その日、サムより早く起きたディーンは空腹感を持て余しながら服を着替えていた。ジャケットを着て準備は完璧。さぁ次に顔でも洗おうかと思っていた時、ディーンは違和感に気がついた。 「―――ん?」 ちょっと待て。 ディーンは独り言の後で、内心でそう呟いて、またその場所、―モーテルに備え付けてあった貴重品を入れるボックス―、をもう一度見た。 ――無い。 それが信じられずに、ディーンは一旦視線をモーテルの天井にやってから、気を取り直すように奇抜なデザインの模様を目に焼き付けて、もう一度その場所に視線を戻した。 見間違いかもしれない、そう思ったからだ。 もしかして気を取り直して見れば其処にあるかもしれない、見逃していただけだ、という顛末を期待していたからかもしれない。 しかし。 ――やっぱり無い。 「無い。」 ――どう見ても、無い。 見直しても、上から見ても、下から見ても、斜め下から見ても、無いものは無い。 「……!?」 そう思った瞬間、ディーンは静かに見るだけだった己の行動を180度転換させた。今までの冷静(に見えていた)行動とは打って変わって、慌てた様子でガタガタと音を撒き散らせながら周囲を確認する。 いつもはベットサイドに置いているのだから、まずはベットサイドを見る。 …んが、無い。置いた記憶もない。 次はインパラのキーの隣、ローテーブルの上。 …んが、無造作に置かれたままのインパラのキーと財布と携帯は見つかったが、目的のそれはない。やっぱり昨日の晩、置いた記憶はない。 じゃあシャワールームか。ガタガタと駆け込んで確認する。 …んが何処にもない。あるのは歯ブラシと歯磨き粉だけだ。 「おいおいおい、冗談じゃねーぞ」 そこからなりふり構わずディーンはモーテルの狭くはない部屋の中を探し始めた。 ベットの下を覗き込み、鞄の中をひっくり返し、マットをひっぺがす。無いとは知りながらも靴の中を見て、クローゼットの中まで見て、サイドランプの中も見てみる。 が、無い。 変な汗が背筋に滲んで、思わずディーンは隣のベットですやすやと寝息を立てている弟を見た。ちょっと睨んでもみた。 サミー、お前か、こんなイタズラをしたのは。 そんな無言の責め句を思ってから、ディーンはその考えを直ぐに打ち消した。ない。それだけはない。サムは人の持ち物を隠すイタズラはしない。むしろサムはディーンが仕掛けなければイタズラなんてしてこない。 もちろんディーンはイタズラなど仕掛けていないし、サムを怒らせるような事はしていない。そもそも昨日は遅くまで狩りをしていた。 そこで、はた、とディーンの動きが止まった。 ……“狩り”? 「そうか、狩りか!!」 思わず大声を出してしまって、ディーンはとっさに口を噤んだ。慌てて弟を見るが、サムは身じろぎもせず寝息も乱れていない。ぐっすり眠っている。 それにひとまず安堵の息を吐いて、ディーンはもう一度首周りを触ってみる。いつも必ずその場所でディーンの安全を祈願するそれはやっぱり無い。 多少の出来事で動じる事のないディーンが、朝から一人でガタガタと大騒ぎしている理由。それはただ一つ。 ――1991年のクリスマス。弟から貰った、大事なアミュレットが行方不明だからだ。 *** 町に出てみれば、そう早くない時間だったためか、町には人は多い。 ディーンはサムを起こさずにモーテルを出た。起きた瞬間は腹減った、と思っていたが、今は空腹感など微塵も感じていない。行方不明のアミュレットで頭が一杯で空腹を感じている暇がないのだ。 ディーンは暫し考え込んで昨日の自分の行動を振り返る。 昨日は夜更けまで狩りをしていた。狩りの内容は、…まぁいい。ただの悪霊退治だ。 昨日行った場所は聞き込みの為に民家数件と、昼食のために寄ったカフェ、買い出しでマーケット、そして狩りをした空き家だ。 そして最後にアミュレットを見たのは何時だったか。それが分かれば、どの時点でアミュレットを無くしたのか大きな手がかりになる。 が、思い出せない。 何せ子供の頃から首に下げているのだ。しかも今までのどんな狩りの中でも、ディーンの首からすり落ちる事はなかったし、無くした事も無い。よくよく考えれば奇跡だ。 ディーンは物持ちは余り良くないし、余程の事がない限り持ち物は気がついていれば無くなっている。