[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



  ※時系列は罪業本編より前
    出会いの春(2回生)→この話→罪業本編春という位置づけです








冬空に墜ちるのは僅かな違和感。拭えぬ違和感。馴染まぬ違和感。
取り残されたような感覚がもたらす、この違和感が拭われることは永遠にないのだろう。

もう、それは当たり前の事のように気がついている。





年末に向けて街の光景は一気にその様相を変えていく。
街の至る所に瞬くイルミネーションは、店の軒先の小さな色とりどりの電球に、特設のモニュメントに、一般家庭の玄関に、西洋の神の誕生を祝う意図を忘れてイベントの賑わいだけを残す。

幸村はそんな光景をただ視神経を刺激する記号として捉えているかのように、ただ見る。
12月25日の夜はクリスマスへの余韻を残しながら、それでもクリスマスの終わりの空気を静かに匂い立たせている。後数時間も経てば、クリスマスのモニュメントは撤去され、一気に正月への景色に変化するのだろう。それでもまだクリスマスだ。幸村が夕飯の買い出しにスーパーに寄ってみれば、音楽も全てクリスマスに関するものだけしか流れておらず、幸村は少々驚いた。だが、幸村はこのクリスマスの勢いに驚いたわけではない。ただこれほどのイベント事だったのかと、改めて気がつかされたような心持ちになったからだ。
「………」
そして次に幸村は苦笑する。街の光景もテレビも、何もかもがクリスマスに向けて同じ方向を向いているかのような騒ぎだった、というのに。今更の感覚だ。
それに昨日は兼続の発案で24日を大学生らしくクリスマスを口実にして飲みで過ごした。それは何時もの3人で過ごす光景と同じものだったが、クリスマスケーキ一つで雰囲気が変わるのだから不思議なものだ。
だから幸村はそれなりにクリスマスを過ごしたという事になる。けれど、何故か景色に馴染めないこの不思議な感覚。何処か他人事のように静かに硝子の向こう側から眺めているような乖離感。

そう、何か馴染めないこの感覚の正体。それを幸村は知っている。

「………」
幸村はそんな自分に表現し難い感情を抱きながら、視界がふと明るくなった事に気がついて視線を上げた。

クリスマスツリー。
この駅前の広場にこの時期だけ姿を現す、数々の電球に彩られたそれを信繁はぼんやりと見上げたまま、足を止めた。


***


――くだらん。
三成にとってクリスマスとはそんな評価に落ち着くイベントだった。理由はそれほど複雑ではない。むしろ明確でさえある。あまりに清々しい三成の言葉を聞けば、大抵の者が眉をしかめたとしても、三成の評価はそれに終始する。クリスマスなんて、と言う三成は別に特定の相手と過ごせない事への嫉妬めいたものでもなければ、異教の神の誕生を祝うわけでもないのに騒ぐ日本人への多信教精神をうれいて見せる文化人もどきのものでもない。
ただバカ騒ぎする光景が気に食わない。ただそれだけだ。
そしてクリスマス前になるとやたらクリスマスの予定を聞いてくる女達に辟易していた事も三成の“クリスマスくだらない感”に大きく貢献していた。もちろん三成は傍目から見ていると逆に女の方に同情しそうな風に片っ端から女達をばっさり切り捨てていたのだが。

それでも。今年は三成もクリスマスにかこつけてそれなりな事をしてみた。
それは三成の長くはない人生の中でかなりのインパクトのある出来事だったが、それは彼にとって悪くは無かった出来事だった。
ともに過ごしたのは今年の春、何の巡り合わせか桜の木の下で出会った友人達だった。
『何だクリスマスイブの予定がないなら決まりだな』の兼続の一言で24日の夜の予定はあっさりと決まり、男3人でそれなりに過ごした。内容は間違いなく普段つるんでいるものと変わりはなかったが(兼続が買ってきたケーキがあったくらいだ)、まぁそれで良かったのだろうと思う。
そして三成と同じようにクリスマスに慣れていない様子の人物が一人。

