「私たちは何処へ向かうのでしょうか」
静かに問うた幸村に、三成は静かに口を開いた。




[LAST SIDE]




あまりの偶然に二人は同時に固まった。
「………みつ、なり、どの?」
「………ゆ、きむら?」

二つの世界の混合により、魏呉蜀及び戦国大名の領地が曖昧なまま、幸村はぼんやりと散歩と称して愛馬で信玄の力が及ぶぎりぎりの場所まで駆けていた。それが魏の方向であると言うことは、全くの無意識だった。
もしかしたら気づいていたのかもしれないが、脳は幸村の表層意識にその願望を伝えなかった。
また三成も、左近に会ってからというものの、無意識に封じていた己の願望を目の前に叩きつきられてしまい、馬を走らせていた。武田軍が陣を張っている方向へ。
しかしまさか当の幸村に会えると思っていなかった三成は、踏ん切りのつかない居心地の悪い思いをしながら、武田軍の陣営から最大限離れた場所、しかし武田軍のものとも誰のものともつかない場所で二の足を踏んでいた。

それがこのいきなりの突然の再会である。

「「………」」
二人は同時に何を言って良いのか分からず黙り込む。
空ではスズメがちゅんちゅんと暢気な声で鳴き、幸村の愛馬がヒヒン、と小さく鼻を鳴らせた事でて幸村は我に返った。
「お…お久しぶりです。三成殿」
「ああ、そうだな。…変わりは無いか」
「はい、このとおりです。三成殿は」
「ああ、別段変わったことは無い」
「「………」」
ぎこちない会話がそう弾むわけも無い。
「とりあえず立ち話もなんですから、その木の下で…その話でも」
幸村は視線だけで道端の木々の中でも一際大きな木の下を示した。
「…そうだな」
三成に異を唱える理由も無く、幸村と三成はとりあえず馬から降り、木立の下で休むことにした。





「…遠呂智を倒したそうだな。左近から聞いた」
三成は木の幹に背をあずけ、小さく呟き、視線を空に向けた。今日も皮肉なくらい空は澄んだ青をしていた。
「戦国の英傑が揃い、優れた軍略。左近殿のおかげです」
静かに交わされ始めた会話にはぎこちなさは無く、靡く風のように静かに流れる。
「左近を過大評価しすぎだ」
いつもの調子で三成が答えれば、幸村は小さく笑った。ゆるく靡く風が幸村の黒髪を揺らす。
「共通の敵がいれば、元の世界の大名のように戦いなど起こらないのだと…思いました」
三成は幸村を見た。幸村はただ前の景色を見ていた。その寂しげな微笑は、三成の知る幸村と何も違ったところなど無かった。

“変わりは全くありませんが、纏う空気が少し明るく、なりました”

左近の声が遠くで甦った。まるで嘘だ。
違う。俺がいるからか。長篠の後に出会った己が居るからか。
だから幸村は、
「…このままが良いか?」
「三成殿?」
「このままの世界が良いか?信玄公存命の、亡き者が在り…」
三成は一旦言葉を切った。幸村の顔は見れなかった。

「在りし絆と関係が絶たれた…この世界が」

幸村の喉からひゅ、と小さく息が漏れるのを三成は聞いた。
幸村も三成と同じことを考えている。そして恐れている。

しかし違うのだ。
幸村は大切なものを失い、三成と出会った。
三成は幸村と出会い、大切なものを得た。

幸村はしばらく何も言わなかった。三成も何も言わなかった。
まるで過去と今を天秤にかけろと幸村に迫っているようだと、今更ながらに三成は気づく。しかし三成も止まれない。
隠そうとしても隠せない想いが、走り出した想いはもう止まらない。
「私たちは何処へ向かうのでしょうか」
静かに問うた幸村に、三成は静かに口を開いた。
「分からん…何がどうなっているのか。分からないことばかりだ」
三成は正直に言った。

遠呂智亡き後も元に戻らぬ世界。
世界は何か。
これがもう世界なのか。
かつての戦国の世は無くなったのか。
分からなかった。誰にも。

幸村は静かに唇を動かした。
「私は卑怯なのです。今のお館様に仕え続けたいと思いながら、今まで紡いできた関係を絶ちたくは無いのです。…この矛盾した世界で、亡き者が在り、在らなければならない者が居ない、この場所で」
幸村は己が心底欲の深い人間だとでも思っているかのように瞳を伏せた。
「誰でもそう思う」
「え?」
静かに呟いた三成の言葉に幸村は瞳を上げた。
「過去が無ければ今は無い。今があるからこそ過去がある。あの義の誓いがあったからこそ、この捻じ曲がった世界でも、こうして俺と幸村はこうして肩を並べる事が出来る」
それは三成自身に言い聞かせている事でもあった。
「これからこの世界がどう動くか分からん。明日には何事も無かったかのように元に戻っているのかもしれん。しかし、…各々の勢力が拡大を目指せば、戦国を超える戦いがあるだろう」
幸村の瞳が歪められる。

風が吹く。葉々がすれる音が耳を通り過ぎる。

「しかし何があろうと、どう各々の英傑が動こうとも。俺は幸村を…殺さない」
本当は殺せないのだ。殺すなら殺されるほうが楽だ。さすれば幸村の心の中で『三成』は永遠となる。
そんな卑怯めいたことを考え、三成は自嘲気味に笑った。
「三成殿?」
そんな三成を不思議に思ったのか幸村が三成の名を呼ぶ。
三成が視線を幸村に向ければ、何も変わらぬ幸村が其処にいた。
「……っ、」
衝動的に三成が強引に幸村の体を己のほうに向かせれば、揺らぐ瞳があった。三成はなりふり構わず、幸村の耳元に唇を寄せた。幸村は一瞬驚いたように体を強張らせたが、それも一瞬で力を抜いた。
「今、俺に分かることは此れだけだ。此れだけは絶対に誰にも譲らん」
誰かが幸村を殺そうとするのならば、三成は全力でそれを止めるだろう。それが例え味方であっても。
「三成殿…私は。私も、」
すがるように幸村の手が三成の着衣を掴んだ。三成は強く抱きしめ返した。
「…私は、貴方を殺すことは出来ない。私にも今分かることは此れだけです」


風が吹いて、二人の髪を緩く揺らせた。


どうすれば歪みは修正されるのか。
どうすれば全ては元に戻るのか。
もう元には戻らないのか。

ねじり曲がった世界で、この世界の成立の理論を確立できぬまま、時間の矛盾の中で二人が誓えることはただ、それだけだった。

ただ、愛しているが故に、全てを裏切る覚悟が小さな灯火の様に二人の心の中に揺らいでいた。



不明瞭な仮定論