あるところに、真面目な大学生がいました。彼の名前はサム・ウィンチェスター。
彼はスタンフォード大学の法学部で毎日勉学に励んでいます。

―――けれど彼は他の“人間”とはちょっと違うのです。



○●○



「サム、この後予定ある?」
大学を出たところで、ぽん、と背後から肩を掛けられるのと同時に尋ねられた言葉。サムは一瞬それが誰からの言葉か分からずに、思わずびくりと肩を揺らせて反射的に振り返った。
「あ、ごめん。驚かせちゃった?」
「ジョー…」
振り返った先には同じ学科の同級生。同じく彼女も帰りのようで、肩にカバンをかけている。
「これから飲みに行かない?」
今日も彼女は独特の気の強そうな表情を浮かべている。が、それは不思議と不快感をもたらすものではない。彼女のさばさばとした気の強さは、話していて時に圧倒されることもあるが、サムは彼女の性格を好ましく思っている。
「他にも何人か来るわよ。前のレポートの時に手伝ってくれたお礼。おごるから」
「え?僕は、」

サムが言いかけたその時だ。
パ、と軽いクラクションの音が聞こえ、それを追いかけるように重いエンジン音が響いてきた。
道の向こうからゆっくりとやってくるのは今の時代にはなかなかお目にかかれない年型のシボレー・インパラだ。
そしてそれを運転しているのは、

「あれってサムのお兄さんじゃないの?」
「…みたいだね」
運転席を見てジョーが言えば、サムが少しうんざりした様な声色で答える。
サムの表情は普段は拝めない程度には苦々しいものだったが、インパラの方を見ているジョーはその珍しい表情に気がつかなかった。
そんなことを話している二人の前にゆっくりとインパラが近づいて停止した。そして運転席の窓からひょいと覗いたのは、ジョーの言葉に寸分違わず、サムの兄であるディーンだ。
「よ、サム。今日は終わりか?」
「…うん」
知ってるくせに、と言い掛けた言葉をサムはかろうじて飲み込んだ。ジョーの手前、悪態をつくわけにはいかない。それなりに作ってきた印象を兄の登場くらいであっさり壊すわけにはいかないのだ。
そんなサムを知ってか知らずか、ディーンは視線をやっとサムからその傍らのジョーに遣る。
「えっと、君は、」
「ジョーよ」
「ジョー、サムが世話になってるね」
ディーンが意図して作り上げている、きらきらとした笑顔にサムは次第にジト目になっていくが、ディーンはそれを気にも止めずに、サム曰く”胡散臭い笑顔”を振りまいている。
印象を壊したくなくてそつなく振舞うサムとは対照的に、ディーンはひたすらに印象を良くしておきたいというゲームのような感覚が働いているとサムが気がついたのは何時の事だったか。
「悪いね、ジョー。ちょっと弟を借りるよ」
「じゃあ仕方ないわ。飲み会はまた今度ね」
ジョーが少し笑ってサムを見たので、サムは慌てて笑顔を作らなければならなかった。
そもそも僕は何も言ってないのに、ジョーとディーンの間で僕の午後の予定が決まってしまうのは何かおかしくないか。

――そんなサムの至極真っ当な疑問に答えてくれる人間は残念ながら何処にもいなかった。



***



「―――で?」
インパラに乗り込んでジョーに手を振った所までは人好きのする笑みを浮かべていたサムだったが、いざ車が走り出しディーンと二人っきりの空間が出来あった途端。彼の口から出てきたのは低い声だった。
「何だ?」
それを知っていてディーンはわざとおどけてみせる。ディーンがおどけているのはサムも勿論承知で、眉間に皺を寄せてディーンを横目で捉える。
「わざわざ迎えに来てくれたんだから何か理由があるんだろ?」
「サミーちゃんを迎えるのに理由がいるのか?」
「……この車をHV車に変えてやる」
「お前、それは極悪すぎるだろ!悪魔よりも悪魔らしいぞ!」
「…どこがだよ」
何故か兄はこのシボレー・インパラが酷くお気に入りだ。
気まぐれに車の修理工をやってみたと思えば、魔力で記憶を操作しては巨大企業の営業部長をやってもみたりする気まぐれな生活を満喫している兄は、今日は部長の仕事をやってきたらしい。スーツのジャケットを脱いで、ネクタイを緩めている姿は腹が立つほど格好よく見える。どうせ職場を出るまではHV車に乗っていて、サムを迎えに来る途中でインパラに変えたのだろう。兄の力を考えれば、そんな事は造作ない。そしてそんな事をさらりとやってのけるのがこの兄なのだ。

これ以上サムが何を言っても仕方が無い。サムはこれ以上文句を言うのは止して、シートに深く背を預けた。
ただ、何も考えなしで動きそうなこの兄は、結構考えている。サムを迎えにきてみたのにも何か理由があるに決まっている。

