自分が死ぬ瞬間の事を君は覚えているか? 『困ったもんだ。まさかこんな温かい床で死ねるなんてねぇ』 『…けい、じ』 『らしくない顔だ』 『――く、な』 『、かね…?』 『いくな、逝くな!逝くな!!』 自分の死に逝くな、と叫んでくれる存在を君は覚えているか? *** 男の一人暮らしの夕食なんて案外質素なものだ。 うーん質素と言うのは間違ってるねぇ、と慶次は自分で呟いてみて直ぐに思い直した。質素ではなく、簡単、手軽、適当、それが相応しいのかもしれない。とにかくカロリーがそれなりに取れて、腹が満たさればいいのだ。さして味に強いこだわりのない慶次は、食にあまり拘りがあるわけではない。つまりは不味くなくて、満腹になれば言うことはないのだ。もちろん美味であることに越した事は無いが。 当然一人やもめの慶次に誰か夕飯を作ってくれる人間がいるはずもなく――特に求めているわけでもないが――、一人暮らしの男の生活という枠に適度に収まっている慶次は財布一つ持ってスーパーに向かっていた。出で立ちはジャージにサンダルという完全に室内着に近すぎる普段着で。自炊のための外出ではない。出来上がりの惣菜を買うための外出だ。まさに男の一人暮らしの典型である。 新緑の満ちる木立の中を、散歩がてら慶次はゆっくりとした足取りで進む。 季節は5月を半分も過ぎた。過ごしやすい季節に慶次の機嫌も良くなる。加えて、寒くもなく暑くもなく、明るくもなく暗くもなく。夕方の一瞬の隙を突いたようなこの時間が殊更好きだ。何をしても上手くいきそうな気がするような前向きな季節。“いいねぇ”と独り言が漏れてしまっても慶次に罪は無い。 だが、次の瞬間、慶次のそんな感慨深げな思いは目の前に現れた存在に吹き飛ぶ事になる。 「…ん?」 思わず声が出てしまっても、これも仕方のない事だと慶次は自分で思うことにした。思わず凝視した慶次の視線に気がついたのか、その存在もまた慶次の方を振り返って、動きを止めた。 「あ、」 そうして目の前の人物も自分と同じように声を漏らしたのを見て、慶次は思わず少し笑った。 *** 何に導かれたのか――そもそも導くような存在があるのか、いたとしてもそれを慶次が信じるかは別の話だが、今生でも縁が生まれたことに慶次は驚きと邂逅と喜びを隠すことは出来なかった。 それは幸村を介して生まれた不思議な巡り合わせだったのかとも思うが、慶次がこの大学の薙刀部のコーチになる経緯に幸村は全く関知していないのだから、やはり幸村とは関係のない場所できっかけがつくられたということになる。 ならば、其処にあるのは何であるのか。慶次は少しだけ計りかねている。 「では一人寂しい男同士の友情に」 「自炊さえサボる一人暮らしに」 乾杯、という言葉を二人同時に発して、慶次と兼続は酒の入ったグラスを合わせる。カチン、という僅かな音は二人の耳を通り過ぎて店の中の心地よい喧騒の中に溶けていった。 「偶然とは良く言ったものだな」 「ああ、そうだな」 木立の中で慶次が出会ったのは、5月に思いがけなく再会することになった兼続だった。 あの日。5月にしては珍しい曇天模様の下で酷く動揺した幸村を三成が連れ帰っていって、その場に残された兼続と慶次は知り合いに昇格した。それから2週間も経たずしてこうして居酒屋で酒を飲んでいる。人生、どう転ぶか分かったものではない。 学外でこうしてばったり会ったことは偶然で、しかも慶次と同じく兼続も夕飯の総菜を買い出しに出ていたというのだから酷く低い偶然の確率の上に成り立った再会という事になる。 ならば一人で入るには少し躊躇われる居酒屋に行くにはちょうどいい、ということで二人はすぐにそのまま近くの店に向かうことになった。 少しのアルコールが入れば話は弾む。 弾むだけではない。楽しいのだ。それはアルコールの効力ではない。 打ち解けるのに時間は必要なかった。互いに警戒心というようなものも、相手を探るというような気持ちも無く、慶次が堅苦しい言葉遣いはやめにしようと提案すれば、二人の話し方は昔からの旧友の様なそれになった。 