に入る。やたら静かに、やたらゆっくり秒針が動いている。チッ、チッ、チッ、と。
そしてそれが止まっていく。ああ、時計が止まるな、とディーンは思う。今や雨音は遠い。ボビーの声も遠く、何もかもがスローモーションのように現実感が遠のいていく。
サムは何処だろう、その瞬間にもディーンはそんな事を考えていた。
AM11:23:48
そしてその時間で秒針は動きを止め、時計はゆっくりとその動きを停止した。
しかし、それは時計が止まった時間ではなく、ディーンの開かれたままの瞳が世界を動くものとして認識出来た最後の時間だった。
【本文に続く】