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○内容が途絶えた物語○ 何かに呼ばれたような気がして顔を上げた。 けれど何も無かった。 あるはずがない。ここは図書館で、己はレポートをまとめていて。だから、何も。何も無いのだ。だからこれは普通だ。 何も居ない。居るのは人間だけだ。そう、これは普通。 「サム?」 その声にサムは反射的に声のほうに振り向いた。其処に立っていたのは少人数の講義で隣の席になったことから最近言葉を交わすようになった友人だった。 「ああ、どうしたの?」 「レポートだろ、それ?憲法論の」 「そうだよ」 サムは静かに笑った。当たり障りない会話はサムの最も得意とする所だ。この特技のお陰で敵は作った事は無かった。言い換えれば、内心まで踏み込んでくる人間もいない。それはサムにとって心地の良い事だった。 「テーマ、何にした?」 「プライバシー保護の実体的デュー・プロセス理論の再考」 「うげぇ。ヘビーなの選んだな」 「そうかな?」 「首席には付いて行けねぇよ。せっかくレポートの題材のおこぼれにあずかろうと思ってたのに題材の理解っつー前提条件を満たしてねぇもん」 「それは残念」 サムが笑うと相手も笑った。 「じゃあな。レポート頑張れよ。あ、人の事言ってられねぇか」 友人は去り、そしてまた図書館に静寂が戻る。 驚く事に周囲に人は居なかった。閉館間近の此処はひっそりと静まり返り、視界に入る限り、サムと本しか存在していない。 ――独り。 図書館の奥はひっそりと静まり返り、闇が静かに佇んでいた。闇の奥に潜むものがじっとこちらを見ているような気がしてサムは小さく首を振った。 もうあの生活は抜け出した。 なのに何故未だに手の届く所に塩を置き、銀のナイフをクローゼットに忍ばせているのだろう。塩なんて普通の人間は料理の時にしか使わない。銀で作られたナイフに清めの効果を見出している人間なんてそうは居ない。 そう思うと可笑しかった。とてもおかしかった。 あの生活は抜け出した。それは望み続けた結果で、充当に歩けば人並みの生活が手に入る。安定して、穏やかで、静かで、ゆっくり終焉を迎えるような優しい人生だ。 ―――なのに。 なのにこんなにも独りだ。 望んだ生活だ。振り返ってはいけない。決別も告げられたし、責められた。それでもあの生活には戻りたくないと叫ぶように祈っている。 だから寂しいと思う資格は無い。そんな権利は何処にも無い。 「………」 また声が聞こえたような気がしてサムは振り返った。 やはり誰も居なかった。 何時も守ってくれていたたった一人の存在を思い出す。思い出さずにはいられなかった。例え甘えだとしても。 いまも記憶に残るその姿が脳裏に霞んで残像はいつまでも残った。 END |