さぁ宴が始まりましょう。 命賭けた者達の華麗咲く宴が始まりましょう。 終焉がどうなろうとも、それは事実。 夢では、ないのです。 宴の始まり カチャリ、カチャリと甲冑の留め金を締めれば、ずっしりと肩にかかる重さに、自然と気分は引き締まる。六文銭の額当てを結ぶと、戦場へと心が馳せる。 もはやこれも武士としての必要な習慣か、とそんなことを幸村は思いながら、軍馬の元へ向かおうと歩みを進めようとした所で頭上から声がかかった。 「行くの?旦那」 その声に幸村は視線を上げる。どうやら声の主は木の上にいるようだ。 逆光になっていて良くは見えなかったが、スタン、と軽い音を響かせてその人影が降りたった。 本当は確認せずとも誰だか分かってはいる。幸村を“旦那”と彼を呼ぶのはたった一人しかいない。 「行くの?小田原」 「佐助」 佐助のその表情はいつもの通り飄々としている。まるで城下町に買い物にでも行くのか、と問いかけるような軽い物言いだった。感情を表に出さない忍が大半を占める中、日常である程度感情を示す忍は珍しい。 しかしそれをしてしまうのが、佐助と言う忍だった。 「ああ、真田家からは私が出る。今や豊臣に従わぬは北条を除き、奥州の伊達のみ。ここで私が出ねば次は上田攻めだな」 今の時代を風刺した己自身の冗談にしてはタチが悪い言葉に自虐的に幸村が笑う。 瞳の底には本人さえ気付かない暗い、色。 佐助は表情を変えずにその瞳を見、そして見ていないフリをした。 「でもその奥州の王なんだけど。豊臣に従うことに決めたみたいよ」 「何?」 「俺様の密偵すごいでしょー?このこと知ってんの伊達家以外では俺様と旦那だけだよ」 茶化すように佐助が言うと、困ったように幸村が笑う。 変わってしまった、と佐助は思う。 あの長篠の地。あの戦いから。 武田軍という戦国最強の軍がいとも容易く、崩壊したあの日から。 「ねー旦那、俺もついてっていい?」 「だめだ」 幸村は即座に答えた。 「豊臣方には真田家からは私一人が参陣する、と伝えてある。忍の者がいればあらぬ疑いもかかろう」 「えー。俺様暇なんだけど」 「一ヶ月の密偵から帰ってきて何を言う。ゆっくり休んでくれ」 そう言うと幸村は愛用している十文字槍を手に取った。戦場で唸るその紅い槍は、今は水を打ったように静かだ。 「えー。これで活躍して給料上げてもらおうと思ったのに」 「佐助らしい」 佐助の“らしい”冗談に、小さく幸村は笑う。 しかし二人とも、それはただこの場を明るくするためのものだと知っている。 佐助は今回の北条攻めに参陣出来ない事も知っているし、それを佐助が知っている事もまた、幸村も知っている。 しかし半ば本気で佐助がついて行きたい、と思っていることを、幸村は知らない。 幸村と佐助が馬舎にたどり着くと、主人が来た事を敏感に察知して幸村の愛馬はヒヒン、と鳴いた。 愛馬の背を撫でる幸村を見ながら、佐助はぼんやりと主人を見る。 ついて行くことが、出来ない。 あの長篠の時の様に。 北条攻めはこの国ほぼ全ての武将が参陣するすることをもちろん佐助も知っている。 物量で北条が勝てるはずも無く、始まる前から結果は見えているようなものだった。 しかし。 長篠の地獄を見た真田幸村という猛将は、この世の果てを見た。 武田信玄亡き後、勝頼を総大将とした武田軍は信玄存命時の武田軍では無かった。 乏しい軍略、戦の大局を広い視野で見つめる事の出来ない総大将。 そして当然のように織田鉄砲隊の前に、戦国最強と謳われた武田騎馬隊は脆くも崩れ去り、先陣を切って戦った武士の中でたった一人生き残ったのは幸村だけだ。 その後、当然の様に戦国の舞台から姿を消した武田家に仕えることをやめた幸村は上田城に戻っていた。 佐助はその幸村のあの目を見て内心で驚きを隠せなかった。 しかしその事を誰も気付かない。幸村は上手く隠した。深遠を見つめるその瞳を。 そして彼は何かを失ったように笑い、何かを得たかのように槍をふるった。 何故あの時、自分は一緒に戦場に居なかったのか。何故長篠の地にいなかったのか。何故密偵などという仕事に行っていたのか。 猿飛佐助は真田幸村という存在に仕える忍、だというのに。 そう、どんな時でも傍にいて、彼を救ってやりたい、だから。 「本当に、」 ぼんやりと考え込んでいた佐助に、静かに幸村は話しかけた。 「ついて来てはいけないぞ、佐助」 ざぁ、と風が吹いた。 やはり内心を読まれていたか、と佐助は主の察しの良さに苦笑した。 本当はこっそりついてこうと決めていたのだが、主にここまで見透かされては仕方ない。 いや、もしかしたら過保護になった佐助の行動など、どうでるか幸村は最初から分かっていたに違いない。 「あーあ、やっぱりバレてた?」 「もちろんだ」 クスクスと小さく幸村は笑った。 「じゃあ、旦那。一つだけ約束して」 風が止んだ。 佐助の明らかに低くなった声に幸村は佐助を見た。 「絶対に無理はしない。危険になったら後退」 その言葉に驚いたように幸村の瞳が大きくなる。 忍として差し出た言葉だと知っている。普通の主なら怒り狂うだろう。 だけれども、佐助には譲る気など一つもなかった。 「死なない、生き残る」 佐助は真っ直ぐ幸村を見た。 そして一瞬の後、幸村は苦笑した。 「佐助は手厳しいな。…私は武士だ」 「だから、真田忍隊長の俺様が言うしかないでしょー?」 佐助は再び声色を茶化すように変えた。止んでいた風が吹き始めた。 「分かった。善処する」 そう言って幸村は愛馬に乗る。ヒヒン、と小さな声が馬から漏れた。 穏やかに笑っていたが、とても了承したとは思えない笑みだった。 (全く、この旦那は、) 「佐助、」 パン、と手綱を張る音がした。 「感謝している」 その言葉に佐助は驚いたように、顔を上げる。 「ちょ、旦…」 しかし、その姿は門を越え、小さな後姿しか見えなかった。 「行っちゃったよ…」 (でも旦那、) その場所に立ったまま、静かに木の葉が風に揺れる音を聞きながら佐助は思う。 (嘘つきだ) “絶対に無理はしない” するに決まっている。 “危険になったら後退” しないに決まっている。 あの人は武士だ。 あの人は誰よりも武士だ。 長篠で死ねなかった旦那は失ったものを探しながら、その途方も無い作業の前で立ちすくみながら、戦っている。 まるで失ったものを見つける前に死のうとばかりに。 まるで武士として死のうとばかりに。 旦那は気付いていない。 真田幸村はそれを気づかないように、生きている。 そして戦場についてはいけない、忍の自分。 (――ああ、泣きそうだ) |
――宴が、始まる