きちんと管理しているのは携帯電話だったり、インパラのキーだったり、狩りの道具や偽造IDだったりで、個人的な持ち物でそれほど大事にしているものは無い。携帯電話さえ狩りの時に壊しまくっているのだから、ディーンが個人的なもので大事にしているのはアミュレットくらいなものだ。 しかも10年をゆうに越して、壊れる事無く、無くなる事も無く、ディーンの首にあった。これを奇跡と呼ばずに何と呼ぶ。 そういう経緯もあってか、アミュレットはあって当たり前、もう意識せずとも在るべきもので、いちいち存在を確かめない。もう既にディーンの体の一部なのだ。体の一部をいちいちあるかどうか確認する人間なんていない。 …とまぁ、色々御託は並べてみたが、どこで無くしたか記憶が無い。 とどのつまり手がかりは全くない。 「ああ、クソ!!」 思わずディーンが悪態をつくと、近くを歩いている通行人が何事かと目を丸くしていたが、ディーンの知ったことではない。 こうなったら一つ一つ昨日の行動を追って探すしかない。自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた所で、ディーンのポケットの中から派手な呼び出し音が鳴った。 呼び出している相手の名前を確認して、ディーンはすぐさま通話ボタンを押す。内心の動揺を電波の向こうの相手にだけは伝わらないように、大きく息を吸い込んで。 「おっはよー!サミーちゃん!」 『ディーン?起きたら部屋にいないからどうしたのかと思った。今何処?』 「あー。ヤボ用だ」 『ヤボ用?部屋をひっくり返した後で?何かあった?』 「いや、ちょっと探しモンを」 『何?…まさかIDとか財布とか無くした?』 スピーカー越しの声に怪訝な色が混じる。前にディーンが狩りで侵入した画商で財布を落としたことをサムが思い出しているのだろうと想像出来たが、ディーンはすぐに否定の言葉を口に出した。 「無くすか。偽造IDも財布も狩りの道具も問題になりそうなものは何一つ無くしてない。…ちょっと、な」 『ちょっと、って何?大丈夫?手伝おうか?』 「大丈夫に決まってんだろ。手伝いはいい」 あんまり大丈夫ではない。が、サムにどう説明しろと言うのか。 ――お前からもらったお守りが無くなって超焦ってる。何が何でも見つけたい。 どう考えてもそれは言えない。死んでも言えない。 サムと一緒に探せば、それなりの知恵が弟から提供されるんだろうが、言い換えればディーンがあのアミュレットをそれほど大切に思っているか露呈するようなものだ。 いや、無理だろ。そりゃ。 それに見つからなかったらどうする。ディーンはとことん探すつもりだが、変な所で現実主義なあの弟は代わりのもっといいお守りがあるから、そんな事を言うはずだ。そういう事じゃないのだ。守りの効力云々の話ではない。あの時、あの日、貰った相手に価値があるのだ。代わりの物など無い。 「と、とにかく。今日はオフだ。一日自由。そういえばお前、この町の本屋気に入ってたろ。行ってこい」 『はぁ?ちょっと待っ、』 「じゃあ後でな」 スピーカーの向こうで自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、ディーンは聞こえなかった振りをして電源を切った。 「待ってろ、アミュレット…」 絶対見つけてやるからな。 そうしてディーンは、狩りをする時よりもやる気を漲らせて、ずんずんと歩みを再開させた。 *** ――が。 「何でだ!!」 あれから3時間。ディーンは昨日の狩りをしていた空き家の前で叫んでいた。――1人で。 昨日訪ねた民家にも寄って、こそこそと玄関先を嗅ぎ回ったが、無い。 昨日は警察官として聞き込みに行ったせいで、そのまま呼び鈴を鳴らして普段着のままで聞くこともできず、ディーンは家の軒先からわざわざ電話をかけてアミュレットらしきものが落ちてなかったか聞いた。 …が、無い。 カフェにも行って、昨日座った座席周りも確認したが、無い。店員にも聞いたが、そんな遺失物は無いという。 マーケットもそうだ。しらみ潰しに店内を確認して、また店員にも聞いた。そして答えは案の定、無いときた。 あのアミュレットはアクセサリーとは一線を画している。 ペンタグラムや有名なシンボルがデザインされているなら、何も知らない一般人が拾っているかもしれないが、あのアミュレットはちょっと違う。