上田信繁、その人物だ。

慣れていない、それは少し語弊があるのかもしれない。三成はそう思う。
馴染んでいないのだ。

それは信繁の態度だとか、そういうものを指しているわけではない。
えも言われぬ違和感、それは信繁がその浮き足だったイルミネーションの姿から一歩も二歩も離れた場所にあるかのような――そんな違和感だ。クリスマスに興味を示さない三成の身の置き所とは根本的に何かが違う。そんな距離感。

何故か信繁という男は四季の移り変わりの自然の中に身を置いている姿の方が三成にはしっくりきていた。それは初めての出会いが桜の木の下だったからなのか、三成には分からないが、とにかく三成はそう思った。
春の桜、夏の日差しの下、秋の紅葉。まだ出会って一年も経っていない不思議な佇まいをしている信繁から三成は目を離せなくなっていた。それはもう出会った桜の下から始まっていたのかもしれないが。

クリスマス本番の街を三成は歩く。明日になれば街は正月一色にその様相を変えるのだろう。どこまでも忙しい師走の季節だと思いながら、脇に抱える買ったばかりの分厚い文芸書を抱えなおす。その時、視界の先に見慣れた姿を三成は捉えた。
クリスマスモニュメントの下。大きなツリーの光をぼんやりと眺めているその人物は。

「信繁?」





「信繁?」
その声に幸村は視線をツリーから移動させて、声の主の方に向けた。この呼び名にももう慣れた。昔は慣れぬ呼び名に反応が一瞬遅れることもあったが、学生という身分にあるせいか名を呼ばれる機会は多く、幸村の順応能力の高さも相俟って結局はすぐに慣れた。今は上田信繁、その名でただ時の流れに弾かれながらも、この時の中で生きている。

「三成、さん?」
偶然ばったり、と言う言葉はこういう場合を指すのだろう。信繁はそんな偶然に驚きながらも、ゆっくり微笑んだ。
三成の手にあるのは書店の袋。本屋の帰りなのだろう。

「こんな所で偶然ですね」
幸村が静かに笑えば、三成は静かに視線をめぐらせ、幸村が持っているスーパーの袋を目に留めた。
「ああ。信繁は…買い物の帰りか?」
「はい。三成さんは書店の帰りですか?」
「ああ」
幸村の隣に立った三成は、先に幸村が見上げていたツリーを見上げる。そんな三成に幸村も同じように視線をツリーに戻す。

吐く息は白く、底冷えするような冷気が外気に触れている手や首から温度をしたたかに奪うかのように忍んでくる。見上げた空には星が瞬き、雪は降りそうにもない。その代わりに冬の空気は何処までも澄んでいていて、夜の闇が落ちた世界では街灯の明かりでさえも純度の高い光源として網膜を焼く。そんな中でもツリーの灯りの強さは一際目立っていて、決まった周期で輝く赤、青、黄、白、緑、紫の光はそれぞれの光が存在を強く主張しながらも、その全ての色で不思議な調和を奏でる。

「珍しいな」
「え?」
「いや、信繁はあまりこういうものは好まないのだと思っていた」
その三成の言葉に幸村はツリーから視線を外さずに少しだけ目を細めた。
その三成の言葉の通りだった。ツリーが嫌いではない。ただ人工の飾りたてられた針葉樹に信繁はどうしても馴染みが持てなかった。加工され切り取られて、ぽつりと置き去りにされたようなそれ。

この光景に、どうしても馴染めない。

幸村の姿は大学生のそれだ。”信繁”と同じ年代ならば生まれた時からあるこの行事に馴染みがあって然るべきものだ。
しかし“幸村”には。真田幸村にとっては、この行事は突然に降って湧いたような印象が拭えなかった。
この習慣はこの国に入ってきてから歴史が浅い。そして幸村の生きてきた長い生の中では、異国から故なのか、その性質故なのか、心の中によく馴染まない。
愛でるべき四季の流れに沿わない、独立した行事はまだ幸村の意識の中で落とし所がついていないのだ。

