―――不思議だ。

最初の印象はそれ以上でも以下でもなく、そんな若干曖昧な言葉だった。如何せん兎に角、他に上手い言い方が分からない。
やっぱり不思議だ。
そんな――言ってしまえば在り来たりで、至極簡単な言葉で集約される――ジェンセンがジャレットに抱いたのはそんな感情だった。





この仕事は肉体労働というには些か粗暴で、かといって知的労働だけかといえば、それもやなり暴論だ。呈よく言ってしまえば、知的労働に見えて、肉体労働としての側面が強い。
体力勝負の仕事とは良く言われるが、言葉ほど甘いものではない。
フィジカルだけではなく、メンタル面でのコンディションも常に保っていなければならないという、コストパフォーマンスがかかる仕事だったりする。
例えるなら、今。
今は忍耐力、もといメンタル面が試されている。
何もかもとは言い過ぎかもしれないが、撮影の現場は殆どがスケジュール通りに行かなかったりする。セットや出演者のもろもろの状況に脚本の突発的な修正。毎日がイレギュラーな出来事に対する勝負の連続だ。

そして今、目下の敵は天候。空は曇天模様。
敵は雲ではない。その雲から零れ落ちてくる雨、だ。

大抵はスタジオでどうにかなる撮影も、このシーンだけはどうしてもロケで済ませなければならない。そしてスケジュールの関係から撮影に使えるのは今日一日。当初は数日の予備日を見込んでいたが、他のイレギュラーな出来事によって、皺寄せがスケジュールを押し、そして天候不順という新しいイレギュラーな出来事によって、また足止めを喰らっている。ちなみに今日ばかりは他の日に皺寄せできる余裕が無い。かなりギリギリの状況とも言える。
曇天模様の空のお陰で太陽は遮られ、うっそりと薄暗い。
曇り程度なら撮影は敢行されるが、薄く黒みがかった空からは時折思い出したように雨が降る。その度に撮影は中断し、何時もは明るい現場も、今回ばかりはまんじりとした時が過ぎる。

「…はっきりしない天気だな」
泣き出しそうな空を見上げながら、そう一人ごちてジェンセンは台本を閉じた。トレーラーに戻るでもなく、タープの下に留まって見上げる空は良く見える。
パタパタと控え目な雨音が静かにタープを叩く。静かな雨だ。
いっその事、思いっきり雨が降ってしまえば次のフェーズにも至れるというのに、この中途半端な天候がそれを許さない。撮影が出来そうで出来ないと言うギリギリのラインをふらふらしている。言い換えればじれったい。
ジェンセンとて、こういう場面を知らないわけではないし、それなりに撮影の現場もこなしてきているのだから待つという事に苛立ったりはしない、しないが、何となく手持ち無沙汰だ。待ちの時間をかなり有意義に使ったお陰で台本の暗記もかなり進めてしまった。そしてとうとうやる事が無くなった。

現場に流れるのは何時もと少しだけ違う空気。
珍しく湿度も高い。停滞する時間。不自然に一瞬だけやってくる静けさはこの現場には似つかわしくない。何か音が必要だ。何か、

「こぉらーーーー!!ジャレットーーーー!!」

突然響いた声にジェンセンも含め、スタッフも思わず声の方を振り向いた。
視線の方向には駆けてくる二つの影。バタバタと走る二人分の足音が次第に大きくなってくる。
足音の主の一つはジャレットと、もう一人は女性クルーだ。しかもクルーがジャレットを追いかけている。小柄な女性が身長の高い青年を追いかけているという光景は、やや見慣れてきたとはいえ、若干シュールに見えないでもない。
そしてジャレットの小脇には大きな袋が二つ抱えられている。遠目にも見えるその袋の中身は最近ジャレットがハマっている…お菓子だ。

