コールがきっちり10回鳴った後、それは自動音声に切り替わった。 普段は3回程度で呼び出し音が切れるのが常だったから、コールが7回を過ぎた辺りでボビーは不在だろうと当たりをつけていたサムの予想は結果的にその通りになった。 サムが耳に押し当てた携帯電話のスピーカーからは吹き込まれた声が響く。悪いが今手が離せない、後で連絡するから用件と名前と電話番号を吹き込んでくれ――。 この番号はハンターの仲間同士にしか明らかにしていない電話番号だからか、答えるボビーの録音された音声も最初から厄介事を想定したものになっている。随分とボビーも忙しい事だ。厄介ごとを持ち込むばかりの自分達に言えた事ではないが。 「ああボビー?僕だ。ちょっと相談に乗って欲しい事が。後でまたかけ直すよ」 通話ボタンを切って、サムは内心でそっとため息をついた。あくまでこっそりと、だ。 まずいことになったかもしれない。 ボビーが電話に出ないと言うことは経験上あまりない。 彼はサムやディーンだけでなく他のハンターから意見を求められることも多い。手持ちの資料と年長者としての(こう言うとボビーは怒るが)経験からもたらされる的確なアドバイスに何度救われてきたか知れない。加えてボビーは様々なハンターが使う偽造された名刺の上に記された上司の役でいくつかの固定電話の番をしていることが多い。州警察の役職からCDCの主任研究員、果てはFBIの長官になる時もある。結構滅茶苦茶だが、それでハンターの世界が円滑に回るのだから世間というのも詰めが甘い。 とどのつまり、結論としては家に居ることが多いのだ。 そんなボビーが家に居ないという事は家を空けて狩りに出ている可能性がある。他のハンターの助っ人かもしれない。どのみち街に買い物に出ていない限り、1時間以内に折り返しの電話がかかってくる事はないと考えていいだろう。 暫くはサム1人で何とかしなければいけない。もちろん事情を知っているジェンセンを入れれば正確には2人なのだが。 サムは携帯電話をジーンズのポケットに突っ込みながら振り返った。そこには秀麗な見目をした男がぼんやりと空を見上げていたが、サムの視線に気が付くとその表情を静かに緩めた。サムはそれにつられるように表情を柔らかくして、ジェンセンにとってもサムにとっても困ったニュースを告げた。 「知恵を借りようかと思ったんだけど、ボビーが電話に出ないんだ」 「こういう時は…ミーシャ…じゃなくてキャスは?」 「僕が呼んでも来ないよ。最近はディーンが呼んでも無視される」 「そうか、そうだな。そういう設定だったな」 ――こっちはその設定が現実なのだけれど。 しかしそんな細かい事を訂正するのは詮無い事だ。ジェンセンにとって確かにそれは“設定”なのだから。 サムは静かに再び視線を前に戻して流れる景色を見つめながらゆっくりと歩く。 一度外を歩きながら話をしてもいいだろうか、と誘ったのはジェンセンの方が先だった。迂闊に外に出るのは危険だろうか、とも。 もうサムの中ではこの世の何処にも安全な場所など無いに等しいけれど、最終的には無関係なジェンセンに当てはまるという事は無いだろう。巻き込んだ自分が言うのも何だが。ましてや死ぬという事も無いはずだ。かなり怒り狂ったラファエルに落ち着きがあれば。 何より突然の事態にサムでさえ多少動揺していたから、落ち着くためにはそれがいいと同意して――そもそもゆっくり話すにはモーテルの部屋が壊滅的に汚く、これではジェンセンが落ち着けないだろうと考えたという理由も含むのだが――外をふらふら歩いて今に至る。 今日も街は平和だ。大通りには人は多く、ビジネスマンが早足に歩き、イヤホンから音楽を零しながら片手でスケボーを持った男がガムを噛みながら鼻歌を歌ってすれ違う。着飾った女がタクシーを止めようと手をあげ、反対側の公園では夫婦が犬の散歩をしている。 真っ当なほどに日常の風景から逸脱した世界。線引きをされたような錯覚を抱きながら、サムは隣を見ると兄そっくりの、そっくりというよりは完全に同じ顔がちらりと周囲を見ながらサムを見つめた。 「…っ、」 思わずのけぞった。 「困ったな、慣れない」 とどめに戸惑ったようなこの苦笑だ。 