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―――歪みの予感、来訪者は突然に。




9月中旬。季節は秋――であるはずのこの日本ではまだ夏の気配が色濃く残っている。どうやら夏が去る時期を見逃して居座ってしまっているお陰で、秋は二の足を踏んでいるようだ。暑い。とにかく口をついて出てくるのは見事に暑いという言葉ばかりで、朝と夕には秋の匂いが漂うものの、それでも日中の暑さにやられてしまえば暑いという言葉しか出ない。
「京都は暑い…」
「それは何度も聞いた。ならもう一度東北に戻るか?」
それは兼続と三成とて例外ではない。大学構内を歩きながら二人は異常とも言える残暑に完全に閉口していた。
「実家はもういい。散々働かされた」
「なら耐えろ」
兼続が戻ってきたのは、9月を1週ほど過ぎてからの事だ。盆を挟んで色々実家で手伝いやら何やらさせられたとボヤいていた兼続の夏休みは9月から始まったようなもので、しかし戻ってきてみれば日本を覆う残暑と京都特有の暑さ。流石に1ヶ月ぶりの盆地の暑さに兼続も堪えたようだった。
しかし盆の2日を実家に戻っていた以外は京都にずっと居た三成でもこの暑さには閉口していた。今年だけはどれだけ心頭滅却しようともこの暑さには慣れない。思わず天気予報に悪態をつきたくなるほど暑いのだ。

しかし2人が揃って大学に――しかも日中で一番暑くなる午後2時――やってきたのには意味がある。
今日は後期の履修申告。そして前期の成績発表の日だからだ。

「で、三成。成績はもう受け取ったのか」
「当たり前だ」
「お前の事だから何も取りこぼして無いんだろうな」
「手ぬるくやってその場しのぎの方法で単位を取ってどうする。やるなら徹底的に、だ」
「お前はそういう奴だったよ。…しかし、とにかく暑いな。早く信繁を迎えにい行こう」
履修申告を早々に済ませてから成績を受け取った二人は、さも当然と言う様に取得した単位を確認した。それだけだ。そもそもこの2人に単位を落としているかもしれない、という学生に至極真っ当な感情は無い。成績に於いて確認するのは、優良可のどれなのか――そういう意味での成績発表の日なのだ。
2人は単位を落としたと叫んでいる学生たちを気にした風でもなく、その光景を悠々と眺めながら史学部棟に歩みを進める。成績を渡すゼミの担当教官が遅れてくるとかで、少し待ち合わせに遅れると告げたもう一人の友人を迎えに行くために。



***



成績を学生に渡すはずのゼミの教官は思わぬ出張のせいで結局大学には来ることが出来ず、幸村は緊急の代打配布を任された教務室で成績をやっと受け取る事が出来た。
成績をざっと確認し、全ての単位が取得出来たことを確認した幸村はそのまま履修申告を終えて、友人達に合流しようと、まさに学部棟を出ようとしていた時だった。
ひらりと視界の隅で舞う、美しい色。
大学では酷く不似合いなその色に幸村は視線をあげて、その色を思わず追う。

「お久しゅう。最後にお会いしたのが女郎花月…7月の頃でしたやろか?」
「…阿国殿?」

とは言ってみたものの、幸村はその目をぱちぱちと数回瞬きしてみせた。大学に何故か阿国がいる。しかもいつも通りの美しい着物と微笑みを纏って。そんな阿国の姿はある種、大学ではかなり異質だ。現にロビーにいる他の学生は幸村と阿国を交互に見ながら、目を丸くしている。
しかしそんな周囲の様子を気にした風でもなく阿国は静かに微笑みながら幸村に歩み寄る。
「本当に暑いわぁ。今年は一体どうしてしてしもたんやろか」
「あの、阿国殿、何故ここに?」
静かに問いかけた瞬間、阿国の瞳に真剣な色が混じったのを幸村は見逃さなかった。そもそも考えなしで動くような女性ではない。何か伝えたい事がなければ大学まで来ることはないだろう。幸村は困惑の色を直ぐに消して、無意識に背筋を正した。
「場所を変えましょう」
幸村はすぐに阿国の意図を汲み取り、他人の耳と視線の無い談話室に誘えば、阿国も幸村に静かに頷いて、二人は談話室の柔らかいソファーに腰を下ろした。

