―――邂逅、それは忘却を赦さない魂の記憶




上田信繁という男は何処か不思議だ。
それが兼続が最初に抱いた、学び舎を共にする青年への印象だった。


兼続の家系は代々神職に就いている。2、3代というレベルではない。それこそ先祖代々、数百年という単位で神職に就いているらしい。らしい、というのは幼い頃に家系図を見せてもらったはずなのだが、いまいち兼続の印象に残っていない、という至極単純な理由からだ。
兎に角、兼続も例に違わず、跡取りとしての道を歩んで20年生きてきた。
かといって兼続が神職を倦厭しているかと言えばそうではない。兼続は非凡な子供だった。幼い頃からその非凡な才能をいかんなく発揮した結果、仏教をはじめ、凡字、密教等々と兼続が受け継ぐ宗派のみならず、数多の宗教の基礎理論をマスターしてしまった。生来、知識に貪欲だったのだ。
神職としての長い伝統を受け継ぐ家系にありながらも、自由を重んじ、時代と時流をよく理解してた兼続の両親は、兼続の好きなように生きることを歓迎した。もしかしたら兼続が家を継がないと言い出しても、それが兼続の心からの決意であったらのならば認めていたかもしれない。
そういう柔軟な思考を持った両親に育てられた兼続は、誰に強制されるでもなく自ら神職に就くことを望んだ。先人が信じたその理念と救済に学術的興味がうずいたのも理由の一つだ。大学で宗教学を専攻しているのも、跡取りという理由だけではない。やはり興味があったのだ。
しかし人というものはそれほど単純に出来ているわけではない。兼続が神職に就こうと思った理由は、興味や関心、それだけではなかった。
もう一つ、大きな理由があった。

『霊が見えるんだが』

唐突に、そう、自分でも驚くほど唐突に、友人達にそう告げた日のことを兼続はよく覚えている。
今まで兼続はその能力を両親以外に告げたことはない。恥じているわけではなく、恐れていたわけでもなかった。ただ純粋に必要ないと考えていた。
兼続には物心ついたときから異形のものが視えるという特異な能力を持っていた。視える、と言っても姿、形が完全に視える訳ではない。ぼんやりとその輪郭を、その存在を、纏う気の性質を感じ取る事が出来るという能力だ。
存在を認識出来る、という事は誰もが気がつかないもう一つの世界を知る事に役立った。輪郭を知る事が出来る、という事はそのものの真の姿を知る手助けになった。纏う気の性質を感じ取れると言う事は、邪気を正確に捉えることに役立った。
時に厄介事に巻き込まれる事もあったが、恐れは無かった。そこに存在するものをただ認める般若心経の教えのように、兼続はその事実を事象として捉えることに成功した。そして兼続は古来から日本に伝わる陰陽師のような事もライフワークとしてやるようになっていた。お祓い、除霊、そういう程度のものだ。それも一重に両親の正しい導きもあったからなのだろう。
それを何故兼続は初めて他人に告げたのか、今でも理由を測りかねているのは事実だ。
何か決定的な事実があったわけではなかった。除霊している所を見られただとか、ましてや霊と話しているところを見られたわけではない。もし見られたとしても兼続の性格と話術で軽く交わせただろう。

それをまた何故。

『今、何と言った?』
兼続の衝撃の告白を衝撃の内容として理解するまでに至らなかったのか、時間にして数秒、2人は呆気にとられたように固まった後、三成がゆっくりと口を開いた。信繁は未だ驚いたように兼続を凝視していた姿は常の彼からは少し異なっていて、少し面白かった。
『聞こえなかったのか?三成、良い耳鼻科を知っているぞ』
『…それは今度の機会でいい。メタファーだ。気にするな』
それは知り合って半年ほど経った、秋の気配漂う季節。
告げた場所が少々悪かったのかもしれない、と今になって兼続は思うが、過ぎた事はどうしようもない。それがファミレスだったとしても、兼続にとっては場所は余り関係ないのだ。
『だから、霊が見える。そう言った』
兼続が同じことをもう一度繰り返すと、三成と信繁はゆっくり顔を見合わせた。そして三成はゆっくりコーヒーを口に運び、信繁はちょうどウエイトレスが運んできたランチセットAを慌てたように受け取っていた。
そして次に三成が発した言葉は兼続にとって結構、否、かなり予想外の言葉だった。

『……で?』

『は?』
『だから、それで何だ。まさか除霊の手伝いをしろとかそういう話ではないんだろう?』
『勿論だ。いや、何だ、ってどれだけか?』
『それ以上何を言う事がある?お前が視える、というなら視える。それでいいだろう』
そう言って何でもなかったかのように三成は再びコーヒーを啜った。法学部らしからぬ、豪快な納得の仕方だが、兼続にはそれは酷く三成らしいと思わずにはいられなかった。
『では信繁は、』
先まで呆気にとられていた友人を振り返った兼続はそこで世にも珍しいものを見ることになる。

『そんな気が、していました』

それは言葉に驚いたわけではなかった。確かに言葉に驚かなかったといえば嘘になる。豪快な納得をする三成とは似ているようで、確かに違う理解が其処には存在していた。
しかし兼続が真に驚いたのは、