流石俳優。サムは流石という用法を間違えたまま、もごもごと呟いた。じわじわと昇ってくる頬の熱を誤魔化しながら。 この男さぞかしモテるだろう。たち振る舞いが全て男前だ。俳優とはこういう属性のものなのだろうか。無条件に人を引き付けるからこそ俳優に…まぁそんな事はどうでもいい。 男前という人種はいる。 ディーンの方は大丈夫だろうか。とサムは考える。お前もっと俺の事心配しろ、という声が脳内に響くがサムはその声を押しのけた。ごめん、ディーン、今それどころじゃない。 前に一度飛ばされた事を考えれば、向こうで演技をしろと言われているのではないか。そうなるととてもマズイ、というか気の毒だ。演技だけはもう二度と絶対にやりたくないとボヤいていたディーンの気持ちは十分ほど分かる。あそこでは狩りよりも恐ろしい目にあった。何とかして早く兄を取り戻したいし、ジェンセンを戻してやらなければならない。 そんな事を掻い摘んでサムが呟くと、ジェンセンは今日の撮影は終わっているからすぐに演技しろとは言われないはずだ、とサムを安心させるように教えてくれた。 「落ち着いてるね」 そう言いながらサムは路上に展開している豆からの本格焙煎を売りにしているコーヒー屋台の店員からカップを二つ受け取り硬貨を数枚手渡す。 「いや、こう見えてもかなり動揺してる」 「見えない。ブラックでいい?」 否、と言われてもブラックしか持っていないのだが。 しかしジェンセンは差し出したカップを流れるような手つきで受け止めて、サムはほっと息をついた。少しだけ安いコーヒーではまずいではないのかと思ったのだ。ビビりすぎだと分かっているが、目の前の男がディーンを演じている俳優だと思うと変な気分になって常の調子が出ない。 「ありがとう。…サムはそれでいいのか?」 「何が?」 「それもブラックだろ?甘いのが好きなんじゃ、」 「…」 思わずサムは隣の整った顔立ちをまじまじと見つめた。そんな不躾なサムの視線に気が付いたジェンセンは一瞬だけはっとしたように言葉を止めて、そして次に少しだけ気まずそうな表情を浮かべて頭を掻いた。 「悪い。出しゃばってるな」 「あ、ううん。いや…なんか変な感じ。でもいやな感じはしない」 「なら良かった」 う、わ。 それは反則だ。はにかんだように少し柔らかく笑うのは。その顔でやられると困る。とても。 その瞬間、ストン、とサムの手からカップが滑り落ちた。変に力が抜けたのだ。 垂直に滑ったそれは地面に落下して、薄い色をした液体がアスファルトの上に散る。カップの中では黒々としていた色は途端に地面の色を透かして半透明のものへと変化する。 「わ、ごめん!」 足にかからなかっただろうか、そんな危惧をして焦ったサムの手を逆に掴んだのは見慣れた手だ。同じ体でもディーンのものよりほんの少しだけ体温が低い。 「大丈夫か?火傷は?」 「…いや、僕は全然」 「…よかった」 逆に心配されてしまった。むず痒い感覚にサムはふるりと背筋を震わせる。 自分を演じている俳優は随分と豪勢な家で既婚者でもあったが、この男はどうなのだろうとサムはぼんやりと思った。これでは黙っていても女が放っておかないはずだ。 落ちていたカップをジェンセンが拾い上げて、傍らのダストボックスに投げ入れる。そして周囲を見て彼は不思議そうにサムに言った。 「見られてる気がするのは気のせいか?」 「ここではジェンセンもただの一般人だよ。パパラッチとかの心配はいらないから」 通行人がチラチラとさり気無く二人を見ている。ただ単に造形が男前だから――そしてその行動が注目を引いたのだろうと言う事をサムは飲み込んでおいた。周りから変な目で見られているのかもしれないが、人間知らないほうがいい事もある。 「それで、これからのプランなんだけど…。その前にここにくる前は何を?その、クリームが」 口についてたけど、とサムが手で示すとジェンセンはその時の事を思い出したのか、気まずそうに――たぶん照れているのだ――ついと視線を巡らせた。 「誕生日パーティーやってたんだ。スタッフと共演者と」 「…今日誕生日?」 「ああ。実は」 「…とんだ誕生日になったね」 サムはジェンセンに心底同情した。