「阿国殿。何かありましたか?」
幸村の前置きの無い真っ直ぐな問いかけ。こういう話の時に前置きもお茶を濁すような遠まわしな言い方は何の意味も為さないと幸村も阿国も経験と記憶から知っている。事態をオブラートに包むような美徳はこの国だからこその文化であっても、それは平和だからこそ成り立つ。今はそうではない事を幸村は直感で悟っていた。だからこそ、嘗ての紅き将の姿を僅かに漂わせてしまう自分に幸村は気がついていた。
そして阿国も幸村の問いかけに小さく頷いてから静かに形の良い唇を開く。

「単刀直入に言わしてもらいます――良くない相が出ました」

「良くない相、とは?」
阿国は神に最も近い場所である由緒正しき出雲の巫女だ。普段は簡単な占いで――それでも十分当たると評判なのだが――生業を立てているが、阿国が告げた言葉はそんな簡単な占いで出た結果ではないのだろう。こうしてわざわざ知らせに来ていると言う事はもっと上の次元のもの――神託に近い部類の結果のはずだ。
「具体的には出ませんでした。何かに妨害された様な変な感じさえありました。ただ何やおかしい雲行きなのは確かです」
「それは…」
幸村が再び口を開こうとしたとき、不意にドアが開く音が聞こた。談話室と言えど他者を排斥する場所ではない。誰でも入ってこれるのだ。内容が内容だけに幸村は反射的に口を噤んでドアの方に振り向いた。

「信繁?」

「三成さん、兼続さん」
そこにいたのは幸村の友人二人。遅い自分をわざわざ迎えに来てくれた先に談話室で姿を見かけて声をかけてくれたのだろうと言う事は容易に想像できた。
話はもうここで終わりだろう。内容もそれ以上が分からないと阿国が言うのならそれ以上は現時点では何も分からない。結局は事態を見守るしかない。
そう考えた幸村が真剣な表情を隠して信繁の表情に戻るよりも、阿国の行動の方が早かった。恐らく真田幸村に戻りかけていた姿から“上田信繁”を取り戻すのに少しだけ時間のかかる幸村をフォローする意味合いもあったのだろう。機転のきく巫女はすぐさまいつものにっこりとした完璧な笑みを浮かべて、二人の方を向く。
「あら三成さん。お久しゅう。お元気でした?」
阿国の言葉にもあまり表情を変えない三成とは対照的に、人好きのする笑みを浮かべたのは兼続だ。
「信繁、こんな美人と知りあいだったのか?」
「いややわぁ。お口が上手いんどすなぁ。こんな男前に褒めてもろて光栄やわぁ」
その二人のやりとりで幸村は今更ながらに今生で兼続と阿国がまみえるのがこれが最初だと言うことに気がついた。完璧なまでの阿国の機転に幸村は内心で舌を巻く。
自分はあんな風に初対面の時から上手く振る舞えていたのだろうか、と。

暫く自己紹介やら雑談に花を咲かせていた阿国と兼続だったが、それは端的で静かな三成の問いによって遮られる。
「今日は何故?」
「ちょっと用事が。後、最近物騒やさかい気をつけないと、という話をさせてもろてたんです」
「ああ、そう言えば空き巣が多いと掲示版にも出ていたな」
にっこりと疑問の余地を挟み込ませない阿国の言葉に、兼続が思い出したように呟く。確かに幸村もその掲示板の張り紙に心当たりがあった。阿国がそこまで計算して言ったのかどうか分からないが、幸村はとりあえず話をあわせるように少し頷いてみせる。口を噤み、何か言いた気の三成の視線と表情に気がつかぬまま。

「それでは、そろそろお暇させてもらいます」
そっと音もなく優雅に立ち上がった阿国が振り向きざまに小さく視線を幸村に寄越す。幸村はその気遣いにただ小さく頷いてみせた。

だがそれで終われない者がいた。三成だ。
暫く阿国が出ていった方向を見つめて何か考えていた風の三成の常ならぬ様子に幸村が気がついて小首を傾げた時だ。
いきなり顔を上げた三成は“少し待っていてくれ”とだけ2人に告げて、談話室を出ていった。





「ちょっと待ってくれ」
「あら。どないしました?」
後方からかけられた言葉に振り向いた阿国はその人物の姿を見て内心だけで静かに驚いた。
追いかけてきていたのは三成だ。昔も今も淡い笑みを浮かべる青年の事を気にかけている男が何故か自分を呼び止めている。少なくとも幸村と懇意にしている自分の姿は三成の気に入る姿では無いはずだ。
そんな嘗ての佐和山の主に阿国は静かに笑ってみせた。恐らく今から三成が告げる言葉もその青年に関することだろうと阿国には分かっていたからだ。
そんな阿国の笑みに三成はにこりともせず、静かに口を開く。
「見つからなかった」
「何が、ですやろか?」
「大徳寺の時の話だ。調べた。400年前の人間を。何も見つからなかった」

