―――因果、その名前を受け入れる者達の見る世界




春が近いとは言え、日の沈む刻は早い。あらゆる自然をコントロールする歴史を刻んできた人であっても、こればかりはどうしようもないだろう。もしかしたら過度の科学発展は今後、太陽の光まで自在に操るのかもしれないが。
そんな事をつらつら考えながら信繁は家路を急ぐ。大学が休みであっても、何かと物入りの前期の講義を前にバイトをおざなりにすることは出来ない。丸一日、大学の付属図書館でバイトを終えた彼は一人暮らしをしているアパートへ急ぐ。
夕刻を少し過ぎた頃。周囲は暗い。カンカンと2階の部屋に続く階段を昇って、信繁は視線を自室のドアに向けて足を止めた。
信繁の部屋の前。薄暗いドアの前に人影が見えたからだ。
「……?」
影の背丈は高い。かなりの大柄だ。その影が信繁に気がついたのか、のっそりと動いた。
「久しぶりだねぇ」
「……」
馴染みのある声。しかし信繁は暫し呆気にとられた。普段から落ち着いた言動をする彼からは、その表情は珍しいものであったが、信繁がそれに気がつくはずも無く、目の前の人間もそれをひやかすような性格をしてはいない。
「ん?珍しい顔してどうしたんだい?」
信繁の目の前の存在はそんな様子を気にした風でもなく、粋な表情を崩さない。そうだ、彼はそういう男だった。今も昔も傾いている。
「あの、…旅行の土産があるんですが、いかがです?」
「お、そりゃいいねぇ」
とりあえず。信繁が発した言葉は些か気の抜けたものであったが、やはり男は気にする素振りも見せず、楽しそうに笑ったのだった。


信繁の部屋はごく普通の1DKだ。まさに信繁が通っている大学生の為に作られたようなもので、他の入居者も大学生ばかりだ。薄い壁を通して時折学生の声が聞こえてくることも少なくなかったが、信繁はそれが嫌いではなかった。
ぽり、と信繁の土産ーちんすこうだーをかじりながら、男は楽しそうに笑った。
「へぇ、沖縄かい。いいねぇ、暖かかったかだろうねぇ。あの二人と行ったのかい?」
「はい。とても良い気候でした」
春休みを利用して信繁は、三成と兼続と沖縄に旅行に出かけていた。男3人で寂しい、と言われてしまえばそれまでだったが、誰も女の影が無いのだから仕方がない。
「沖縄は初めてだったのかい?」
「いいえ、過去に数回。いえ、その時はまだ“琉球”の名でしたので、沖縄は初めてですね」
「そうかい。行ってみたいねぇ」
信繁のかつての王国を戴いていた頃の呼び名にも驚かず、楽しそうな姿勢を崩さずに呟く目の前の男に信繁は口を開いた。
「慶次殿」
「ん?」

信繁の目の前の男は慶次。その本名は、前田慶次。

「あの、どうして此処が?」
「偶然さ。あの巫女さんに偶然会ってねぇ。今生では初めてだったんで驚いた。それで、聞いたんだ」
ずず、とお茶をすすりながらさらりと告げられた言葉に信繁は目を丸くした。
「阿国殿ですか?今、京…いえ、京都に?」
「ああ。今は出雲って名乗ってるんだな。ああ、そういえば近々、アンタに会いに行きたいって言ってたなぁ」
「そ、そうですか」
にべもなく阿国との出会いを語る慶次の軽妙さに、今日幾度目かの呆気に取られながら、信繁は素直に頷いた。はんなり、と笑う美しい顔立ちが信繁の脳裏に浮かぶ。不思議な雰囲気を纏うかの女性はやはり脳裏に浮かんだ姿ものらりくらりと輪郭が柔らかく揺れていた。