本格的な魔よけの意図を含んだデザインは素人が見ても何のことやら分からるまい。誰も持っていかないはずだ。 大体そこいらのバカ共にあのアミュレットの価値が分かるはずもない。 そんな暴言じみたことを考えながら、ディーンは前に踏み込んでからまだ12時間も経ってない空き家に入った。聞き込みをした民家にも無い。カフェにもマーケットにも無い。もう昨日ディーンが行った場所で探していない場所は此処だけだ。 昼間だというのに静まり返った空き家。幽霊屋敷として有名で地元の人間は入らない場所だ。それが今のディーンには都合がいい。心置きなく探せる。狩りは上手くいったのだから、もう何の危険もない。ディーンはライトだけを持って中を探し始めた。 空き家だけあって中は元々荒れてはいたが、昨日の狩りで大立ち回りをしたせいで益々荒れている。ディーンはひたすらにアミュレットの姿を探して、昨日歩いた場所と立回った場所を注意深く黙視しながら進む。時に木片やらの下を覗きながら。 もう落としたとしたら、この場所以外にありえない。 よくよく考えれば、普通、聞き込みの時に落とすとは思えないし、ましてや食事中に落とすはずもない。ついでに言えばコーヒーを飲んでるだけでどう落とすのか。留め具が壊れていたなら話は別だが、壊れないように注意を払っていた上に、毎朝簡単にチェックもしている。昨日の朝、確認した時には当然壊れる気配はなかった。 なら無くしたとしたらこの場所しかない。昨日の夜、狩りの時に激しく投げ飛ばされた記憶があるのだから、落としたとしたらその時しかあり得ない。 だが。ディーンのそんな自分を安心させるような憶測と推測は見事に粉砕される。 結局アミュレットは何処にも無かった。 流石にディーンもモーテルでの大捜索のように、辺りをしこたまひっくり返すような真似はしなかった。もしアミュレットがあったとして、この荒れ屋で手荒な事をすれば、何かの拍子に傷つけたり、ひいては潰しかねない。 しかしそんなディーンの心遣いも空しく、アミュレットはその姿を現さなかった。 「何で無い!!」 結局、求める姿は見いだせず、とりあえずディーンは一旦外に出た。太陽が目にまぶしいのは、暗い部屋の中を探し回っていたからだ…と思いたい。 町の郊外に位置する空き家の外はのどかな景色が広がっている。天気もいい。今も世界の何処かでは争いはあるのだろうし、悪魔が何処で厄介な事を仕出かしているか知れない。けれど、今この瞬間、ディーンを取り囲む空気は長閑なものだ。いっそ忌々しいほどに。 そうなれば、だんだん怒りが湧いてくる。何でこんなにのどかなんだ――アミュレットが行方不明だというのに。 「何でた!!」 一体俺が何をした。何をしたってんだ。何でアミュレットは出てこない!! そんな八つ当たり気味の叫びを――八つ当たりなのはディーンも重々承知だ――晴天の下で響かせて、そうして冒頭の叫びに戻る。 *** 結局いつまでも空き家に留まってるわけにもいかず、ディーンはひとまず町まで戻ることに決めた。 陽は頭上高くでその存在を主張している。時計で時間を確認すると余計に気分に悪くなるような気がして、ディーンは腕時計を視界から追いやった。 「そこのお兄さん」 「あ?」 不意に呼び止められてディーンは足を止めた。 視線を向ければ、路地にひっそりと佇む露店の占い屋があった。今にも傾いてぐしゃりと潰れそうな小汚い台があるだけの露店は恐ろしいほどに胡散臭い。胡散臭いを通りこして、逆に清々しい。 「占い…?」 「当たるよ」 ざっと見る限り、持っている呪術用の道具はそれなりの体裁を保っているようだが、道具を持っているだけの素人にも見える。ここで呪術用の香草でもあれは判断材料は増えただろうが、そういうものはない。そういう呪具が無くとも占える実力の持ち主なのか、それともただのイカサマ師か。 何となく賭けてみても良いような気がして、ディーンは20ドルを手渡した。 「捜し物だ。アミュレット。場所が知りたい」 目の前の占い師は20ドルを受け取ると、陣らしきものが書いてある布の上に手を翳しながら、何やら唱え始める。やっぱり胡散臭い。 長い詠唱にディーンが少しうんざりし始めた頃、占い師はふと詠唱をやめ、ぽつりと呟いた。 「――大切なものは大切なものの手の中にある」 「……はぁ?」 「結果だよ。捜し物はそこにある」 「いや、待て待て。答えになってない」 全く以って答えになってない。