※三成救出戦の後くらいで
「何故、俺に味方してくれた?」 決して音量が大きいとは言えないその声。しかしその言葉はよく通り、声色であってさえその知性の高さを纏わせているものだった。 「三成殿?」 幸村は静かに振り返った先に佇む姿を見つけてその姿をじっと見つめた。その秀麗な顔立ちはいつもよりずっと難しいもので、複雑な感情を滲ませている所までは幸村にも分かったが、その感情の正体が何かまでは分からずに幸村はその先の三成の言葉を待つ。 今回の騒動で秀吉亡き後の天下の趨勢は家康に有利に働くのは最早自明の理だった。 何しろ豊臣内部のお家騒動の色を少しでも外部に露呈してしまったのは致命的だったのではないかと幸村は思っている。正則らが起こした騒動はあまりにも短慮だった。そして三成を殺してしまえば豊臣の家を守れると信じている清正もの思いも盲目的な信条に近い。 天下はそれほど甘いものではなく、天下を巡る人間の争いは余りにも複雑で、それに関わる人間たちが持つ想いは奥深く、故にそれが交差したとき時代をも動かす大きなうねりとなり、人知を越えた未来を作るものだ。願いにも似た行動だけでは未来は掴めない。それが戦乱という世の中の理。 それに加え、相手は家康だ。忍耐を強いられてきた三河の狸は今が好機と今まで静かに腹の奥に潜ませてきた野望を成し遂げようと攻めの姿勢にでる。豊臣内部で争っている場合ではないのだ。家康が天下を成した後、豊臣という火種を残しておくはずがない。それが戦国を生き抜いてきた武将のとる道だ。関東の強豪国ひしめくあの地で生きてきた真田家の血脈を継ぐ幸村には誰よりもそれが分かっていた。 そしてそれは初陣の時には天下にもっとも近い場所に位置していた秀吉の元にいた子飼いの将には分からぬこと。家存亡の危機に幾度となく直面し戦乱と動乱と憎き相手にも頭を垂れるという辛苦を舐める経験をしてこなかった若き武将たちには分からぬこと。そしてそれは経験してこなかった以上、仕方のない事だ。 根本で交わらぬ意識はどうしようもないし、外部からの声でどうこう出来るものではない。正則や清正の決意を他人の物差しで測る事事態がそもそも無意味だ。 しかし。 家を守るだけの視点、今だけの短期的な視点だけではこの動乱を生き抜けない。本当に守りたいものは守れない。 豊臣と言う名は彼らにとって家の象徴であっても、それ以前に豊臣の名は天下を統一しているただ唯一の名であり、野望を持つものが何としても潰しにかかりたい家名なのだ。 彼らにもっとこの国全体を見渡した視点を持たなければ、そういう視点から動かなければ、全ては他人に掠め取られてしまう――それは幸村も含め今回京に駆けつけた、他の友人たちも持っている共通認識だろう。 「友、という理由だけではいけませんか」 「いけない、わけではない。だが何故そもそも俺と友に」 なったのだ、と問う声は固く、幸村は笑うでもなく硬い表情をするでもなく、静かに凪いだような表情を浮かべた。 「三成殿にお味方するのは、私が勝手に抱く三成殿への感情でしかありません。それをここで口にするのは押しつけのような気がして、」 「いい」 「え?」 「押しつけではない。だから聞かせてくれ。…聞かせてほしい。幸村がどう思っているのか、知りたい」 幸村は内心で驚いた。 忍城からのつき合いは長くもないが短くもない。その中で幸村が知った三成の人となりは、恐ろしい程頭の回転が早く有能だが、言葉を飾ることを知らない。そしてその孤高の自尊心が故に人に頼らない、あまり意見を求めない――そんな印象を抱いていた。そして実際石田三成と言う存在はその印象に違わないものだった。 だが、彼にはその自尊心を裏打ちするだけの実力もある。そして友と呼べる存在になりえてからは彼の淡い灯火のような暖かさにも触れた。兼続の言う、三成は信用に足る人物だ、という印象を幸村もまた抱いていた。 そんな三成が兼続ならともかく自分に意見を求めてくるという希有な状況に幸村は少し顔を傾けた。兼続のように弁が立つわけではない。ただもののふの誇りにかけて、そしてその意地にかけて槍を振るう事しか出来ず、三成の求めに叶うような言葉を使えるとは思えなかった。だが、三成の強い視線に射ぬかれて、幸村は導かれるように静かに口を開いた。 「私には三成殿が、家を守ると言うだけではなく、亡き秀吉殿の遺志ごと守ろうとしているように見えたのです」 「幸村、」 「戦国乱世、屈せぬ清々しい姿勢が――それが真田のもののふの生き方に似ているような想いを勝手に抱いてしまいました」 私の思いこみですが、とそう言って幸村は少しだけ笑った。 三成は秀吉亡き後の豊臣家の存亡をかけたこの時勢を冷静に分析出来ている。 忠誠を尽くしてきた豊臣家への思い入れは他の子飼いの将と同じく、相当のものだろう。しかし家を存続させるためには家康との対立は避けられないと彼はもう気が付いている。それは家康という男の性格と秘めた野望を巧く観察し、先入観無しで導き出した冷静な分析の結果だ。だから徳川の天下に異を唱えた。徳川は今までの冷遇された環境から火種は潰す。 ――豊臣の家は徳川の世では生き残れない。徳川の理念は豊臣と相容れず。ならば家康が天下を掴む前に。 それは彼の譲れない信念に基づきながらも冷静な判断を下したが故の結果。