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―――誓約、其れは果たされる事の無き記憶 「おい、おい、三成」 何故かこっそり呼びかける声。三成はその声に聞き覚えがある、…というよりほぼ毎日聞いているその声の主が分からないはずもなく、少しうっとおしそうな調子を醸し出して見せながらゆっくりと振り向いた。 「…何だ、兼続。そんな所で。何かやましいことでもしでかしたのか」 6月も上旬が終了し、じっとりと汗ばむ季節は不快感を醸し出しながら、梅雨の到来を告げている。そんなどんよりした空気に覆われている5コマ目が終了したこの時間には、大学内であっても人気は随分少ない。 5コマ目の講義を終えた三成は、今日は4コマで講義が終わった信繁が図書館にいる、と知っていた。だからこそ三成は図書館へ向かっていたわけで、同じく兼続も5コマが終わり同じく図書館で合流するはずだった。 そんな兼続が何故かわざわざ人目を忍ぶように図書館に通じる道の端で三成を呼んでる。その行為が示す面倒事の予感に三成は小さく息をついた。 「…で、何だ」 「知ってるか?」 「知らん」 三成の即答に、いくらかはぁと演技がかったため息をついた兼続は、手を腰に当てた。 「ああ、分かってる三成。お前はそういう男だったな。単刀直入に言う」 「信繁がキレたそうだ」 「…はぁ?」 5コマ目の講義をきっちり受け、少しばかり疲れてた三成は、兼続の言葉に胡散臭そうな声を零した。 「俺は疲れてるのか?今、お前の口からありえない言葉を聞いた。…信繁が何だって?」 そう問いかける三成の方眉は見事につり上がっている。一見すると怒っているように見えるが、そうではないことを兼続は知っている。話のネタに信繁が上った事がそもそも気に食わないのだ。それに加えて、その内容ものっぴきならない。この三成の反応は兼続の想定内だ。 「キレたそうだ。いや語弊があるな。怒ったらしい。いや怒ったという言葉も語弊があるか…」 「つまりどういう事だ?信繁はキレてもないし怒ってもないんだろう?そんな迷い事をどこから仕入れてきた?くだらない」 「くだらないかどうかは別にして、迷い事とは言い切れないようだぞ」 「…どういう事だ」 流石に兼続のこの言葉を無視できないと悟った三成は図書館の方に向いていた体を兼続に向き合わせた。 「5コマの時に神道の講義で、史学部の人間がいるんだ。なかなか面白い奴でよく話をするんだが、聞いたんだ」 「何を?」 「彼は今日の4コマの時は信繁と同じ講義を取っているらしい。その講義は独特で、講義と言うよりはどちらかというとゼミの形態に近い。教授が指定した時代と人物、それに付随した事件について担当した学生がレジュメを作って発表する。もちろん他の学生もその内容について事前学習をして、質疑応答が出来るレベルでないといけない。しかもテストはないが単位認定が厳しい。どうだ?ハードだろう?」 「講義の内容は分かったが、それと信繁がどう繋がる?」 三成の表情は変わらない。本題に入るまでの導入が長いことに焦れったさを覚えているようだった。 「まぁ話はここからだ。信繁はこの講義随一の知識量を誇る。他の学生が助けを求めるくらいだ」 「ああ、そう言えばそんな姿も見たことがあるな」 そう答える三成の脳裏に信繁に意見を求めている学生がいた光景が思い起こされた。確かその時は幕末についてどうとか言っていたような気がする。 「信繁はああいう性格だろう?どちらかというと講義の中でもそっと助け船を出すことも多いそうだ」 「信繁らしいな」 静かに笑う三成のy柔らかい笑みは信繁が関係する時だけに浮かべるものだ。最近、その傾向が顕著になってきている事に兼続は気がついていたが、やたら微笑ましい気持ちになるのが心地よく、今はそっと見守っている。 