「わわっ!そんなに目くじら立てないでよ!」
「立てたくもなるわよ!お菓子を返しなさーい!このマシュマロ泥棒!」
「余ってたから要らないのかと思って!」
「余ってたのと置いてあるのとは違うのよ!それは置いてあったの!!」
「あ、…知らなかった。」
「じゃあ今すぐ返しなさい!逃げるなーー」
「追いかけられたら逃げたくなるよ!」
「なら奪い返すまで!!」
追いかける女性クルーとジャレットの会話で、その場にいた全員が事のあらましを的確に捉え、その表情がみるみる和らぐ。
あ、空気が変わった、とジェンセンは思う。
ジャレットの無類のお菓子好きは今や周知の事実で、その場の空気を入れ換えるような新風を吹き込ませるジャレットの行動に場が和んでいる。
そしてジェンセンもまた自分の心持ちも随分上昇し始めてる事を悟る。今更ながらに自分も少し疲れていた事を自覚した。どうやら自分でも気がついていなかったらしい。

そうすれば全員が悪ノリし始めるのがこの現場の良いところで、無類の団結力を持つチームの底力だ。どんな些細で小さな遊びにも手を抜かない。どんな状況でもとことん楽しむ。
手の空いているクルーから順に女性クルーに荷担すべく立ち上がった。標的はジャレット…もといその手の中のマシュマロだ。
「えぇ!?卑怯だって!」
その空気を読んで、思わずジャレットが後ろを振り返りながら叫ぶという器用な事をしながら走る。
「諦めろ、ジャレット!皆のマシュマロを奪ったお前の方が分が悪い」
わわっ、と小さな悲鳴を上げて、スタッフ数人を巻き込んだ壮大な追いかけっこへと発展させながら、台風の目であるジャレットが走る。

一目散にジェンセンの元に、そして真っ直ぐに。

「ジェンセン!!はい!」
息をあげながら座っていたジェンセンが、ジャレットから些か強引に渡されたのはマシュマロの袋の一つ。
「“はい”って、まさか…」
楽しそうに笑うジャレットの顔と、反射的に受け取ってしまった自分の手の中のマシュマロの袋を見ながら、ジェンセンはジャレットの真意、言い換えれば企みを理解し始める。
「あ、ジェンセンもグルだったのか!」
「まさかジェンセンが参謀だったのか。そーか、そーか」
その光景を目にしたスタッフが楽しそうに叫んで駆けてくる。ちょっと待ってくれどういう流れだ、と咄嗟に思いかけたジェンセンだったが、すぐに口元を小さくつり上げ笑ってみせた。
その笑みを待っていたとばかりに、ますます楽しそうに笑うジャレットに、ますます上昇する気分は何を意味するのか。それでも。

――考えるより楽しんでしまえ。

そう思った瞬間、ジェンセンは立ち上がっていた。台本は椅子の上に置いて。その代わりにお菓子の袋を片手に持って!
「仕方ないな!行くぞ!」
「うん!」
二人でタープの下から駆け出せば、見ているだけの他のスタッフも待ってましたとばかりに笑う。
「悪ガキ二人が逃げたぞー!!」
かくして、天候の悪ささえ吹っ飛ばすような喧騒を身に纏いながら、小雨の中を二人は笑いながら駆けだした。



「ここまで来たら暫くは大丈夫かな」
トレーラーやら撮影用具を積んだトラックが立ち並ぶ間を縫って、ジェンセンとジャレットは身を隠す。遠くの方でやれ探せー、だのこの近くにいるぞー、という声が聞こえるが、まだ暫くは見つかるまい。
何せ撮影で身につけたテクニックだ。役柄を考えれば伊達なものではない。
「よくも共犯にしてくれたな」
ジェンセンが小さく笑って言えば、ジャレットは悪巧みが成功した小さな子供のように笑う。
スタッフも全員気がついているはずだ。最初からジェンセンがノータッチだったことも。知っていてノったのはスタッフもジェンセンも同じで、分かっていてやったのはジャレットだ。