勝ち目云々だけではなく、しかし感情だけではなく、様々な可能性を勘案した彼の結論を幸村は支えたいと思っていた。 しかし三成は分析される所を嫌うだろう。そして幸村が今口に出した言葉は間違いなく三成を分析した言葉だ。 幸村は何も言わない三成を見て、やはり差し出た事を言ってしまったのではないかと静かに頭を下げた。 「すいません、差し出た口を」 「いや、いい。――むしろ礼を言いたいくらいだ」 「三成殿?」 礼?何にだろうか。そういう疑問を込めた幸村の問いかけに三成は返事をするわけでもなく、一歩、幸村の方に歩みを進めた。強い視線はまるで幸村の心までを射ぬくかの様に強く、澄んで。 「共に戦ってくれるか」 「元よりそのつもりです」 幸村は真っ直ぐ頷き返して、三成の瞳を見返した。人を寄せ付ける事を良しとしない石田三成という存在の心の中に一歩入る事を許された事に感謝しながら。 *** 内部で争っている場合ではない事など分かっていた。 そして今回の件が対外的に良い影響を及ぼさない事も三成には当然分かっていた。家康を慢心させるいい機会になったというのは、あくまでこの苦々しい状況を前提にして、三成が考えうる最善の一手という事でしかない。 京の屋敷、潜んでいた先で見つかった際に思わず口を付いて出た“莫迦が”という言葉は果たして、暴走した正則への愚痴だったのか、たかが隠密に見つかった自分への侮蔑の言葉だったのか――仮にも兄弟のように共に育ってきた人間から命を狙われようとしている境遇を呪ってみたのか、そんな兄弟同然の存在達に自分の考えが露ほども伝わらない苛立ちだったのか。三成は今も諮りかねている。 だが何も持っていない――持っているものはこの身一つと数少ない縁のみ――だと思っていたが、京まで救援にきてくれる存在がいた事に三成は少なからず驚いた。 そしてその中にいたのは真田幸村。名門真田家の次男の姿。忍城で親交を深めてからは、定期的な付き合いのあった人物の姿。 不思議だった。何故助けてくれたのか。正則の追いつめられた暴走によって主亡き豊臣家の不安定な状況を内外に露呈してしまった。それは致命的でさえあったとも言える。そんな姿は甲斐で生き抜いてきた真田の血を引き継ぐ清廉な青年には滑稽に映っているのではないかと、三成は考えていた。何故か畏れてさえいた。 正則の暴発と清正の追随によって、三成の静かに家康を失脚させる方法を知略で練っていた目論見は真っ正面から潰されたようなものだった。 家を存続させたいという清正の決意も、どうにかしたいと焦る正則の焦りも三成には理解できたが、それでは足りないのだ。家康に取り込まれた豊臣家に先はない。あの狸は今までの辛苦を舐めるような経験から盤石な世を望み、不安定分子の全てを潰す。三成にはそれが見えていた。確信さえしていた。 だから今の安定を望むだけでは足りない。徳川が天下を掌握してからあらがってみせても全ては遅すぎるのだ。その理解を清正にも正則にも求めてみても理解はしてもらえない。元々口が上手くない己に苛立ってみせても遅い。 そして共に育ってきた兄弟のような存在にもこの思いが分かって貰えぬのならば、もう無理だろうと思った。元々家康を快く思っていなかった武将や部下としての左近はともかくも、他の誰にも伝わらぬだろうと思っていた。 その上、今から取り込まなければならない武将達に今回の一件は不利に働く。不安定な豊臣につくより、家康につけば有利だ。各々が家の存亡をかける戦いなれば、それは当然だ。そこに三成の思いが滑り込む余地はない。 だからこそ、激動の関東の地で家を残らせてきた真田が何故来たのか、それが三成には不思議だった。 だから問うた。 誰もが恐れるほどの武を誇り、しかし戦地を離れれば静かに佇み、自らを偽らない真っ直ぐな存在だと知っていたからこそ――信じるに足る人物だからこそ、信じているからこそ、幸村が何を考えているのか知りたかった。あわよくば、誰にも認めてもらえない自身の行動を認めてもらいたいと思っている、己の下心もあったのかもしれない。否、あったのだろう。 しかし幸村から返って来た言葉は三成の期待の遥か上をいくものだった。 ”私には三成殿が、家を守ると言うだけではなく、亡き秀吉殿の遺志ごと守ろうとしているように見えたのです” この感情をどう呼ぶのか三成は知らない。 しかし、誰にも理解されないと思っていた三成の根本を汲んでくれた稀有な存在に、三成は声を失うほどに驚き、そして初めての感情に驚いていた。 誰にも分かってもらえないと思っていた。自分の姿だけでは何も伝わらず、言葉だけでは誤解を招く。他の誰にも悟って貰えぬだろうと思っていた。 だが、気が付いてくれる人物が、いた。 他人に、他の誰でもない幸村に言葉にしてもらえた事で、理解されたというただそれだけのことで、未だ迷っていた心ごと、進む先を示されたような、そんな気がした。口をつくのは滅多に口にしたことのない感謝の言葉、そして胸に抱くのは言葉に出来ない初めての感情。 この存在となら戦える、と思った。進める、とも思った。今まで忌避さえしていた直感というものの中に確証を見た気がした。 「共に戦ってくれるか」 「元よりそのつもりです」 誰でもない誰かに三成は生まれて初めて感謝する。この稀有な存在と知り合えた一条の幸福に。 |
光彩、はじけて