元の世界に居れば楽しい一日を過ごしただろうに、こっちに飛ばされたせいで滞在は安いモーテルの部屋に飲むのは安コーヒーだ。 しかしジェンセンから返ってきたのは意外な言葉だった。 「いや、そうでもないさ」 どういうこと?と振り返って聞こうとした言葉は柔らかいまなざしの前に沈黙に変化する。上手くはぐらかされたような気もするが、騙されるのも悪い気はしなかった。 「なぁ、普段何をしているのか教えてくれないか?」 そう言われたものの、はてさて教えるほどの事があるだろうかとサムは今になってやっと気がついた。 さっきのジェンセンの言葉から数時間、彼の興味の赴くまま道具だったりインパラを見せてやった。向こうではレプリカでこっちでは現実のそれらを。 しかし彼はディーンを演じているのだ。とても不思議な事だが。サムにとって生身のディーンをジェンセンは作り出している。演じるという事はディーンの弟に対する感情も想像し、創造しているのだろう。不思議な感覚だ。 そう考えると目の前のジェンセンという男はディーンとは別個の存在であるというのに、自分の殆どを知っている男ということになる。 自分はジェンセンの事を何も知らないというのに、向こうは知っている。実に摩訶不思議な感覚だ。 サムはそんな事を考えながら、もう一度携帯電話を耳に押しあてる。耳を叩くのは変わらぬボビーの録音された声だ。これは今日中に折り返しの電話を期待する方が無駄かもしれない。ここまで連絡がつかないということは十中八九狩りだ。 どこいったんだよ、と場違い的な文句を言いたくなる気持ちをぐっと堪えて――サムは携帯電話をポケットにねじ込む。 時刻は夕方。一旦外に出て他のハンターに片っ端から助言を求めて撃沈したサムは幾つかの食料品を買い込んでモーテルに急ぐ。ジェンセンには申し訳ないが、危険を回避するためにも夜は出歩かない方がいいだろう。 そうしてサムはふと一軒の店に目を留めた。 「やっぱりまだボビーとは連絡は取れなかった」 そう言いながらサムはモーテルのドアを開けた。部屋の右にあるディーンにあてがわれたベッドにジェンセンが腰掛けている。手元にリモコンがあるのを見るとザッピングしていたのかもしれないとサムは思った。 おかえり、という言葉とともに向けられる表情にサムはほほえみながら、しかし緊張した面もちで、片手に持っていた箱をジェンセンの目の前に置いた。 手の上に乗る程度の大きくない白い箱をジェンセンはまじまじと見て、そしてサムに聞いた。 「俺に?」 曖昧にうなずいたサムはそれでも少し緊張していた。こういうのは初めてだったからだ。 「まさか、ケーキか?」 箱をのぞき込んだジェンセンの問いかけにサムは少し笑ってみせる。 「本当は…こんなのじゃ埋め合わせにならないんだけど」 「いや」 まじまじとケーキを見つめるジェンセンは一度言葉を切って箱を開ける。 中から出てきたのは無難な何の変哲のないケーキだ。少しのフルーツと白い生クリームのショートケーキ。ホールにしなかったのは2人でそんな大きなケーキを消費しきれないだろうという庶民感覚に通じたものだ。 「ありがとう。…うれしいよ」 そうしみじみと、噛み締めるようにジェンセンは言った。 何処にでもあるようなケーキだ。そんなに感謝されると逆に申し訳なくなってくる。それともそんなにケーキが好きなのだろうか。 「いや、誕生日を台無しにしたから」 「サムが謝る事じゃない」 そういってジェンセンはサムを見て笑う。あ、初めて面と向かって名前で呼んでくれたな、なんて事を思いながら。 ケーキはサムが思ったよりずっと食べ易かった。 普段はどう転んでもケーキを買ったりはしない生活を送っているサムがこの生菓子を味わうのは実に久しぶりだ。甘いが、一つくらいなら余裕で食べられそうだ。 「本当はずっとサムみたいな弟が欲しいと思っててさ」 ケーキを購入した際についてきたいかにも安くて小さいプラスチックのフォークをケーキに刺しながら、ぽつりとジェンセンは独り言のように言った。 ――実はインタビューでも何回か答えてる。 そんな風に告げた俳優の横顔をサムは驚いてまじまじと見る。 「…変わってるね」 「そうか?」 