前は名前だけの自己紹介だけで終わってしまった事実を補足するように、互いの事を話す。慶次は新しい生を受けた兼続がここまでどうやって生きてきたか知りたかったから、兼続の話に聞き入った。そして自分の事も言える範囲で話した。 自分――前田慶次、という存在を知って欲しかったからだ。 矛ではないが薙刀を持つ自分、そして寺の息子に生まれたと言う兼続に因果を思う。流石に言うのは憚られるのか兼続は何も言わないが、きっとこの世ならぬものも見えているのだろうと慶次は漠然と悟った。 「そういえば信繁の知り合いだったんだな?」 「ああ」 問いかけられた言葉に慶次は少しだけ曖昧に答えてみせる。信繁、否、幸村が何処まで自分の事を語っているか慶次は把握していないからだ。迂闊な事は言えない。 「信繁は体術に随分と精通しているように見えたが、そういう繋がりで?」 「そうだねぇ。そう言うことになるかな。地元で偶然知りあってね。信繁の動きを見たのはあれが初めてかい?」 「ああ、驚いた」 その幸村が槍を持てばどうなるか、今の世でそれを見たのは慶次だけなのだろう。槍だけではない。恐らく何をさせても幸村に敵う者は存在しないだろう。 しかし幸村は見せはしない。体得してきた全ての生きる術を。この友人達には決して見せない。見せようとしない。その幸村の気持ちを慶次は痛いほど良く分かる。そして測り知れない苦悩は理解できていない。 故にふとした瞬間、その幸村がそっと表層から沈ませた部分を垣間見た人間は驚く。隠せば隠すだけ、その溝と衝撃は大きくなる。それを幸村は何よりよく分かっているはずだ。だから慶次は敢えて何も言わない。それが幸村の決めた道ならば。 「…しかし、」 唐揚げをつまみながら兼続が小さく笑う。 「何だい?」 「前田慶次に直江兼続。偶然も偶然。400年前の本家本元が聞いたらひっくり返りそうだな」 「…ああ、そうだろうねぇ」 ――本当にひっくり返るだろう。 あの時の自分たちに400年後の再会が待っているなど信じようべくも無い。ましてや慶次は、生きるべくして生き、死ぬるべくして死ぬだけだと思っていたのだから、輪廻六道を知ってはいてもその先は考えもしなかったという所が本音なのだ。不確定な未来を思うより、今この一瞬を思うように生きてみせる。今は今。その思いは今も同じだ。 けれど。 慶次に僅かな邂逅の棘が刺さるのは、あの瞬間を思い出すときだ。 ――自分が死ぬ瞬間。 まさか病で床について死ぬとは思ってもみなかった。そして看取られるとも思わなかったし、先に逝くとも思っていなかった。――彼を置いて。 時は幕藩。全てが落ち着いてきた頃に唐突にやって来たのは武人として生きた前田慶次の一生の終焉。まだもう少し自由気ままに生きてみようと思っていたが、それほど世の中上手く出来ていない。病は唐突で、終わりもまた呆気なかった。 慶次はその時初めて新しい兼続の表情を見た。長年彼の傍に立って同じ景色を見ていて、それは初めての彼の姿だった。 どんな時にも取り乱さず、涙を流さずに背中で全てを堪え、耐えてきた男。同士を関ヶ原で失い、苦渋を舐めながらも他者のために生き、友人を屠る大坂の戦いに出向いた時も、どんな時も奥歯を噛む様に耐えていた男。その男がその時初めて涙を流し叫んだ。 『逝くな!』 その時初めて慶次は逝きたくないと、思った。置いていきたくないと思ったのだ。 それは今までの自分の生き様に矛盾する所はあっても、慶次が始めて仕えるに値すると思った存在のそんな姿を見てしまえば、理屈も何もかもが吹っ飛んだ。 目を閉じ、意識がなくなる瞬間、最期の瞬間に兼続はずっと慶次の傍にいた。 置いて逝きたくないねぇ、としみじみ思った。無理だと分かりすぎるほどに分かっていても。死には抗えない。人は簡単に死ぬ。けれど。 (――嗚呼、離れたくない…ねぇ、) そんな慶次の最期に抱いた思いが、記憶を引き継ぐほどの誘引になったのかもしれない、と今になって慶次は漠然と思うのだ。 