“その400年前の同じ名前の存在をお調べになったら、何やみえてくるかもしれません”
あの夏の日。大徳寺でのやりとりが阿国の脳裏に甦る。恐らくこの頭脳の持ち主の事だ。徹底的にあらゆる情報を調べたに違いない。秀麗な表情の中に僅かな戸惑いに似たものを浮かべている男を目の前にして阿国は静かに笑みを深くする。新しきで世でも唯一の存在を求めるその男を。

「ならそういう事なんやと思います」
「何?」
その言葉に僅かに三成が瞠目した。
「それが三成はんの見つけた答えなら、それでええんと違いますやろか?納得出来た、んですやろ?」
「―――」
その言葉に三成は押し黙った。阿国はその表情に三成の中で消化出来ていない事を悟り、静かに微笑んだ。
「納得しはってないお顔。でしたらまだ答えはどこかに。本の中ではない、どこかに」
「……」
「では」
何も言わない三成にお国は静かに一礼して今度こそ歩みを進めた。

阿国が投げた小さな一石。
それがどういう波紋を広げているのか阿国にさえまだ見えない。この事に関してだけは阿国の力を持ってしても先は何も見えないのだ。恐らく輪廻の世界から外れた幸村の行く先については万の神の力を以ってしても感知する事は出来ないのだろう。阿国はそう結論付けている。
全ては幸村に関わる人々の行動、そして思いが何もかもを決めていく。何かを諦めてしまっている真田幸村という存在。彼は諦めを否定するだろう、しかし阿国にはそうは見えない。
阿国は干渉しない。幸村の決めた道を否定はしない。邪魔もしない。しかし無関心でもない。時代の変遷の折に触れてその時を共有し、縁故ある知人として、観察者ではいられない。阿国は幸村を放っておくことは出来ない。一言で言えばそれだけだ。

そしてやっとこの時が来た。幸村という歴史の中に名を刻んだ存在が何よりも大切に思っていた、嘗ての友人と肩を並べるこの時が。400年を巡って、やっと。この時をただ流れる時だけで終わらせたくは無い。


――そしてその先に何が起こるのか、阿国にも何も分からないのだ。



***



最初は違和感だった。
「―――?」
家に戻ってきて鍵を開けた瞬間、幸村は部屋の中から僅かに漂う違和感に一瞬動きを止めた。明りをつけようと伸ばしていた手を止めてじっと部屋の奥を見つめる。
夜八時。遅くは無いが周囲は完全に闇夜だ。阿国と何か話していた三成がすぐ戻ってきた後、3人でたわいもない話に花を咲かせながら今の今まで過ごしていた。賑やかな時間の余韻に浸りながら帰宅した幸村だったが、どうやらその余韻に浸る事は許してもらえそうにない。
幸村は意識を完全に切り替えた。気配を完全に殺して部屋の中に足を踏み入れれば、やはり違和感は益々増大していく。

――部屋の闇の中に潜んで、何か、いる。

「誰だ!」
身を表すと同時に叫んだ幸村の視界に入ったもの。それを知覚した瞬間、幸村は大きく目を見開いていた。
闇夜に蠢く影が持っていたもの。それは何も持たぬ幸村がたった一つ持ち続けていた桐の箱。時代の流れの中で名前を変え、不審がられぬ様に生きてきた幸村が手放さなかった唯一のもの。大坂の後には時代の節目でしか持ってこなかったあの、
「あれは、」

炎槍素戔鳴。
日本神話の破壊神、素戔鳴の力が宿る槍。戦国の世で幸村の命を何度と無く救ってきた、あの命を預ける事の出来る唯一の武器。

何故ただの侵入者がそんなものを。誰にも触らせぬように入念に隠してあった其れを見ているのか。
そんな幸村の動揺を見抜いたかのように、その影は小さく笑ったように…見えた。
その笑みに僅かに身構えた幸村の一瞬の虚を突いて、影は瞬時に窓から外に躍り出る。結局何も盗らぬまま。
「待て!!」
炎槍素戔鳴が盗られなかった事を確認した幸村も同時に窓から飛び出した。
普通の空き巣とはどうしても思えない。あれを目にしてしまえば普通の人間は盗ろうなどとは決して思わないはずだ。むしろその神々しいまでの姿に萎縮したとて可笑しくは無い。それがあの影は笑った。炎槍素戔鳴を確認して“笑った”のだ。どう考えてもおかしい。
そして並の人間でもない。外に出て幸村の追いかける影の走り方は普通の人間でもなく、ただ足が速いという類のものでもない。まるで。

――まるで?