そんな事をサムが考えていた時だ。
ふと遠くから呼ばれた気配に、サムは沈めていた背中を起こした。

「ディーン、車止めて」
「何で」
「契約だ。呼ばれてる」

何処かのクロスロードで今日もまた一人、悪魔との契約を欲している。
――余命と引き換えに叶えたい願いを。地獄に堕ちると知りながら。

「やだね。」
ディーンの端的な一言。その意味を理解した瞬間、サムは派手に顔を顰めた。
「何で?」
「わざわざお前が出向いて契約しなくてもいいだろ?下っ端にやらせてお前は何時も通り契約を握ればいい。お前、自分がどのレベルの悪魔か知らないわけじゃないだろ?」
そう言うディーンは車を止める気配はなく。二人が住んでいるアパートへとインパラはひた走っている。どうしてもサムを契約場所へ行かせる気は無いらしい。その兄の行動にサムは深くため息をついた。

「……ディーン。何だかんだで僕自身で一度も契約とったことないんだけど」
「あのな。リリス見てみろ。あいつが自分で契約取りに行ってるとこ見たことあるか?少なくとも俺はないぞ」
「そのリリスに“サムは契約自分でとったことないの?へぇーそうなんだ、へぇー”って嫌味言われた」
「……」
「ついでに”人間界で楽しくやってるわりに全然働いてないよね”とも」

ディーンの脳裏に無害な笑顔を浮かべながら痛烈な皮肉を言ってのける、自分達と同じ位に属する悪魔の姿が脳内にちらつく。ついでに嫌味を言ってのけるリリスの姿まで容易に想像できて、ディーンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
あの女悪魔の皮肉は並大抵のものではない。皮肉全部が粘着質で陰湿なのだ。それを笑顔と無垢な言葉遣いで言われた日にはたまったものではない。

「あー、…じゃあリリス殺しちまえば?お前なら殺れる」
「地獄の勢力図を変えてゴタゴタするの嫌だ。提案するなら兄貴がやれば?兄貴だって殺せるだろ?」
「ヤだね。アイツとはそもそも相性が悪い」
生理的に受け付けないのだ。あの悪魔は。
そんなディーンの持つ印象とリリスがディーンに抱くそれは同じようで、リリスはディーンにはあまり接触してこない。それに加えてリリスはサムを何故か気に入っているようで、何か在ればからかいにやってくる。全く以って暇な奴だ。
今しがたディーンはサムにリリスを殺さないと言ったが、あまりにリリスがサムにちょっかいを出すのならディーンとて面白くない。場合によっては殺す、絶対に殺す、という何とも物騒な事をディーンは考えた。
が、今はまだその時ではない。自ら悠々自適な人間社会に交じって弟と暮らすという穏やかな環境を放棄したくは無い。

「殺したくないならイヤミに耐えろ」
「……」
二人してリリスの姿を想像して閉口しながらも、インパラは二人のアパートの駐車場に滑り込む様に入る。
「それは置いといて、だ。大体お前に契約が取れるか」
ディーンが車から降りながら言った言葉は、同じようにインパラから降りたサムにしっかりと届いたようだった。一瞬だけ動きを止めたサムは不服そうな表情を浮かべてみせた。
「今、リリスよりも嫌味言われた気がする」
「不治の病に冒された妻を甦らせてくれ、とか泣きつかれたらお前ほだされるだろ」
「……………そんな事ない」
「その間は何だ。その間は」
そんな会話をしながら二人は部屋を目指して歩く。

ランクとしては中の上に位置しているアパートの廊下は美しく磨かれていて、二人の足音を軽快に響かせる。賃料分の環境は整っているというわけだ。
エレベーターが着いたのは3階。ここに二人の借りている…言い換えれば魔力で何だかんだと誤魔化して住んでいる部屋がある。
お隣さんとの関係は良好。ディーン一人だけなら誤魔化せなかった諸々の事もサムのお陰で上手くいき、二人は幼い頃に親を亡くして二人だけで生きてきた仲睦まじい兄弟として認知されている。

すれ違うアパートの住人に挨拶を交わしながら、二人は部屋に入る。
「それに、だ」
「何?」
ローテーブルにインパラのキーを投げて、ネクタイを外している兄の背中にサムは問いかける。
「契約完了で何するか、お前知ってるだろ?」
「……キスがどうかした?」
にべもなく返事をしたサムの言葉にディーンはぐ、と一瞬だけ動きを止めて、サムに詰め寄った。

「お前を何処の馬の骨とも分からない相手とキスさせられるか!」

その兄の馬鹿な言葉でサムもようやく合点がいった。
今日迎えに来たのはこれが理由か。何も考えなしで動きそうなこの兄は、結構考えている。考えてはいるが、方向が完全におかしい。何だ、その思考。
契約完了の証であるキスをさせたくないのか。だから今日も契約の匂いを敏感に感じ取ってサムを迎えに来たのだ。わざわざ職務放棄して日の明るい内に仕事を切り上げてくる位に。こんな部長を持つ部下が気の毒だ。たかが、キスで。
――そんな理由で今まで一度も契約できず、リリスにイヤミを言われているのか、僕は。