全てを受け入れるように穏やかに微笑むその姿に、邂逅せよ、と何かが激しく震えた事実だった。




「さぁ休みだ!!何をする?」
史学部で3人が揃い、そのまま向かったのは三成の一人暮らしをしている部屋だ。兼続、信繁も一人暮らしをしているというのに、何故三成の部屋かと問いかけられれば、その答えは大学から一番近いというだけの理由だ。
「お前は休みを遊びに費やすことしか考えていないのか」
「大学生の本分は遊びだろう?」
半分は本気で、残りの半分は冗談で、兼続がさらりと答えれば三成が呆れたように一つため息をつく。その空気を緩衝させるのは何時も信繁の役割だ。
「まあまぁ。兼続さんは実家には戻られないのですか?」
「正月に戻ったばかりだしな」
逆に言えば、兼続の出身は東北が故に戻るのが面倒、という事もあるのだが、それは敢えて黙っておく。兼続の両親も兼続自身が健康でやっていればそれで良い、という放任主義をとっているわけで、定期的に連絡を入れていれば問題ないのだ。
「そういう信繁はどうなのだ?」
「私は此処に」
兼続の問いかけに信繁は静かに笑った。
此処、とは文字通り、信繁が下宿をしているこの地で。まるで此処以外に行くところは無いのだ、と言葉の内容とは裏腹な優しい肯定をしているように思えてならない。

ああ、まただ。
兼続は静かに思う。その静かに笑う姿。それは兼続の何かを抉ってしまうのだ。

思わず信繁の顔を注視していたのか、信繁の注意が三成に向かう。それが故意にやっているものなのか、そう思う事自体が兼続の思い過ごしなのか、兼続には判別できなかった。
「三成さんは?」
「戻る理由がない」
三成の両親は検事と弁護士であり、見事すぎるほどの法律一家だ。
三成が戻っても両親が忙しく、ゆっくり出来やしないのだから戻る合理的理由が無い、という三成らしい皮肉意味を孕んでいる事を兼続も信繁も分かっている。2人は少しだけ顔を見合わせてくすりと笑うと、三成がいぶかしむ視線を寄越してくる。兼続だけに。
兼続は一見無愛想で堅物の友人がここに残ろうとしているもう一つの理由を知っている。
信繁が休み中此処に居る、からだろう。
一見、冷たく見える法学部の秀才の合理的思考と言動を揺るがす事が出来るのは、今のところ信繁しかいない。兼続はそんな不器用な友人と鈍感な友人をこっそり見守っていた。大っぴらに三成を応援することも出来ただろうが、今はもう少し見守っていたい気分だったのだ。それは何故か少し懐かしい心持ちがした。

実を言えば、兼続は信繁の事をよく知らない。
もちろんこの一年の間で彼の人となりはよく知る所となったが、彼の事を人柄以外で良く知らないのだ。恐らくそれは三成も同じだろう。
彼の出身地、家族構成、彼がここまで育った構成要因の全て、それらが柔らかい繭に包まれたように見えそうで見えない。目を凝らせば見えそうな気がするのに、目を凝らせば凝らすほど輪郭があやふやになっていく。育ちの良さそうな振る舞い、所作。神職の息子として育った兼続が、信繁を見て上品だと思うのだから、それは相当のものだ。時代が時代なら良家の生まれと言われても驚きはしない。むしろ納得さえしただろう。
しかし余計な詮索をするほど兼続も三成も無粋でもなければ、子供でもない。生まれが何であれ、信繁は信繁であり、それ以上でもそれ以下でもない。柔らかな言動、諍いを嫌い、誰にでも優しく、控えめで謙虚、丁寧すぎる言葉遣い。それらが全て信繁の為に在ると言っても過言ではない。そう思わせる何かが、その物腰柔らかな青年に在った。
しかしそうすれば、信繁は驚くほど何も語らない。柔らかな笑顔に覆われた彼の背景は何も透けて見えては来ない。

何も知らない、それが現状だった。

「コーヒーが切れたな。入れ直してくる」
ひとしきり休みの予定を話し合って、一段落ついた後、三成が3人分のカップを持って立ち上がった。恐縮する信繁と、遠慮しない兼続。変わらない、いつもの風景だ。
キッチンに立った三成の背中を見送って、兼続は口を開いた。
「信繁、ずっと考えていたことがあるんだが」
「何でしょう?」

「昔、何処かで会ったことはないか?」

兼続の問いかけに、信繁の空気が一瞬止まったように感じたのは果たして兼続の気のせいだったのだろうか。
「、え、」
「いや、時々ひどく懐かしい心持ちがするときがある」
何を言っているんだと言われそうな科白を言っている自覚があったから兼続は1人窓の外を見て小さく苦笑した。だから兼続は気がつかなかったのだ。

信繁の唇が小さく戦慄いていた事に。

「兼続さ、それ、は…、」
「すまない、おかしな問いかけだったな」
言いよどんだ信繁が困っているのだと解釈した兼続は小さく笑って、コーヒー片手に2人の所へ戻ってくる三成に注意を向けた。
だから兼続はまた気が付かなかった。信繁が一瞬だけ見せた、柔らかい繭の裂け目から覗いていた本当の顔を。


信繁の顔が泣きそうに歪んでいた事を。








罪業の果て

小さく縺れはじめた糸の行く末は、