それはおそらく、この輪廻の世界に馴染んでいない己の生をも指しているのだろうと幸村は気がついている。

「あまり馴染まないものですから」
ぽつりと呟いた、そんな幸村の言葉に対して三成は何も言わなかった。ただ小さく間を置いて、三成は小さく口を開く。
「サンタクロースという酔狂な存在があったな。そういえば」
「…え、ええ?そうですね」
突然変えられた話題に幸村は目を丸くして三成を見た。三成はツリーを見たままで、その話題の振り方に特に意味は無いのだろう。
「普通ならば幼少の頃は信じているらしいな。だが俺は、」
「…信じて、いなかった、のですか?」
「ああ。何処に全世界の子供に無償で物を配る奴がいるものかと。物理的にどう考えても不可能だからな」
その三成の言葉に幸村は小さく吹き出した。あまりに三成らしい言葉だと思ったからだ。そして子供の頃から実に聡明だったのだろう。言い換えれば子供らしくないという評価になるのだろうが。
「信繁は?」
「私も信じた事はないですね。欲しいものが手に入るかどうか、願いは叶う時もあれば、…どれだけ望んでも叶わぬ時もありますから」

そう、願えば手に入るわけではない。どれだけ願っても叫んでも、人の世は無情だ。

聖夜と呼ばれる夜によぎるのは無情の記憶。幸村の欲した願いも三成の欲した願いも兼続の欲した願いも飲み込んだ記憶だ。祈りはしなかった。祈ったところで意味はないと3人は知っていたからだ。そして奇跡の概念も無かった。奇跡は天命に任せるものだ、3人はそんなものを待たなかった。掴みに行った。――欲しかったからだ。
「……」
幸村はそんな感情をやりすごすように、ゆっくり息を吐いた。息はただ白く染まって、空中に拡散して消える。
神の誕生を祝う夜に似つかわしくないその感情と無情を丸ごと飲み込むように、ただ静かに人工の光は瞬く。人々に幸福を届けようとするばかりに。

けれど。
幸村は少しだけ信じてみようと思った。馴染めぬ新しい慣習と慣れぬ人工灯の中の聖夜がもたらすという不思議な空気の中で。奇跡を。

そう。この場所で共にこの光景を三成という存在と迎えられることが奇跡なのだと。小さな願いが少し叶ったのだと。欲しがっていたものが贈られたのだと。そう幸村は思いたかった。





「…どれだけ望んでも叶わぬ時もありますから」

――ああ、まただ。
三成は思う。ツリーに向けられたその瞳。その瞳は遠い。三成がその瞳の深淵の色に気がついたのは何時のことだったか。思い出せない。
踏み入る事を許さぬ遠い場所。信繁が佇む、誰の介在も許さない場所。

「三成さんは?今、サンタクロースに欲しいものを願うのなら?」
何か欲しいものはあるのですが、と問うた信繁に三成はにべもなく答える。
「ああ、酔狂に頼む暇があるなら自分で叶える」
その言葉に三成の前の信繁は何故かとても満足そうに柔らかく笑った。その理由を三成は分かるはずもなかったが、それは三成の背を押すようなものだった。まるで三成が欲したものを望んでいる事自体に満足しているかのような。
けれど三成の欲しているものを信繁は知らない。知るべくも無い。

――信繁の近くにもっと。その場所が、欲しい。

四季の流れに何処か埋没して静かに消えてしまうこの存在を今なら、人工灯の中ならば捕まえられそうな気がした。手を伸ばせば、その存在ごと静かに捕まえられそうな。
三成は聖なる夜の奇跡を信じてなどいない。欲しいものは手に入らない事の方が多い。それは欲望の意味を真に知らない子供を脱却すれば尚更だ。願いは叶えられない事の方が多い。そして三成は子供たちの望む物を与える酔狂など知らない。望みは己で叶える。

だから。

来年には3回生へと進む。学生という名のモラトリアムは長くは無い。けれど後2年は短くはない。限りある時間だと意識さえしていればなおさらだ。

もっと、もっと近くに。そしてその深淵に立ち入ることを許される存在、信繁にとってのそんな場所が欲しい。ならばそうなれるように、その場所を手に入れられるように。
――その場所がどうしても欲しい。


三成は人工灯の下で、近くて遠い存在の隣で静かに思った。






人工灯の下で