***

それは、20年弱前の事。

「アンタの事知ってる」
かつて加賀と呼ばれた場所。今やその名が過去となった土地。バブル経済、好景気、そして終焉、そんな時を迎えた頃。少年が発した言葉。それがすべての始まりだった。
「え、」
思わず信繁は足を止めて、いきなり話しかけてきた少年を見つめた。少年は旧知の仲のように真っ直ぐ信繁を見つめているが、信繁にはその少年を見た記憶がない。何しろ信繁がその場所に赴いたのは、気が向いたからという、酷く偶然めいたもので、過去数十年、その場所に行った記憶が無い。
「面影とかあるのかねぇ…あの時よりは若い、いや子供か。話し方で分からないかい?」
つらつらと紡がれる口調に確かに聞き覚えがあった。しかし、口調だけでなく少年が紡ぐ内容。それは絶対にありえない事、だった。
信繁の目がゆっくりと驚きで見開かれる。
―――まさか。
「……慶次、殿?」
「因果だねぇ。賭けてみるもんだ。俺の事、覚えているのかい?」
にっこりと笑う少年の表情にかつての笑顔が重なる。そこにあるのは確かな面影だった。けれど、それでも。信繁は信じる事が出来なかった。
―――ありえない。
自分の事を棚上げにして、そう思うほど、信繁は驚いていた。
「まさか…」
「確かに信じ難いが、事実のようだ」
表情も服装も一見すれば、それは現代に生きる少年のそれだ。しかし口調が10代と思えないそれであり、信繁の前で話す少年の醸し出す雰囲気は現代のそれではない。
「覚えて、いらっしゃるのですか?」
「まぁねぇ。おかしな事があるもんだと思ったもんだが、頭の中に存在するものを否定したって仕方が無い。誰に迷惑をかけるわけでもなし、それも一興」
「…輪廻、転生」
ぼんやりと信繁が呟いたのは、仏典の教え。しかし記憶まで引き継がれるという話は信繁は聞いたことはないし、もちろん目の当たりにしたのも彼が初めてだった。
「まぁ例え俺の記憶の何かがおかしくて、記憶があったとしても、日常生活には問題ないと思っていたんだが。真実だと証明されると嬉しいもんだねぇ。俺はまだ年の頃は12だ。アンタはあの頃と姿が変わらないねぇ…20くらいか?」
彼は信繁の輪廻を疑っていない様だった。それもそうだろう、そう思うのは仕方ないことだった。
信繁に起こっているこそ、まさにありえないことだった。
「そうですね。当たっていますが、少し違います」
「?どういうことだい?」
不思議そうな顔をした慶次に信繁は殊更優しげな表情が出来るように、その言葉を唇に乗せる。
「見た目が変わらない、のです」

そういって信繁は400年前と変わらない笑顔で、笑った。

***

「ああ、言い忘れてた。来週から大学に顔出す事になったんだ」
「…は?」
湯呑みを口元に運びかけていた信繁の手が、止まった。慶次の言葉の意味を理解しきれずに目をまん丸にして、じっと新しいちんすこうを口元に持って行っている慶次を見つめる。
「薙刀のコーチに呼ばれてねぇ。名前を聞いて驚いた。まさかアンタが通っている大学とは思わなかった」
「そう、…ですか」
信繁にはそうとしか言いようがない。
相も変わらず傾く生き方をしている彼は、学生の時は薙刀で多くの大会で優勝したらしい、と信繁は聞いている。それは嘗て彼が愛用していた矛の動きを継承したものだからだろう。しかし将来を有望されながらも、大学卒業後はその道一本に絞って生きるわけでもなく、自由気ままな生き方をしながら、時折薙刀のコーチをしては働いているようだった。
信繁はもう長く、槍を持っていない。

「あの二人は相変わらずかい?」
「ええ、」
信繁の邂逅はそこで遮られた。穏やかに返事をして目の前の存在を見やると、その瞳は先とは違い、酷く柔らかいような懐かしむような、そんな色が見え隠れしている。
「元気かい?」
誰か、とは慶次は聞かなかった。しかし信繁は聞かずとも、誰か、が分かっていた。
「…お元気ですよ。大学できっと会えます」
「そうだねぇ、楽しみだけど、」
少し、怖いねぇ。
慶次は遠くを見つめるように、何かを思い起こすように静かに呟いた。

――会うおつもりはないのですね。
信繁は心中で静かに呟く。その言葉を口に出して聞くことは出来なかった。
400年、経った。
皆がそれぞれの生を生きている。今、を。それは徹底的に正しいことなのだ。全てはボタンを押されたかのように、リセットされた。その絶え間無い、誰もが享受するその運命を受け入れねばならない。
前の世を想い描いて、触れあうことは、許されるかもしれないが、そのまま許容することはできない。
慶次はそれを良く分かっている。
そしてそれを分かっている信繁も、自分を何処に置いていいのか分からない。
信繁の記憶は前の世のものでも、リセットされるものでも、ない。信繁は真理が巡る命の循環の輪から、外れてしまった。
己は何処に向かって生きているのか、何故生かされているのか、過去生を受けて生きる馴染みの顔の中で今をどう受け止めるべきかが、

