「こんにっちわー!」 庭先から突然響いてきた女の声に、三成は筆の手を止めた。 (…何だ?) 刻は牛を少し過ぎている。 城の人間ではない事は容易に推察された。こんな時間に三成の執務室を訪ねてくる者などあまりに非常識すぎて、緊急事態以外にそんな事があるはずがない。 庭先から聞こえて来たと言う事はこの城の門番を掻い潜って進入経路を確保したということになる。 (刺客か、それとも忍びか) 事を荒立てるのはよくない、と三成は蝋燭がゆらめく薄暗い自室で音も無く鉄扇を手に取り、明かりを消した。蝋燭の光の影でこちらの動きを悟られないようする為だ。 「あ、こんばんはだった。間違えちゃった」 能天気な声は庭先から今も響く。 三成はこの奇妙な来訪者を目で確かめるべく、庭先に面した障子を素早く開けた。 「女…?」 三成の目の前、綺麗に整えられた庭の石の上。女が立っていた。若い。 忍びだ。三成は直感でそう思った。 「あ、三成さんー?こんな時間までお仕事?大変だねぇ」 「何の様だ。忍び」 三成は眉一つ動かさずに問うた。相手は忍びだ。油断は出来ない。目的は暗殺か。 十分に考えられる事だった。戦場、そして政でその知略を如何なく発揮する智将、石田三成には外にも内にも敵が多い。 手に持つ彼専用の武器である鉄扇は既に開かれており、いつでも戦いに望めるようになっていた。 「やだやだ。男の人ってすぐにそーやって熱くなるんだから。アタシは戦いに来たんじゃないって」 「ならばこの刻限に何の様だ、と聞いている」 「んーちょっと三成さんに見せたいものがあって」 忍びは少し笑って言った。まるで不審者丸出しではないか。三成は涼しい顔のまま思う。やはり油断できない。 「何処の者だ。名は?不審者でないのならそれくらい答えられるだろう」 「んもー疑り深いんだから。アタシはくのいち。」 やはり忍びか。しかも此処まで入り込めたのならば相当のてだれだ。目的が読めない以上、警戒を解くなと言う方が無茶な願いだ。 「幸村様の忍びだよ」 そこで初めて三成の眉が動いた。 「…幸村の?そんな者がいるなど聞いたことがないぞ」 「うん、そうだと思うよー。コッチの幸村様は私を知らないもん」 「“コッチ”…?如何いう事だ。分かるように説明しろ」 「うーん、分かるようにって言われてもなぁ…。うーん。困ったなぁ」 益々怪しい。この時間に三成を訪ねてくることもおかしければ、幸村の忍びということも怪しい。そしてそれを『こっち』の幸村が知らないだと?まるで要領を得ない上にその存在はこの世から浮いたように奇妙だった。 家の者を呼び起こして捕らえてしまった方が良いか、と三成が思い始めた所で女がにっこりと、笑った。 「口で説明するの、すっごい難しいんだよねー。ちょっと見てもらおうかなにゃ」 「は?何を、」 と三成が言いかけたところで、女は何かを唱え始めた。 まずい、呪言葉だ。三成はすぐさま感付き、その瞬間鉄扇を振り上げた。 が、しかし。それは女忍びの術式完了に一歩遅れ、三成は強い光に包まれた。 ******* 三成が気がついたとき、見慣れない景色が広がっていた。先までいた場所ではない事は明らかだ。 周囲は暗い。何処かの城の内部という事は容易に知れた。 「まーちょっと人助けだと思って、付き合ってよ」 隣にはあの女。くのいちがいた。 「…如何いう事だ。此処は何処だ」 「小田原城だよん」 「小田原…?」 そんな馬鹿な、三成は思う。小田原は豊臣の圧倒的な物量作戦で陥落して、今はもう無いはずだ。 そして其処で初めて幸村と、会った。 そう。 出陣前に兼続、幸村と義の誓い、を。 「三成さん、訳が分からないって顔してるよね〜。当然だよね。うんうん。」 くのいちは三成を置き去りにしたまま、一人でうんうんと頷いている。 「その一人で納得するのは止めろ。分かるように説明しろ」 「まぁ、簡単に言えばー、さっきまで三成さんが居た所が『コッチ』で、今いる此処が『あっち』ってことかな?」 「…は?冗談はよせ」 其処で二人の会話はピタリ、と止んだ。 