その瞬間、影を追いかけ走る幸村の前に別の大きな影が飛び出した。ぶつかりそうになった幸村が慌てて足を止めると同時に聞きなれた声が幸村の耳に届く。
「幸村!?」
「慶次殿!」
幸村の様子に驚いた表情をしている慶次の手にはビニール袋が下げられていて、慶次がどこかに向かおうとしている途中であった事が察せられたが、幸村はのんびり会話をしている時間は無い。今も影は逃げていくのだ。
らしくない幸村の様子に流石にただ事ではないと慶次も気がついたのか、その表情を険しい物に変えて真っ直ぐ幸村を見つめた。
「どうした?」
「あの者を。炎槍素戔鳴を奪おうとしていました。ただの空き巣ではありません」
幸村の視線だけで示した先、影はその瞬間も益々小さくなり闇夜に今にも溶けそうになっている。幸村の険しい視線の方向に慶次も険しい視線を向け、そしてその口元を小さく綻ばせ、不敵な笑みを浮かべる。
それは傾奇者だけが浮かべる事の出来る独特の笑み。
「…分かった。大捕物か。おもしろいねぇ。手伝おうじゃないか」

言うと同時に二人は走り出す。闇夜に溶けそうな男の姿を求めて。



二人が行き着いた先は公園だった。夜の帳が落ちたその場所は僅かな街灯の他、闇に包まれた木々が鬱蒼と茂っているのみだ。辺りに人影は無い。いっそ不気味なくらいの静けさが木の葉が時折擦れる音で際立ち、この場を重く覆っていた。

昔に培われた感覚に従うまま二人は手分けして敵を追いかける。入り組んだ公園の遊歩道の地形を利用して、互いに言葉にせずとも無意識に挟み込むような形で相手を追い込めるような形にもっていけるのは幸村には有難い事だった。今や幸村の動きに合わせて動く事が出来るのは慶次しかいない。一人ではあの影を追いかけるのは至難の業だっただろう。それは言い換えれば、やはり影が常人ではない事を示している。

夏を過ぎてその成長が遅れた雑草の中を走りぬけ、目論見通り、2人は影を囲むように挟み立つ事に成功した。

「はっはぁ!やっと捕まえたぜ」
楽しそうな言葉とは裏腹に慶次のその目は決して軽いものではない。口元は確かに笑みを浮かべつつも、視線には強い訝りが交じっている。そして幸村もただ闇の中に立つ、未だ顔も見えない相手を強く見つめる。
しかし相手は二人に囲まれても気配を揺るがすことはない。
「……?」
その立ち姿に幸村は静かに眉を顰める。
おかしい。此処に追いつめて来たつもりだった。しかしもしかしたら。

―――ここに誘導された?

「混沌…」
「―――!」
静かに呟かれた言葉。それは大きなものではかったが、確かな重みを持って幸村の耳に届く。
混沌。その言葉。そしてこの独特の掴めない雰囲気。常人ではありえない身のこなし。
幸村の脳裏に混沌を欲しながら血の匂いの立ち込める戦場に佇んでいた一人の男の姿が浮かぶ。
ありえない。幸村はそう思うが、ありない事もまたありえない。何故なら自分がその象徴たる存在で、そしてこの時代に集い始めた輪廻の悪戯が、ありえないという否定の言葉を殺す。

「幸村、」
それは慶次も同じだったらしい。慶次の視線に幸村は視線だけで頷く。

「風魔小太郎…」

聞いた瞬間、大きく風が巻き起こり、幸村と慶次はとっさに片手で顔を守る。頬を撫ぜる黒い風が通り過ぎたとき、2人の目の前にいたのは影ではなかった。一人の男が其処に立ち、街灯に照らされながら顔を上げて、口元を歪めて哂っていた。
「我は混沌を呼ぶ凶つ風」
「生きていたのか、いや生まれ変わりか?」
慶次の言葉に対する答えは幸村も持ち合わせてはいなかった。ただ目の前にいる者は姿は現代に迎合した青年のものとはいえ、雰囲気も声も全てが風魔小太郎だ。
風魔小太郎――北条に仕えていた風魔忍軍の長。小田原後では戦場を渡り歩いては混乱の種を蒔いては発芽するのを待っていた。そういう忍びだ。