「だって楽しいから」
そうだ、これだ。
けろりと呟かれた言葉を聞いてジェンセンは思う。これはジャレットの天性の才能だ。

曇天が空を包むように、じんわりと現場を包み始めた閉塞感の種をジャレットはいち早く気がついたのだ。だから誰よりも早く、その種が発芽しないように行動して見せたのだ。
そして皆、それに気がついたからこそジャレット思惑にのってみせた。
こんな芸当、誰にでも出来るわけではない。
「…すごいな」
「へ?何が?」
気がついてない所が既にすごい。

最初のジェンセンのジャレットに対する第一印象は真面目そうだ、というものだ。カメラテストをしたときの映像を見たからかもしれないし、弟の方の役だという印象が頭の中にあったからかもしれない。
次に人懐っこい言動で、その印象は完全に覆される事になるのだが、それでも不思議だ、という印象は残った。
このジャレットが、あのサムという役柄を演じて見せた時に、にもう既に不思議な魅力にとりつかれたのかもしれない。

普段からそんなに騒ぐ方ではないジェンセンは徐々に間接照明の強さを変えていくように役柄にシフトしていくのが常だ。そもそもディーンと言う役が大人しいという所からかけ離れた場所にあるのも要因だろう。
対してジャレットはスイッチのオンとオフを一瞬で切り変えるように役になる。さっきまで爆笑していたと思ったら、スタートの声で一瞬でサムという無警戒な笑顔を浮かべる事の無い真面目な人間に変わるのだ。
同じ役者だというのに、何故かそのギャップに驚いた。そして目が離せなくなった。

原色を纏って存在感を醸し出す、大きなマシュマロの袋を手の中でポンポンと跳ねさせながらジャレットは楽しそうに笑う。
「一袋は返して、残りの一袋はもらっちゃおう」
「ちゃっかりしてるな」
「二人の戦利品」
そもそもジェンセンは甘いものをジャレットほどは食べない。むしろジャレットのお菓子好きに並ぶ人間を見たことは無いのだが、マシュマロの大半はジャレットの胃の中に吸収されていってしまうのだろう。
ただ一袋を返すと言っている辺り、最初からマシュマロ強奪自体が目的ではなかったのだ。そもそも強奪して走り回らなくとも、ジャレットを満足させる程度には現場に置いてあるお菓子の類を自由に口に入れることが出来る。
それは云わば手段だ。
現場の空気を入れ替えるための。

「何で不思議って思うんだろうな」
「…?…今日のジェンセン、独り言多いよね?」

カットがかかれば全部を巻き込むようにして現場に笑いと笑顔を落とす。もちろんジャレットはジェンセンを共犯に引きずり込んだりして。とうとう2人まとめて悪ガキという名誉ある称号まで頂いてしまった。
けれどそれは不快から程遠い。
ああ、楽しいな。そんな実感はジェンセンの何かをじんわりと変えた。強引そうに見えて、強引さを感じさせないジャレットのやり方はジェンセンに酷く合っていた。
演じている瞬間だけではない。演じていない時も楽しいのだ。
毎回ゲストが楽しんで演じているのを知っている。どうせやるなら楽しい方が断然いい、というジャレットの考え方はこの現場のカラーだ。

「ほら、見てよ。晴れてきた」
ジャレットが空を指差す。雲の切れ間から薄明かりが差し込み、雨の終焉を告げる。
「撮影再開、だな」
二人は同時に立ち上がり、今日の小さな逃亡劇は幕を閉じる。
「ジャレット。後でそれ半分寄越せよ」
「え、ジェンセンって甘いものそんなに好きだったっけ?」
戦利品と銘打ったマシュマロを持ったジャレットが小首を傾げれば、ジェンセンは曖昧に笑ってみせる。

―――いや、お前の持ってるものが好きなんだ。

そんな言葉を告げる代わりに、ド派手な蛍光色を身に纏っている甘い甘いそれを口に一つ放り込んで、ジェンセンはもう一度、小さく笑った。







ファースト・インプレッション









まだファーストシーズンの時くらい設定で。
初々しく初々しく…。ん?何か違うような(爆)