これは何かの謎賭けか。 「お前さんだったら分かるはずだと思うんだがねぇ。占いの結果は本人にしか分からんよ」 「ということは何か?あんたにも分からないという事か?」 なら占い師ではなくて、ただの神託を受けるの類の霊媒師だろうが。看板間違ってるじゃねーか。と、喉元まで出掛かった言葉をディーンは必死で飲み込んだ。そもそも賭けの様な気分で占いを頼んだのはディーン自身なのだ。 「あんたの為の答えだ。私が分かっても仕方ないだろう。大切なものなんだろ?」 ああ、大切だよ。1991年のクリスマスの時に弟から貰った、大事な大事なプレゼントだ。でなきゃ胡散臭い占い師に頼むか!! ――と、喉元まで出掛かった言葉をディーンはまた必死で飲み込んだ。 「ああ、そうかよ。ありがとな。役に立った、ものすごくな」 …20ドル返せ、このぼったくり。 内心で激しく毒付きながらも、引き攣った笑顔でかろうじて上辺だけで感謝の言葉を告げることが出来た自分を賞賛しつつ、ディーンは些か重い足取りで歩みを進めた。 さてどうするか。 自分で出来ることはもうやった。ついでに胡散臭い占い師も不発。八方塞がりだ。こうなったら知り合いの霊媒師に聞く方が早いかもしれない。そもそもアミュレットを諦めるという選択肢の無いディーンはそんな事をつらつら考え始めた。 差し当たってはサムにディーンの今日朝からの行動をどう誤魔化すか、否、どう説明するか。それが問題だ。今のところ上手い説明が思いつかない。 そしてこういう時に限って、会いたくない相手に会うものだ。 「ディーン?」 後ろからかけられた馴染みのある声にディーンはぎこちなく振り返った。 「……サム」 ディーンの後ろに立っているのは紛う事無き弟の姿。小脇には本とテイクアウトのコーヒーを抱えていて、それなりに今日を楽しんでいたのだろうと窺い知れた。 「随分疲れてるみたいだけど、大丈夫?」 「ああ、俺は元気だ」 「ヤボ用は済んだ?」 「………占い師に20ドルの詐欺にあった」 「は?えーっと、…?」 「まぁいい。気にするな」 何のことか理解できていない弟にディーンはひらひらと手を振った。そんな些か疲れた兄の様子にサムは不思議そうな顔をしながらも、何かを思い出したようにポケットに手を突っ込んだ。 「そう言えば。とりあえず、はいこれ」 そう言いながら弟がポケットから出したものをディーンに差し出す。それを見て、ディーンは固まった。 そこにはディーンが朝から血眼になって探し回っていた、アミュレットがあった。 「お前、これ、何処で…」 「昨日服の整理をしてた時に僕の鞄に紛れ込んだみたい。朝一で返そうと思ってたんだけど、居ないし忙しいみたいだったから」 「〜〜〜お前なぁ」 居なかったのも忙しかったのも、そのアミュレットの為なんだよ、と言えずに、ディーンは脱力したように息を吐いた。思わずしゃがみ込みそうになったが、兄の矜持だけでそこはかろうじて耐える。 「え、何?」 「…いや、ありがとな」 サムの手の中に納められているそれを受け取ろうとしてディーンはふと手を止めた。 “――大切なものは大切なものの手の中にある” 甦るのは、あの占い師の少し枯れた声。 アミュレットは弟の手の中にある。 大切なものは大切なものの手の中に。 「……あの占い、当たってるじゃねーか」 今度こそディーンはサムからアミュレットを受け取って首にかけながら、感心したように呟く。どうやら20ドルはドブに捨てた金にならずに済んだようだ。 「え、何か言った?」 「いや、何でも。腹減った。何か食いに行こう」 「まさか昼食べてないの?一体何をそんなに必死になってたの?」 「うるせぇ」 悪態をつきながら、ディーンは収まるべき所に納まった、そのアミュレットにそっと触れた。 これでこそ正しい。 このアミュレットは此処に収まるべきで、他のどんな場所にも似合わない。今までディーンの安全を祈ってきたように、これからもこうやって安全を祈ってもらわなければ困るのだ。 次からはどれだけ疲れていようが、寝ボケていようが、絶対に中途半端な場所には置かない。ディーンは重大決心をするように改めて誓った。そうしないと、アミュレットが行方不明になった時に精神が持たない。 そんな事を考えながら、ディーンはぐぅ、と鳴き始めた腹の虫の音に苦笑を漏らした。 |
紛失カプリッチオ!