――分からない。

***

「土産、美味かった。ご馳走さん」
「ではお気をつけて。また遊びに来てください」
近くの公園まで家路につく慶次を見送って、信繁は空を見上げる。ぼんやりと浮かぶ月は朧気で、まだ寒いものの春の足音が聞こえ始める。

―――春。
それは桜の季節。
あの約束されし、幻影はぼんやりと語りかける。
『来年の桜も見よう』
結局、ずっと待っていた。果たされない約束だと知りながら。けれど毎年、季節が廻るたびに桜を見て思い出さない事は無かった。
今年もまた、桜が咲く。約束を待ちながら。


「お久しゅう」
ゆっくりと響く、耳障りの良い声に信繁は振り返った。今度は驚かなかった。想いが過去に飛んでいたからかもしれない。
「…阿国殿。お久しぶりです。もう少しタイミングが良ければ、先まで慶次殿と一緒にいたんですが」
「何や驚かはらん、と思ったら慶次さんに先を越されてしまいましたか」
それは暗に自分がこの地にやってきている、と言うことを慶次が教えた事を示しているのだろう。その彼女らしい言葉に信繁は表情を和らげる。
「ええ。何時から此処に?」
「ほんの一週間ほど前どす。やはり此処の方が性にあうみたいやわぁ。稼ぐには此処が一番」
言葉の内容に反して、艶やかな笑みを浮かべる出雲の巫女とは長い付き合いだ。時折ふっと表れては、ふっと姿を消す。外に名乗る名を出雲と変えた今も、その美しい容貌に微塵の変化も見せずに。
――そして常に彼女は全てを知っていた。
その理由を信繁は知らない。巫女だからか、何かの力が働いているのか、何なのか。もし聞いたとしても曖昧に誤魔化されるような気が信繁にはしていた。
阿国。出雲の国の巫女の名前を持つ彼女は慶次に近い存在、というよりはもしかしたら信繁に近い存在なのかもしれなかった。
「京は久しぶりやさかい、色々変わってしまっとるんやろか」
「ええ、多少は。阿国殿さえよろしければ、案内でもいかがですか?」
「まぁ、嬉しいわぁ。是非案内してもらいたいわぁ」
互いに多くは話さない。それがいつの間にか二人に出来上がったルールだった。時折こうやって生が交差することはあっても、また離れる。その奇妙な距離感は遠い時代から少しも変わっていない。

「信繁」

その声に信繁はびくりと体を震わせた。声の方に振り返って、予想と寸分違わない姿に信繁は息を詰めたが、自分を呼ぶ名が本名ではない事に、思考が一気にこの時代に引き戻される。
「…三成、さん?」
少し離れた所に三成が立っていた。その視線が何時もより些か厳しいものに見えたのは信繁の気のせいだろうか。信繁がその内心を推し量る前に三成は素早く信繁と阿国に近寄る。
「信繁、こんな所で何を?」
「あら、相も変わらずええ男やわぁ」
「は?初対面では?」
うっとりと感心したように呟く阿国の言葉に三成の表情が訝しげなものになる。
「お気になさず。独り言です」
ペースを崩さない阿国に流石に信繁も焦った。慌てて2人の間に立って場を繕う。
「三成さん、この方は出雲さん」
「占いを生業にしてます。出雲は商売名として使わしてもろてます」
「私はあまり詳しくないのですが、その界隈では有名な占い手の方だそうです」
「信繁さん、本当にその正直なとこ、変わりませんなぁ」
上品に笑いながらも的確な言葉を投げかける阿国に、信繁は少しだけ苦笑してから、三成に向き直る。
「出雲さん。こちらは石田三成さん。同じ大学の友人です」
「ええ男やわぁ。さぞかしもてはるんやろうねぇ」
「失礼。…信繁とはどういった知り合いで?」
この三成の言葉に、言葉を投げかけられた本人でない幸村は首を傾げた。元々日本語特有の湾曲する言い回しをしない三成ではあったが、それにしても直接的な問いだ。少し眼差しが何時もより厳しいのも気にかかる。その理由を信繁は考えあぐねていたが、当の阿国は少し楽しそうにふふ、と笑った。
「話すと長いんどす。顔なじみで友人という所やろか」
「そうなのか?」
阿国の言葉の真偽を確かめるように三成の視線は信繁に向けられる。
「はい。良くしていただいています」
言葉の意味を真っ直ぐに捉えた信繁の返答は事実そのままのもので、信繁には何の他意も無い。しかしその信繁の言葉にも三成は小難しい表情を和らげようとしない。信繁が再び首を傾げかけた時、阿国が思い出したように鈴の奏でるような声を出した。
「あら、こんな時間やわ。うちそろそろお暇します」
「あ、女性の一人歩きは危険です。送っていきます」
「嬉しいわぁ。せやけどうち、そこいらの柔い人には負けるような女やあらせんで、大丈夫」
「ですが、」
「それやったら、今度案内してもらうときに、そこの男前なご友人も一緒に。両手に花もたしてください」
信繁の提案をやんわり断る阿国は確かに並みの人間に負けることはまず無い。並みの人間で無くとも勝てるような力を秘めた女性、それが阿国だ。それを信繁は分かっていたが、敢えて申し出た言葉を辞退されれば無理強いすることも無い。信繁はあっさり引いて、阿国の言葉を尊重する事にした。
「分かりました。くれぐれも気をつけてくださいね」
「ありがとう。ほな、また」
そうして美しい笑みを一つ残して、阿国は闇夜に溶けていった。