「で、今日だ。テーマは関ヶ原。扱う人物は自由だったそうだが、今日の担当の学生はお前と同じ名前の男を選んだ」 「普通に石田三成と言え。俺は400年前の人物とは無関係だ」 「まぁピリピリするな。まぁテーマはさほど問題ではない。問題は担当の学生だ。プライドが高く、賢いという自負、―つまり思いこみだな。極論や感情論がやたら多くて、この講義ではあまり良く思われていない学生だ」 「ソイツはバカという事だな」 その清々しいまでの的確な言葉に兼続は笑う。否定しないのは兼続も同意見だからだ。 「そうはっきり言ってやるな。そこで今日もその男は主張という名の暴論を繰り広げた。そこで…」 「信繁か」 「当たりだ。いつもは人当たりのいい信繁も勘弁ならなかったんだろうな。もちろん穏やかな口調も態度も変わらないが、その男の発表内容を優しく、そして完膚無きまでに論破した」 「それが何だ。信繁の行動は妥当だろう?」 「もちろん。ただ、今までそういう行動をしてこなかったせいか周囲は驚いた。だからキレただの、怒っただの、そういう話しになったわけだ」 「その男が馬鹿な持論を展開したせいだろう?それがどうした」 それだけを言い残して三成は図書館に向かう。 おそらく三成が信繁の立場であれば、客観的事実を以てして、その秀麗すぎる表情を少しも変えることなく、相手の主張を一つ一つ潰していくようなディベートをするのだろうと兼続は思った。そして同時に同じ学部で無くて良かった、とも思う。 信繁関係の話を三成に知らせないのも何だろうと思い、言ってはみたが、三成のリアクションは兼続の想像していた通りのものだった。三成は他人の評価など気にしない。三成が見て、感じたものだけを真っ直ぐに信じるのだ。故に他人との衝突も多いが、その生き方にぶれはない。そういう所が友人として誇らしいと思うのだ。 「まぁ確かに“それがどうした”だな」 そんな思いを表情には微塵も見せずに兼続は三成の後に続いた。 *** 図書館で静かに本を読んでいた信繁、―もとい幸村は、不意に人の気配を感じて顔をあげた。 「勉強か?優秀だな」 「…いえ、そういうわけでは」 目の前には先の授業で信繁が真っ向から議論をした相手が立っている。 幸村は少しだけ苦く笑って会話を切り上げようとしたが、相手はそれを許さなかった。 閉館間近の図書館に人気は無い。 それを目の前の人物も知っていて幸村に話しかけたらしく、幸村の座っている前に腰を下ろした。彼は何も話す事はない幸村とは違って、まだまだ会話を続けたいらしい。 「なぁ、関ヶ原に思い入れでもあるのか?」 「……」 幸村は敢えて無言を貫いた。 「じゃあ石田三成に思い入れでもあってこの学部を目指したり、とかか?」 「違います」 その問いかけに幸村ははっきりとした否定の言葉と共に、視線を上げた。 「じゃあ、他の奴ならまだしも、上田が何であんなに反論したわけ?」 「反論に聞こえましたか?」 「反論じゃなかったわけ?」 幸村は人の性格について論じるつもりは毛頭無い。 人の性格は評価されるべき属性に入ってはいないからだ。 多くの人間を見てきた蓄積は伊達ではない。人の性格など一言で言い表せない。誰しも長所と短所を併せ持ち、それらが複雑に絡まりあい、他人には決して全てが見えないもの。それが人と言うものなのだ。 だが、出来ることならこの場は穏便に済ませたかった。 今更、関ヶ原―、あの戦いについて論じる気は今の幸村には少しも無かった。 「私は事実に基づいて意見を言ったまでです」 「事実?勝てば官軍だろ?負けた奴を批判して何が悪い?」 「悪いとは言ってません」 「じゃあ何だよ」 その言葉に幸村は静かに、肺の奥からゆっくり絞り出すように息をはいた。 幸村が見るに、彼の先の講義での持論展開は暴論と言って相違ない。 ”勝てば官軍” 彼が今日、述べた石田三成を含め西軍の評価は、その言葉に特化したもので、出来れば思い出したくも無かった。 平穏な時代に生きている人間から受ける評価。それを否定するつもりはない。幸村が否定したくなるのは実際にあの時代を生きた体現者だからこそであるという自覚もある。 ましてや後世の評価で過去の時代の善し悪しさえ簡単に決まってしまうのだ。 それを知っているからこそ幸村は静かに今日の出来事を流そうとした。 ――流そうとした、と言うのに。 何かが幸村の中でじわりじわりと融解する。 戦いの記憶。裏切りと策略。時代に翻弄された多くの命。六条で散った魂。敵対した友人。 何もかもが、 「ならば問いましょう」 幸村は静かに問う。記録されない歴史を勝手に肉付けしてしまう存在に。時代の体現者は、問う。 「おい、あれは」 「…」 図書館にやってきていた兼続と三成に気がつかないままに。 「何故あなたは歴史に沈んだ者が否定されるべきと考えるのですが?勝利は戦法と人望だけで成し遂げられると?恐怖こそ真の結束と上辺だけの人望を作るのかもしれない。人の心を信じる事で破れ去る無情もあるのかもしれない。敗北を悪とするなら、それは憶測でしかない。」 幸村のその瞳の奥に潜むは静かな光だった。誰をも、何をも畏れぬ静かな光。 その姿に並々ならぬものを感じ取った男は僅かに怯み、そしてその怯みは怯えと為って焦りを生む。 「う、上田だって、それは憶測だろ?」 「そうです、憶測です。歴史は記録でしか規定されない。それが若干の虚構と誇張を含んだとしても記録されてしまえばそれが歴史です。反証がないかぎり覆い返されることはない。反証とは新たな記録です。時代と共に沈んだそれぞれの信念があったとしても記録されなければ、無きに等しい」 「な、何なんだよ」 「だからこれは水掛け論です。私が善を主張しようとも、学問研究の前では意味がない。だからあなたも、」 幸村は真っ直ぐ相手を見つめた。 「例え死しても確かに存在した人物です。正当な根拠無く主観的憶測でその人物を好き勝手に評価すべきでない。それは愚弄です。」 「う、上田。お、お前も、そんなのは主観だろ!?何の権利があって…!」 その言葉に静かに幸村は笑った。それは優しい笑みだった。 「そうです。今、この瞬間は私も主観で話をしていますし、なんの権利もありません。これは私自身への忠告でもあります。だからこういう話は講義ではしませんし、レポートにも論文にも書けません。これは私の憶測で、学問研究に属さないからです」 「分かったような顔しやがって」 「…すみません」 ただ静かに幸村が謝れば、これ以上の言葉を見出せずに男は逃げるように歩き出した。少し離れた場所に立つ、三成と兼続を一瞥し、そそくさとその隣をすり抜けていった。 幸村は、兼続と三成の視線だけで今までの会話が聞かれていた事を悟り、困ったように視線を巡らせた。 「お見苦しい所を」 「大丈夫か」 「はい。お待たせしました。帰りましょう」 三成と兼続の気遣う視線を逃れるように、幸村は机の上の荷物を片付け始める。 この事だけは説明しようにも説明の出来ない事だ。 記録されていない事実は消える。 義を誓い合った記憶は記録されていない。歴史の中に埋もれ、消える。 だから、これはどれだけ主張しようとも主観的意見として学問の世界に、記録される事実に浮上しない。果ては妄想、小説の中の世界と言われてしまうのが事の果てだ。 だから。 義を、―心の中で大切にしたい気持ちのために戦った―、そんな事実は無いのだ。 それぞれにそれぞれの思いはあった。皆が笑える世、泰平の世、義の世、愛を守る世、主を守るため、覇道の先を見るために。負けた者も勝ったものも等しく掲げた理想があった。 そこに良いも悪いもない。 それは歴史の中に沈んだ、事実に成り損なった事実。 |
罪業の果て 伝えられぬ事実、消えた時代、 |