「……行くよ、三成さん。今は、話している時間が無いみたいだし?」 「とりあえず付き合うが、後でもっと分かるように説明しろ」 「了解ん」 二人の目前には、侵入者に気がついた小田原城の兵達が二人を排除せんとすべく、殺気を隠すことなく集まって来ていた。 ******* 「やっと4階制覇ー!次は天守閣だよん」 「ともかくも此処が小田原城だと分かった。分かったが、どういうことだ。何故この城に奥州の伊達が居た?そして兵に葵の紋がついていた。どういうことだ」 三成が知っている世界は豊臣の世であり、今は奥州の王も徳川も豊臣に従っている。そして確実に小田原城など存在しない。していてはいけないのだ。 しかし秀吉亡き今、徳川、他の武将達に不穏な動きがあるのは確か。豊臣の世が危ういのは、確かだ。 だが。この世界は違う。 三成の知る世界とは違うのだ。 「この世界の幸村様は三成さんの事名前は知っていても、友達じゃないよん」 その言葉に反射的に三成はくのいちを見た。 くのいちは天守へと続く階段を今まで見た事の無いような硬い表情でじっと見ていた。 「この世界の三成さんもね、当然幸村様を知らない。友達じゃない。兼続さんもねん」 嘘ではない。三成は思った。 そのくのいちの表情があまりにも硬かったからだ。 今までのくのいちののらりくらりとした話し方ではない。それは戦場に駆ける武士のような瞳と、隠しきれない切迫感があった。 「信じたくは無い、が…此処は俺の居た世界とは別世界とお前は言いたいのか」 そんな馬鹿な、とは思うが、そうと言わないと説明がつかない。 「ご名答。“この世界の”家康は幸村様を恐れてる。アタシは此処で家康と半蔵を殺す。…幸村様を守るために」 「………」 「幸村様は家康軍の別働隊と今、戦ってる。今の内に徳川の頭を潰して幸村様をアタシは助ける」 瞳に揺らぐ光と影。決意と、…絶望、が入り混じったような女の顔は酷く固い。 まるでその先を知っているかのように。 「…くのいち、お前は幸村、を」 「じゃないとアタシ無職になっちゃうんだよねー。困っちゃう」 三成の言葉をすぐさま否定するように遮ったくのいちは硬い表情を崩し、さっきまでのへにゃりとした表情に戻った。 もう三成は何も聞かないでおこうと思った。 女の決意と想いが存分に三成に示されていたからだ。そう、それは酷く三成が抱えている感情に近い。 「…分かった。手伝おう。この上に徳川家康と服部半蔵が居るんだな」 「うん」 「行くぞ」 その言葉を皮切りに二人は一気に階段を駆け上った。 ****** その景色に三成は絶句した。 服部半蔵と徳川家康の撃破。それをくのいちとの共闘で三成は見事に果たした。“この世界”の家康と半蔵は三成が知っているその姿と存分の狂いは無かった。少し纏う衣服が違うな、と思ったくらいだ。 そしてくのいちの道案内に従うまま、幸村が戦っている場所へと向かった。幸村を助けるべく。 しかし。 「どういう事だ…」 鬱蒼とした森の中。三成は呆然と呟いた。 何体もの屍が転がっている。それを別段三成は驚かなかった。当然だ。三成は最前線で戦う事は少ないものの、合戦には数え切れない程出陣しているのだから。屍など見慣れていた。 しかし。 「馬鹿、な…」 地面にひれ伏す屍が纏っている甲冑には見慣れすぎたソレが刻まれていた。そして同じように見慣れすぎたソレが刻まれた旗が破れ破れに転がっていた。 六文銭。 真田家が掲げる、紋。 三途の川で渡し舟に支払う、その六文。 いつでも死ぬ覚悟で戦うという事を高らかに宣言する、高貴な紋。 そして屍の中。目立ちすぎる赤が目に入った。 赤の甲冑。それを纏うのは。 「幸村…」 見慣れた顔だった。甲冑の様式が、三成が記憶しているものとは若干違うのは此処が別世界である事の証明か。 しかし、これは 幸村 だ。 三成は一歩踏み出した。くのいちはただじっと、三成の背中を見たまま微動だにせずに立っていた。 「起きろ、幸村」 ただ眠っているようにしか見えない。