「混沌を探してみれば、お前だったか」
くく、と小さな笑いをこぼして風魔は静かに幸村を指さす。次いで慶次を見た風魔は笑いを消して、淡々と告げる。
「お前は混沌ではないな。人か。」
幸村には混沌と告げ、慶次にはそうでなく人と告げた。その言葉が意味するものを幸村に分からないはずがない。世界が混沌を欲し、それを呼び込むことを是とする風魔の理論は理解出来ない。だが示す意味は分かる。

風魔の目的を探ろうと幸村がもう一度視線を向けた時、風魔は幸村の眼前に迫っていた。

「―――!!」
殺気も無く、口元に笑みだけを湛えて繰り出された攻撃に、幸村は条件反射の様に瞬時に体を反転させた。数尺離れた場所に降り立った幸村がその場所に視線を遣れば、地面に深々と刺さっていたのはくないだった。幸村の機転がなければ確実にその体は貫かれていただろう。
「幸村!!」
慌てたような慶次の声に幸村は声だけで返事をする。風魔の動きは嘗てのものと同じ。俊敏な忍びのそれだ。
「慶次殿は下がっていてください!目的は私です!」
そういう間にも幸村を追いかけて鋭い攻撃が繰り出される。幸村は視界のきかない夜と、何ら武器も、武器になりそうなものも見つけられない現状に内心で舌打ちする。不利だ。圧倒的に不利だ。しかも相手の目的が分からない。自分を殺したいのか、ただ戦いたいだけなのか。何も分からない。もしかしたら風魔には知らせるつもりもないのかもしれないし、知らされた所で幸村には理解出来ない事なのかもしれない。
「何が目的だ!」
「実体のない風に聞くか」
じゃらりとした音と同時に自由の利かなくなった右手に、幸村は鎖鎌武器の存在を知る。自由の利く左手で鎖の拘束から逃れようとするが、丸腰の幸村には俊敏な動きを得意とする忍び相手では余りに分が悪かった。
風魔が戦いの時に道具を使った印象は幸村にはない。篭手で手を防備していた以外はその俊敏な動きと体術を生かした攻撃を得手としていた。戦い方を変えたのか。それともただの小手調べなのか。
「く、」
「混沌、見せて貰おう」
小さく笑みとともに告げられた言葉の後。どん、と鈍い衝撃が走った。
「―――?」

幸村は何が起こったのか分からなかった。

「幸村!!!」
そうして聞こえてきた慶次の言葉。そして脇腹を貫く焦がれるほどの熱さ。それらで幸村は風魔の素手で腹部を貫かれた事を知った。
やはり攻撃は素手。道具は恐らく目くらましの布石だったのだろう。
「……っ、」
ばたばたという奇妙な水音と脇腹から全身に広がる熱さ。体が急激に重くなり、幸村は思わず片膝をついた。俯いた視線の先に映る地面が徐々に真っ赤に染まっていく光景は昔に見た光景に良く似ていた。
そんな事を思い出しながら、熱さだけ感じていた場所から急激に広がる激痛に耐えながらも、かろうじて幸村は視線を上げた。

次に風魔が何をするつもりでも幸村は目を逸らせるつもりなど毛頭無かった。どんな瞬間も目を逸らしはしない。
「……く、」
そんな幸村の想いとは裏腹に身体の悲鳴に正直な瞼は次第に重くなり、視界は明瞭さを欠いていく。それでも幸村は顔を下げはしなかった。
そんな視界の中、ぼんやり霞み始めた風魔は何をするでもなく幸村を見つめていた。ただ口元の笑みだけがやけに際立って幸村の視界に残像の様に残る。
まずい。持たない。
地面から匂い立つ鉄の匂いだけで尋常ではない出血量と、脇腹がどうなっているのか算段をつけた幸村は気力だけではどうにもならない事を悟り、意識が落ちることを覚悟する。

完全に視界が闇に覆われ、意識が沈み込む、その瞬間。
“混沌を証明してみせろ…そして再びまみえてみせろ”

そんな声を幸村は確かに聞いた。








罪業の果て

――歪んだ存在。その声は残響だけを残して、