店の中の客層が随分と変わってきている。何気なく腕時計を確認すれば、午後10時を軽くまわっている時間で、こんなに話込んでいたのかと慶次は少し驚いた。 「…まるで大河ドラマの様だな」 「去年のかい?直江兼続が主役だったねぇ」 少しだけ喧騒が納まった店内の空気を壊さないようにしているかのような静かな声に、慶次も静かに問い返す。 「ああ、前田慶次という名に親近感を覚えるのはそのせいもあるのかもしれないな。まるで旧知の友に会ったような、」 「奇遇だねぇ。俺もそういう気がしてる」 「最近こんな事が多い。特にこの大学に来てからはそうだ。ただの既視感なのか、考え過ぎなのか」 いきなりこんな事を言ってすまない、と続けようとした兼続の言葉を慶次は遮った。兼続の感覚は間違っていない。その感覚を理論で封じ込めさせたくはない。 「感覚を信じてもバチは当たらないさ」 「そうか。…そうだな」 ふと見える横顔が、嘗ての横顔に重なる。 あれは何時だったか。関ヶ原で、大坂で兼続の友人が一人ずつ減っていった後だっただろうか。月を酒の肴にしていた時に、よく遠くを見つめていた横顔に重なった。 ――そうだった。 唐突に思い出した感覚に慶次は傾けていたグラスの動きを止めた 長らく慶次は忘れていた。そうだ、自分はこうだった。こうして彼の進む道を見てきた。忘れていた。輪廻と記憶の因果に、知らないうちに混乱させられていたのかもしれない。 そうだ、そうだったのだ。 兼続は結局、一度も間違いはしなかった。自分の行動に最後まで責任を持ち、悔いることなどしなかった。そんな直江兼続という男を慶次は見てきた。 記憶がどうとか、そういう話ではない。難しい話は性に合わない。今、ここに兼続は確かに存在していて、懐かしいと言っている。なら慶次にはそれが全てで、今感じている感情は慶次のものだ。昔今など関係ない。 だだ生きるべくして生きる。 己の生き様はそういう生き様だ。 それを兼続は酷く愉快そうに笑って肯定し、慶次はその生き様を兼続の傍で貫いた。最期まで。 今、自分はどうしたいのか。必要な答えはそれだけだったのだ。 「そうか…やっぱりアンタはすごいな、兼続」 「?いきなりどうした」 感嘆ともつかない声で慶次がまじまじと兼続を凝視すれば、当の本人は何の事か分からないといった風に首を傾げている。 「いや。とにかくその感覚を疑わなくていい。あんたにはそれが出来る」 「随分と褒められている気がするな」 「褒めてるのさ」 兼続と三成と、鍵を握る幸村の三人を慶次はどうあれ見てきた。歴史を揺るがした三人の生きざまを。そして最後まで生きて、生を貫き他者を思い遣れる兼続を見てきた。 前田慶次が死んで7年、直江兼続は生きた。病で天寿を全うするまで、きっと兼続は生き抜いた。過酷で優しく、平等で理不尽なあの時代を生き抜いて見せた。自分の足で立って、最期まで、生きた。 今生の奇妙な賽の目がどう出るのか慶次は分からない。また廻ってきた天命がどんな結果になろうとも、兼続がどんな選択をしようとも慶次はもう一度その先を見届けようと思うのだ。 世界の全ては当たり前で構成されていて、それが慶次の理解を超える動きを見せても、慶次はこの生き様を貫いてみせよう。 一世一代の舞台、花咲かせてみせることは、命を賭けて駆ける時代でなくとも出来るはずだ。 「俺はどんな時でもあんたの味方さ」 「随分と頼もしい言葉だ。心強い友人を持った」 二人は何も言わずに互いのグラスをぶつける。それは酷く心地の良い音を響かせ、二人の鼓膜を揺らせる。 そうして新しい友情に傾けた杯の中の酒は酷く喉に馴染んだのだった。 次?次があるなら?うーん、あんまりそういうのは俺は信用してないだがねぇ。でも少し願ってみようか。 次でももう一度。そして置いて逝かない生き方を、 |
本命星のめぐりあい |
リクエスト:罪業の果て番外で慶次と兼続が仲良くなる話
素敵なリクエストありがとうございますvvとっても楽しく書かせて頂きました…!
慶次の邂逅描写が多くてスミマセン(汗)