どうか来年も、彼に変わらぬこの美しい紅葉を。
願う資格すら無い事は分かっている。けれど。





あのき葉




静かな午後だった。とても。
秋特有のひやりとした空気が開け放たれた障子から滑り込んできている。
兼続は静かに淡々と執務をこなしていた。さらりと筆を髪に滑らせ、流暢に文字が書き連なっていく。その手つきによどみ躊躇は無い。迷いの無い文面だった。

書状は家康宛てのものだった。
5日ほど前、家康の使いが書状を持って景勝と兼続を訪れた。
内容は此度2回目の大阪城包囲の為の上杉家の挙兵依頼という名の命令だった。秀頼を討ち、徳川の世を真に打ち立てんが為の。
しかし隠された裏の真意は真田幸村の抹殺。
それを兼続はすぐに悟った。

さらり、さらりと兼続は書状を書く。感情を消して書状を書く。
家康の要請を断る事など出来ようはずも無い。ただでさえ、兼続は関ヶ原では三成に続いて実質ナンバー2の位置にあったのだ。打ち首は免れたものの、家康の信頼は無いに等しい。ならば家康の信頼を得るために、彼の命には従う他無い。上杉の兵と民、家名を残す為、兼続に他の選択は無い。
さらり、音が止まる。
兼続は書き終わった書状を読み直し、誤字脱字を確認する。何処にも間違いは無かった。

静かだ。時折風が庭の木々を揺らす音しか聞こえてこない。
家人も誰もいないかのように静かで、自らの鼓動さえ聞こえてきそうだった。
誰もいない。だれも、いない。
それは“あの時”の喪失に似ていて、兼続は首を振った。
そこでふと、兼続はふと机の前に滑り込んできた紅い“何か”が目に止まった。

もみじだ。真紅の。

兼続はゆっくりそれを手に取った。見事に紅葉したもみじだった。
兼続は開け放たれた障子から外を見た。外の木々は多少色づいているものの、ここまで紅い葉は無かった。
この色を兼続は知っている。この真っ赤な真紅を。全てを撥ね付ける力を持ち、人を魅了する紅を。
義を誓い、友と呼び、笑いあった仲であり、温厚な人柄でありながら、ひとたび戦場に立てば家康さえ恐れ慄く猛将となる、彼の甲冑で色づくその真紅。

真田幸村。

先の大阪での戦いはいかなる猛将でさえ恐れおののくほどの気迫であったという。数で圧倒的な徳川軍をやむなく撤退させるほどの。
幸村は今も小田原攻略で誓い合ったあの誓いを忘れていない。今も友情と義のためにその槍を振るい、家康を恐れさせている。
最期まで諦めなかった三成とその心は今も同じだ。


対して己は、
そこまで考えて兼続は思考を放棄した。

そして霞んでいた記憶が次第に明確になる。
そう、あれは関ヶ原の構想などまだ考えも及ばなかった遠い昔。上田城での事だ。
『素晴らしい紅葉だな!』
そうだ。上田城の周囲に色づく木々達。壮観な程の赤に目を奪われた。
『ああ、そうだな』
三成は木々を眺め、感嘆の言葉を言っていた。
そして幸村は賞賛の言葉に、謙遜しながら緩やかに笑っていた。
しかし本当に圧巻だったのは。その紅葉の赤の中に立つ幸村だった。よく似合っていた。戦場を思い起こさせるような紅の中に佇む彼はこの世のものとは思えないような、美しさを纏っていた。
三成も同じ事を考えていたに違いない。紅葉の中に佇む幸村をじっと見ていた事を思い出す。その横顔で兼続は知った。
恐らく三成は幸村の事を、

やはりそこまで考えて兼続は記憶の邂逅でさえも放棄した。


手の中のもみじをじっと見る。
あかく、赤く、紅い。
恐らく次が最期の戦いになる。家康がとうとう本気になった。圧倒的な物量。まるで義を誓い合ったあの小田原のようで、兼続は皮肉気に笑った。そこに義は無い。また数が全てを征そうとしている。
「何をしているのだろうな、私は」
後悔はしていない。上杉の民と兵を守った。
しかし未だ疼きの治まらないこの心の奥底に巣食う病巣のような思いは何なのか。

幸村は、今、何を思っているのだろうか。
三成は彼岸からこの世を見ながら何を思うのだろうか。
哀れだと嗤うのだろうか。お前らしいと許してくれるのだろうか。
意味の無い想像だった。

退く訳にはいかない。それは明らかだった。

家康が忠誠を試しているかのように、今回の大阪城での戦いの作戦行動の立案を求めてきた。兼続はその要請に唯々諾々と従った。秀頼と幸村、そして多くの秀吉存命の頃からの家臣を討つ為の作戦は立案済みだ。
友を葬る。
何と義に背いた行為だろうか。
幸村は今もあの誓いを忘れぬまま、六文銭を掲げて戦うのだろう。
最後の戦いと知りながら戦うのだろう。猛将でありながら昌幸の血を引いた幸村は最近智将との呼び名も高い。そんな数々の戦場を駆けてきた幸村だ。

彼は何処かで気付いている。これが最期の戦いだと。
しかし彼は最期までもののふであろうとしている。

「幸村…」
道は完全に違えてしまった。もう戻れないのだろうか。
ああ、そうだ、やはり、もう戻れないのだ。

そっと手の中のもみじを握る。壊さぬように。
彼に毘沙門天の加護を。
祈るしかない。他に道は。
「三成」
祈るしかないのだ。
「頼む、まだ幸村を連れて逝かないでくれ」
例え其れを幸村が無意識に望んでいるとしても。
戦場で死に場所を求めている、と何時か三成が呟いていた。それが真実だとしても。幸村が己の勤めは果たした、と思いながら戦場で散ろうとしていても。
もう十分戦った、と。そう言って、幸村を連れて逝かないでくれ。三成。まだ。例え其処が安寧の地だとしても。幸村がずっと笑っていられる場所であっても。まだ。


三成、まだ連れて逝かないでくれ。
守ってやってくれ。
お前の打ちたてようとした世を壊そうとしている最低な人間の最初で最後の願いだ。
そんな我侭な事を願う事でさえおこがましいと知ってる。しかし。


手の中で真っ赤なもみじを見る。その奥に六文銭が見えたようで、慌てて兼続は視線を逸らせた。
まだ大阪では木々は色づいていないだろう。せめて幸村が紅葉を美しいと思いながら生きれるように。
次の年の紅葉も。その次の年の紅葉も。
戦場ではない、何処かで。安らかに彼岸を渡れるように。


兼続は叫び出したい衝動を堪えて、紅葉をただただ優しく握った。