兄の矜持、というものがディーンにはある。

それはディーンにとって、とてつもなく重要で、とんでもなく大きな意味がある。彼の持つアイデンティティの半分以上を占めるほどに。
”兄の”というからには、その矜持を保つためには弟の存在が大前提になるのは言うまでも無い。
弟、その存在は言わずもがな、ではあるが、サムの事だ。スタンフォードに奨学金を勝ち取って入学し、ついでに超成績優秀だったらしい(らしい、というのはディーンが実際にその証拠を見ていないからだ)。兄弟なのだから過去には色々あった。人当たりは恐ろしいほどに良い癖にディーンから見れば、小憎らしい面も結構ある。が、彼はディーンの自慢の弟だ。恥ずかしすぎるので絶対言わないが。
恐ろしく賢く、たまに歩く辞典じゃないのか、と思える件の弟は兄の目線から見ると恐ろしく危なっかしい。知識量に比例して冷たい人間なのかと言えば、完全に真逆の道を突き進んでいる。柔らかい印象は相手の警戒心を解かすという案配だ。聞き込みの時は大きな強みだが、逆に言えば狙われやすい。だいたい二人が並んでいれば、面白いほどに敵は弟を狙う。(面と向かって言うと殴られるのでたまにしかいわない)
というわけで。ディーンにとってサムは守るべき存在、庇護して慈しむ存在だ。周囲から過保護やら、囲っているだとか、色々言われたりするが知ったこっちゃない。これはディーンの中で真理であり、絶対なのだ。

まぁそういうことで(どう言うことか詳しい事は省略)、そんなこんなでディーンのそれが兄弟愛とは少し…いや、かなり違うことに気がつき、葛藤やら戸惑いやら常識やら、そいういう類のものをまるで登山をするかのように必死で乗り越え、密やかに想いを通じあわせたのは案外最近の事だ。
そこまでの経緯は色々あった(本当に洒落にならないくらい色々あった。ハゲるかと思った。マジで)が、これも省略。と、まぁ色々恋人としての特権を行使しながら生きているわけで。
結論を言えば。ディーンは真から惚れた相手と相思相愛の名のもとに人生の春を謳歌しているわけだ。

閑話休題。

アメリカ合衆国は広い。
当たり前だが、ニューヨークやロサンゼルス、ワシントンDC等々の世界に誇る大都市があれば、当然それらの都市に比べると呆気に取られるような田舎もある。文字通り何も無い街。時間軸が若干遅れているような凄いトコもあるわけだ。混沌と雑然、多種多様と表裏の違法合法。これも広さ故だ。
一番手頃なのは胡散臭いバーだろう。
雑多な街――中途半端な都会もどき――ではそういう店が結構あるものだ。
しかもかなりヤバイモノに限って小洒落た名前を付けられていたり、いかにも珍しいだけの酒というレア感を醸し出していたりするのだ。違法ではないから尚更タチが悪い。知らずにうっかり口にすれば、それなりに楽しめたりするが、面倒な事にもなる。

そして今回は、その面倒な方の話。


(ヤバイヤバイ、何だコレ)
ディーンは焦っていた。
嬉しいがヤバイという、何とも矛盾した心情に完全に翻弄されていた。
「待て、待て待て待て、サミー、ちょ、ちょっと待て」
「んー?何で?」
(”何で”って…ああああ!ちくしょう!可愛いな!!)
今、弟は普通の状態じゃないんだ、と必死に自分に言い聞かせているディーンもまた、気が動転して普通じゃない状態に陥っていることに、彼自身気がついていない。
この状況を打破するためにサムを力で押さえ込むこともディーンには可能だっただろう。ディーンとサムのどちらが強いかと問われれば、若干ディーンの方が旗色が良い。ディーンは時に応じて動きの型を柔軟に変化させる(悪く言えば破天荒なのだが)実践重視の動きをするため、無駄を省いた動きの事の多い兄の方が、弟より強かったりする。
そして何よりサムは酔っている。
ベロベロという下品な酔い方ではない。ふわふわと憶測のつかない、兄兼恋人としてはかなり美味しくも、俺以外の人間の前でこんな酔い方すんなよ可愛いから、という些か不安にも思うような複雑な状況ではある。

そして話は冒頭に戻る。酒の話、である。
二人はとある都市に訪れていた。目新しい事件もなく、とりあえずそこそこの規模を誇る街に寄ったのだ。時間にも余裕があった二人はとりあえずバーに行った。情報収集が目的ではなく、単に息抜きのためだ。狩りが続いていたこともあり、オンとオフに明確な差の無い生活を送っている二人には休息が必要だったのだ。
まぁ魔が差したというほど悪い事でもなく、ただ少し気分が良く気が向いたという程度だ。普段は無難なビールで済ませる二人だが、バーテンに勧められて、この街…もしかしたらこのバーオリジナルのカクテルなんかを頼んだりした。