そこまで考えて、サムは、キレた。

「それが理由で僕の契約を悉く阻止してるのか!」
「当たり前だ!!」
「く、くだらなさすぎる…!」
人間の世界で言うなれば、悪魔の社会は縦社会で階級社会だ。位の高いものの言う事は絶対で、逆らう事は許されない。その階級は保持している魔力の強さで決まる。
幸い二人は上にどうこう言われる階級に甘んじている悪魔ではない。むしろ二人は上級位の悪魔だ。だからこそ、人間界で好き勝手生きる…むしろ悪魔らしくない穏やかな暮らしを経験してみたりする事が可能なのだ。いわば、はぐれ悪魔のような立ち位置でもあるが、強大な力のお陰で誰も何も言ってこない。我慢する事と言えば、リリスの嫌味に耐えるくらいだ。
そもそも悪魔のするべき仕事はそう多くない。娯楽で人を誑かしたり残虐な事を好む者が多いが、サムはそう言うものを好まない。むしろ倦厭し、嫌悪さえ感じている。
だからこそ契約くらいは取らないと何となく申し訳ない、――例え自分より下位の悪魔が取ってきた契約を握る立場でも――と思っていたのに、兄がこれだとどうしようもない。
明日インパラを絶対にHVに変えてやるという、ささやかながらディーンにはパンチのある報復を決意しながら、サムはこれ以上の不毛な争いを放棄した。無駄に疲れる。明日も1コマ目から講義があるのだ。こんな所でアホな言い合いをしているより、予習でもした方が余程時間を有効に活用できる。

サムはディーンにそっぽを向いてカバンの中からテキストとノートを出した。これがサムの“今から勉強するから絶対に話しかけるな”というサインだ。
そんなサムを見ながらディーンは少し考え込むように手を顎にやった。そして考える事、数秒。ディーンはサムに話しかけた。
「じゃあ契約させてやる」
「え、マジ?」
思わず振り返って、ディーンの表情に偽りがない事をサムは確認した。どういうわけか考えが変わったらしい。サムはディーンの気が変わらないうちに、慌てて先の契約の気配を追うが、当然それはない。他の悪魔が契約してしまっているのだろう。
じゃあ次の契約者が現れた時か、とサムが勝手に解釈しかけた時、ディーンが“ただし”と付け加えた。
「そんじょそこらの契約は却下だ」
「?…じゃあ誰と?」
そもそもサムが契約を取るのにディーンの許可が必要な取り決めなど、何処にも存在しないのだが、ディーンの言葉に聞き入っているサムはそれに気がつかない。

「契約者は…俺。」

「は?」
呆気にとられたサムを気にする事無く、むしろそのサムの反応を最初から想像していたのかディーンは滔々と言葉を続ける。
「だから俺と。契約。」
「い、一応聞くけど――契約内容は?」

「俺をずっと好きでいろ」

さらりと告げられた言葉にサムは一瞬言葉を失い、……そして次に気が抜けた様に小さく苦笑した。
――全く、困った兄をもったものだ。
もう怒る気も何処かに飛んで行ってしまって、今はただただ目の前のディーンを見てサムは小さく笑う。くすくすと零れてしまうサムのささやかな笑いにディーンは何も言わない。その代わりにディーンも口元にほんのりと笑みを乗せるだけだ。
「対価は?」
「俺。俺を全部やる」
「ディーンを?」
「その代わりお前を寄越せ」
ずいぶん尊大で甘ったるい契約にサムが本格的に笑えば、ディーンの額がサムの額にコツリと押し付けられ、二人の距離は限りなくゼロに近づく。

「契約って言うの?これ?」
「もちろん。契約するのか?しないのか?」
どう考えても契約ではない。世間に知られる事の無い二人だけの契約だ。それはディーンもサムも知っている。知っていてこそ、だ。
ディーンの手がサムの柔らかい髪を撫でながら、後頭部に添えられる。サムは契約主でありながら、この甘い甘い契約への拒否権が無い事を悟る。しかしサムに不服は無かった。
「これが僕の最初で最後の契約?」
「そういう事だ」
吐息に乗せて囁きあう言葉は睦言に似て酷く甘ったるい。もう少しで触れ合いそうな距離で交わす契約はまるで誓いに似ていた。
――そうだ、これは誓いだ。神とは一番遠い場所に存在する悪魔が交わす、誓いだ。

「じゃあ、契約成立」
「契約破棄は無しだからな」

小さく囁きあった後、二人は静かに唇を重ねる。

契約の完了を告げる口付けは酷く甘く、永遠に効力を失わない悪魔が誓う愛の誓いは、その想いの深さを示すように、いつまでも続いた。








愛の誓いは接吻で









10万打フリーリクエスト:悪魔兄弟DSパラレル
(人間に呼ばれても契約時点で兄に邪魔されるため契約できない強大な
魔力をもっている弟=契約の証がキスだから(笑)なので人間界に家出中)

とっても楽しく書かせて頂きました!楽しすぎて色々調子に乗ってしまってすみません…!(汗)