サムの言葉にジェンセンはさして気分を害したようでもなく、フォークでケーキを掬って口に運ぶ。 「だってディーンを演じてるんだろ?なら、」 ならば。少なくとも欲しいとは思わないだろう。こんな弟は。どう考えても。 そう言って無理矢理に笑顔を作って笑おうとしたサムは、それはかなわず沈黙した。 ぽん、と手を置かれたからだ。頭に。 「…ジェン、セ、ン?」 控えめに、遠慮がちに、しかし柔らかく撫でるように触れる手は不快ではなく、その掌の重ささえも好ましいものだ。 「たまに、こうしたいと思っててさ」 うつむき加減のサムからはジェンセンの表情は何も見えない。しかし、囁く声は静かに優しく、サムに押し付けるつもりのない声色はサムを安堵させるように響く。 「やっぱりジェンセンは変わってる」 サムが笑いながらそう言うと、ふっと笑う気配の次にわしゃわしゃと髪を撫でつけられる。サムの視界が心地よく揺れて、サムの世界に適度で新鮮な刺激が与えられる。むず痒いのに心地いい、心地いいのにむず痒い。何とも言えない感覚だ。 「でも、サムはディーンに返さないといけないんだよな」 「…え、」 少しだけ寂しげな声にサムが思わず顔をあげるとそのジェンセンの背後に見慣れたトレンチコートの姿があった。サムが昨日から試しに何度も呼んでみたが、想像通りちっとも姿を見せなかった天使だ。 「キャス?」 「サム」 その声に驚いたようにジェンセンが後ろを振り返って、そして驚きに目をむいた。キャスはと言えば、そんなジェンセンを一瞬だけ見て、表情をぴくりとも変えずにまたサムに視線を戻す。 「…ミーシャか?」 「違う。私はミーシャではない」 至極真面目な顔でキャスはジェンセンの問いに答える。少しは驚くジェンセンの気持ちを汲んでやってもいいだろうに、と思いかけて、それを求める事もまたキャスには酷な話だろうとサムは思いなおした。 「サムすまなかった。手違いだ」 「手違いって何が?何度も呼んだのに」 「今すぐ彼を戻してディーンを呼び戻す。私のミスだ」 すたすたと2人の方に歩きながら早口に言ったキャスは、すっと音もなくその手をジェンセンの額にかざす。ジェンセンは戸惑っている様子だし、サムだって訳が分からない。サムの問いは丸ごと無視だ。 「え、ちょ、どういう」 その瞬間、2人の姿は跡形もなくその場からなくなった。 「キャス!ジェンセン?」 サムが声を張り上げる。瞬間、がたがたっという物音がバスルームの方から聞こえてサムはそちらに足を向ける。バスルームには確かな人の気配があって、サムはその中を覗き込んだ。 「サムか?…やっと戻れたか。本当に散々だった」 「ディーン?」 ディーンがそこに居た。はー、ととびきり大きなため息をつく姿はサムの見知った兄の姿だ。 兄が戻ってこれた。戻ってこれたという事はジェンセンも無事に戻ったのだろう。キャスから何の話も聞いていないが、とりあえずはこれでいい。良かった。 しかし次の瞬間には、サムはほっとした表情をすぐに隠してディーンを半目で見やりながら聞いた。 「…それ、何」 ディーンの片手には中身が半分ほど残ったシャンパングラス。 「あー、これは、だな。誕生日パーティーでだな。仕方なく。そうだ仕方なく」 「仕方なく。そう、仕方なく。片手にシャンパンで?仕方なく?」 サムがじっとりと兄をねめつけると、ディーンははは、と乾いた笑いをこぼす。 「あーいや。これはだな。知ってたか?今日」 ――俺を演じてる男の誕生日なんだってよ。 サムはその言葉に少し笑って、ディーンの手の中にあるシャンパングラスを奪って口をつける。あバカそれ何百ドルもするシャンパンなんだぞ返せ、という文句を無視してこくりと飲み干したそれは上質なベリーの味がして、甘いのにどこか酸っぱい。気品のある味だ。 ローテーブルの上には食べかけの数ドル程度のケーキが2つ。サムは未だ頭に残ったままのぬくもりと、優しげな表情を思い返してふっと微笑んだ。 「――知ってるよ」 |
パラディンの手
作中のジェンセンの逸話は一部リアルと捏造が交互で交じっております(笑)
S6スポイラーと言いつつ、J2は普通に仲良しという現実を取り入れております。この作品には何の関係もないですが(爆)