公園に残された二人は暫し阿国の後姿を見送った後、三成は呟くように言った。
「一緒に行かなくてよかったのか?」
「?出雲さんの事ですか?やはり女性の一人歩きは、」
まずかったでしょうか、そう続けようとした信繁の言葉は三成によって遮られる。
「違う。そうじゃない」
「あ、出雲さんと京を案内する約束を勝手にしてしまいました、すいません、勝手に…」
「そうじゃない」
「?」
またもや言葉を否定され、信繁はますます首を捻った。三成の言いたい事が見えてこないからだ。
「…、ではないのか」
「はい?」
「彼女、ではないのか」
「……………は?」
信繁は後になって今日は呆気に取られる事の多い日だった、と言う事に気がつくことになるが、今の信繁にそれを意識する余裕は無い。それほど三成の言葉は意外性に富んでいた。
「だから、彼女は恋人ではないのか、と…」
「そんなまさか!出雲さんは良い方ですが、間違いなく友人です」
信繁は瓢箪から駒が出たような驚きの顔をして、三成の言葉を真っ向から否定して見せた。信繁は今も昔も阿国をそういう対象としてみた事は無い。
その言葉に今まで険しい色を浮かべていた三成の表情が和らいだ。信繁はおや?と思ったが、生来の性格が邪魔をして、その疑問を追及することはしなかった。
「……ならいいんだ。先に言っておくが、俺は先の女性を何とも思っていないからな」
三成らしい言葉に信繁の表情が和らぐ。もし信繁が三成に抱いた疑問をとことん追求する性格だったなら、もし三成の行動一つ一つが何を指しているのか信繁に気がつくことが出来たなら、三成の抱く感情の一欠けらでも信繁は気がつくことが出来たかもしれない。しかし信繁の誠実な性格は人の裏を読むと言う事を知らなかった。

「にしても、こんな所で会うとは奇遇ですね」
「いや、信繁の所に行こうとしていた所だ」
「そうだったんですか?」
「携帯に連絡をしたんだが」
少し気まずそうに紡がれた言葉に、信繁はしまった、という表情を浮かべた。ズボンとジャケットのポケットを無意識に探って己の失態を確信する。
「すみません、携帯を家に置いてきてしまったようです」
「ならいいんだ。少し心配になってな」
「すみません、…いえ、ありがとうございます」
ふわりと胸に灯るのはじんわりとした暖かさ。その暖かさを少しでも伝えられたらいいと、信繁が素直に礼を言えば、三成も少し笑う。信繁は今も昔も変わらないその表情が好きだった。その不器用な笑顔に、彼の本質が滲み出ている。
「いや、何も無いならいいんだ」
「是非寄っていってください。ああ、もうこんな時間ですし、今日は泊まっていってください」
「いや、そんなつもりでは」
「遠慮なさらず」
穏やかに信繁が笑えば、三成は少し考えているかのように視線を巡らせてから、小さく呟いた。
「…信繁がそう言うなら」
「はい。少しコンビニにでも寄って買い物をしていきましょう」

平和な時代。
よほど理不尽な理由が無い限り、そう簡単には命を奪われない、そんな時代。
月が照らす2月の夜に、月夜が照らす2人の影が薄く伸びていた。





罪業の果て

知っているもの、知らざるもの、