それが見事にヒットした。
…ディーンにではなくサムに。

ん?とディーンが異変を感じ取った時には遅く、サムはふわふわと意識を彷徨わせていた。サムは酒に殊更強い体質ではないが、弱い方でもない。ただ酒を混ぜると悪酔いするような癖を持ち合わせている。
同じモノを飲んでいて、ディーンは平気でサムがおかしな酔い方をしているのならば、そういう類の理由しか考えられない。ディーンが不審に思ってバーテンを問いつめてみた所、二人が飲んだカクテルには珍しい酒が香料としてブレンドされて使われているらしい。
香料の原料を聞いて、ディーンは心当たりがあった。黒魔術に使われる薬草の一つで、ヤバいほどではないが、オススメできるものでもない。ならば不可思議なサムの様子を説明する理由はこれしか考えられない。
サムは悪酔いしているわけでもなかったのだから、そのままアルコールを楽しむ事も出来ただろう。しかし此処は自由の国、アメリカ。酷く保護欲をかきたてる様子の弟を狙う輩が居ないとも限らない。現にディーンがムラっときているのだから、(ディーンの主観で判断すれば)その可能性はかなり高い。
結局、ディーンはモーテルに戻ることを決めた。


「サム、サミー、しっかりしろ、冷静になれ」
それが今のディーンの狼狽の発端だ。しかし発端だが、原因ではない。重要なポイントだ。
「んー?何で?」
きょとん、とした表情で首を傾ける仕草は酷く幼く見える。普段が普段だから尚更だ。やっべぇ、そんな風にディーンが内心で呟くと同時に、理性という名の造りの甘い生け垣が崩れかける。
んが。今日のディーンは違った。奇跡的にそこで我に返ったのだ。
「待て待て待て!!」
「今日は僕が、やる」
「やらなくていい、やらなくていい、マジで!!」
ベットの上。甘い睦言が囁かれるはず(だった)場面。酔った恋人。
まさに据え膳。ディーンとしては理性を蹴り倒して飛びつきたい状態だ。

だが、それさえ取っ払って、これほどディーンが焦っているのは、サムの“僕が、やる”という言葉に集約される。

念のために言っておくが、サムは、いつもと立場を逆転させろ、と言っているわけではない。簡潔に言えば、サムがディーンを押し倒したいわけではない。断じてそういう場面ではない。
いつも通りサムが受け入れる側だ。抵抗が無いわけではないだろうに、酔っていてもそのスタンスを微塵も崩そうとしないーその考えさえ浮かんでいないーサムにディーンはズレた感動さえ覚えている。
話は少し飛んだが、ディーンが焦っている理由、なら何に焦っているのかと聞かれれば、答えはこうだ。

サムが、奉仕したい、と言い出した。

何故それでこんなにディーンが戸惑っているのかと言えば、色々と複雑な理由があったりする。
もちろんディーンとて経験の浅い男ではない。そして男だ。好きな相手からこう言われて、この言葉を喜ばないと言ったら嘘になる。
「や?」
「嫌なわけあるか!……いやいやいや、そうじゃなくてだな」
やべぇ、もう押し倒したい。可愛すぎるだろ、これ。
それが今のディーンの本音だ。
実際、というか大体、男は狼なのだ。サムをモーテルに連れ帰って、無防備な姿に欲情したのは事実だ。後で酔いからさめたサムに殴られてもいいからここは押せ押せだ、とまで思っていた狼だ。そこは否定しない。
それが、だ。今は戸惑っているなど、どの口がそれを言う、という感じもしないでもないが、ディーンは結構必死だった。
「お前はそんな事しなくていいんだ」

快楽でどろどろに溶かしてやりたい、それがディーンの偽り無い本音だ。

愛を紡ぐ行為、ましてや同性だ。受け入れる側のほうが当然負担が大きい。体の負担も、もちろんだが、男として同じ性を受け入れる事に抵抗を感じないわけがない。それを分かっていてサムはディーンを受けいれた。そして今も受け入れ続けている。
だからこそ快楽に溺れきらせたい。どうしようもないほどの快楽を与えてやりたい。ただただ惜しみなく与えて、何も考えなくさせてやりたい。
時に貪るようにディーンがサムを欲しても、根底にあるのはそれだ。

普段、理性の光を灯し続ける瞳の奥が濡れるだけでディーンはもうだめだった。自分の暴走しそうになる欲を必死で堰き止めなければならない。
叶うはずのない想いをサムは受け止めてくれた。本来ならば出来るはずのない行為を受け入れてくれている。それだけで、もう十分ディーンは満たされている。それ以上望むのは自分が酷く貪欲に思えて仕方がない。
それでも人は欲深い。常ならざる姿だけでディーンがこれほど内に湧く快楽を自覚しているのだから、それ以上のものをサムから与えられたらどうにかなる。
―――どうにかしてしまう。
「何するか分からないからダメなんだよ」
「?」
きょとん、とした姿。それがもういけない。幼い仕草にさえ欲情するのだ。末期としか言いようがない。
「だから、」

「僕、ディーンになら何されてもいいけど」

「……っ、」
まるで太い縄の繊維が一本ずつ加速度を増して切れていくように、ディーンを寸での所でつなぎ止めていた理性の糸が次第に細くなっていく。負荷は変わらないというのに、繋いでいるはずの糸だけが切れていく。
「ああ、くそ。サミー、お前、マジで」

ぷつん、
切れた理性やら躊躇やら他の何やらが崩壊していく音を、まるで他人事のようにディーンは聞いた。
そうしてディーンは、静かに何の変哲もないモーテルの天井を仰ぎみて、白旗を揚げた。


そう、これは兄の矜持も慈しみも、惚れたという名の愛の大義名分の下では、たいして意味が無い、という話。






(惚れた方の負け!)





【NEXT:U−Zone】
これだけで完結扱いに出来ますが、もし続きにご興味のある方はU−Zoneへ