その体に見える傷が、ない。顔は驚くほど綺麗なままで。 眠っているように、しか。 「こんな所で寝るな、幸村。風邪を引いてしまう」 しかし、幸村は動かない。 静かに目を閉じて、動かない。 「ゆき、」 「これがアタシの生きる世界。」 くのいちが三成の言葉を遮り、静かに言った。 「全部無くなっちゃった、世界。」 無音になった。森の中なのに葉が擦れる音さえしない。 「……承知だったのか」 三成は静かに問うた。その声は僅かに震えている。 「お前はこれを承知で俺を“此処”に連れてきたのか…!」 振り返った三成は端正な顔を怒りに染めていた。声は激昂に震えている。 「うん。全部知ってたよ」 「どういうつもりだ、何が目的だ!答えろ!!」 こんな死に顔を見せるために。こんな姿など。こん、な。 「三成さんは大きな戦をするんでしょう?」 くのいちは静かに言った。三成とはまるで別の口調で、静かに淡々と、表情もなく。 「あの家康と大きな戦をする、んでしょ?」 関ヶ原、三成は瞬時に悟った。 しかしこれはまだ構想段階だ。兼続、幸村、左近。一部の人間しか、知らない。 「幸村様にこうなって欲しくなかったら、絶対に負けちゃダメ」 「なに、を、」 「貴方は絶対に負けちゃダメ。死んでもダメ。」 くのいちは真っ直ぐ三成を見ていた。 天守に続く階段を見つめていた階段と同じ表情だった。 「アタシには出来なかった。だから、」 「くのいち、お前…」 「アッチの世界の幸村様をどうか、幸せに」 周囲の景色が突如、ぐにゃりと歪んだ。 元の世界に戻るのだと、確証の無い直感が三成の頭によぎる。 「アタシが此処までしてあげたんだから、しくじったら怒っちゃうよん」 最後に三成が見た女忍びは笑っていた。 ただ、小さく、哀しそうに笑っていた。 ******** 「殿、殿!!」 揺り動かされる不快な振動に三成は眉を寄せた。 「ちょっと!起きて下さいよ!!朝ですよ!」 「…何だ、左近」 目を開ければ見慣れた家臣の顔。その近さにまた三成は眉を寄せた。 「顔が近い。どけ」 「起こしてあげた家臣にそれはないでしょーが」 ゆっくり身を起こすと、そこは見慣れた自室だった。書きかけ途中の書簡が無造作に散らばっている。 部屋は明るかった。闇夜は過ぎ去り、ただ太陽の光が三成の自室を照らす。 「寝るならきちんと布団で寝てくださいよ、全く」 困ったように言う左近の言葉を軽く無視をして、開け放たれた障子から庭を見た。 そこでだんだん眠りから頭脳が覚醒し始めた。 そして三成は固まった。そうだ昨晩は。 (ーーーーーー!!) 慌てて三成は左近に問うた。 「おい!家康はどうしてる!!」 「…は?知りませんけど…三河の居城で爽やかな朝を迎えているんじゃないですか?」 「幸村は!!」 血相を変えて問う三成の様子に、左近は僅かにいぶかしむ。 「どうしたんですか。今日は上田から幸村が来る予定だったでしょう?」 「本当だな!では兼続は?」 「はぁ?あの方は昨日いらしていたじゃないですか。忘れたんですか?」 何事も無く言う左近の様子に三成はやっと肩の力を抜いた。 “此処”は本物だ。そう。此処こそ本物だ。間違いない。幸村は今日、此処に来る。 命という光を掲げ、証明しながら此処にくる。 「…そう、か。そうだったな」 三成は額に手を当てた。額には汗が、じっとりと滲んでいた。 「どーしたんですか、殿?医師呼びます?」 「いや、いい…。気にするな」 左近の言葉にも三成は気付いてないといった様子で、ゆっくり息を吐いた。 「少し夢見が悪かっただけだ」 だが。やけにリアルな夢だった。 しかも最悪と呼べる程の。 三成は庭を見る。 (本当に夢だったのか?) じっと目をこらすと、庭に僅かな足跡があるのが目に入った。 あれは、あの女が立っていた場所では無かったか? 「……まさか」 「殿?」 『アタシが此処までしてあげたんだから、しくじったら怒っちゃうよん』 あの言葉が、三成の脳内を再びよぎって、三成は再び絶句した。 |
悲劇未満