旅路の果てに何が残ったのか。 その問いかけに実に簡潔な答えを用意するというのなら。結論から言えば、ディーンの手の中には何も残りはしなかったという事になる。かろうじて目を凝らして残ったものを探してみる。そこに在ったのはただ事実だけ。手では掬えない、ただの事象としての現実。弟を失ったという事実だ。ただ簡潔で言葉にしてしまえばとことん薄っぺらい事実。それだけだ。ただ、それだけ。 「……」 ふとディーンはぼんやりと両の手のひらを見つめてみる。銃を持ち、ナイフを持ち、化け物を殺し、時に人間を殺した手。そしてこの手は弟を救えなかった手だ。 結局この手で掴めた物は何だったのだろうかとディーンはもう一度考えてみる。悪足掻きだ。そして矢張り掴めた物など無いことに愕然と驚いてみせながらも、不思議と納得している自分もいる事に気が付いていた。結局ディーンは何も掴めず終わることを何となく理解していた。ハンターだからという理由もある。しかしそれ以上に、今まで生きてきた人生を振り返れば穏やかという冠を戴く生き方など到底似合わないと思っていたからだ。それでもただ一つ今でも理解出来ない事があった。 何故、自分の隣にサムはいないのか。 おかしい。おかしいじゃないか。ディーンは思う。それはあり得ない話だと確証もない言葉を反芻しては、それでもやっぱり弟がいないという事実をおかしいと思う。何かが決定的におかしい。おかしいのだ。確かに何も掴めないとはディーンは思っていた。ハンターの末路なんてそんなものだと。暖かい家族、野球観戦、休日にはバーベキュー、アップルパイのある生活。そんな物は掴めない。漠然とした憧れがディーンにあったのは事実だが、掴めないこともまた承知していた。だからこそ引き替えに今あるものは失わないという盲目的な確証があった。それは何とか出来る、何とかしてきた、そんな危うい橋を渡ってきた上に立つ根拠のない確証だ。今考えれば哂い出しそうな話だったが、ディーンはあの時までそれを信じていた。確かに信じていた。ディーンにあったもの、只一つあったもの、それはインパラの助手席を指定席にしていた、あの、 何故自分の隣にはサムがいないのか。 そんな自問自答をディーンはあの瞬間からずっと繰り返している。勿論答えは出ない。出ないことを何処かで薄々気がつきながらそれでも自分に問いかける行為を止められはしない。サムが居ない。どうしてこんな事実が自分に降り懸かっているのかが理解できない。サムが自分で決めてYesと告げ、魔王を道連れに檻に入り、今も業火に焼かれている。今この瞬間も。そんな事実を音の記号として認識できても理解が出来ない。 今この瞬間、ディーンがぼんやりと両手を見つめている格好を晒している瞬間にもサムは地獄の檻の中に居る。 その事実だけでディーンはどうにかなりそうだった。同じ時を生きながら、片やのうのうと生き、片や地獄の業火の中に。そんなのはおかしい。おかしいのだ。何がおかしいとか理屈とかそういう話ではない。この状態は決定的にディーンの基準ではおかしいとしか言いようがない。とにかくおかしいのだ。変だ。どうしようもなく。 何故生きているのだろうと今更ながらにディーンは考える。これもよく考える。考えすぎて前に何時考えたのか何時か思い出せない。一昨日だったか、昨日だったか、それとも一時間前か。どうでもいい事を思いながら、生きる理由を思い出す。そうだ思い出した。弟の言葉、その言葉があったからだ。あれはまるで遺言のようだった。事実サムにとっては遺言だったのかもしれない。 連れ戻すな、そう言ったからディーンは無茶な行動には出ていない。平穏な暮らしをしろ、そう言ったからディーンはこの家に来た。サムがそう言ったから。サムが願ったから、ディーンはその通りに生きている。自分が欲しかったもの、穏やかな家庭だとか野球観戦、週末のバーベキューにアップルパイのある生活、それを手に入れた。しかしサムの言葉が無かったらこの生活を望んだだろうかとディーンは考える。また考えて、同じ答えに至る。答えはNoだ。この生活は憧れでしかなかった。しかし現実になった。何故か。そうだ、サムの言葉に後押しされたからだ。 サムがいなくなるのなら、生き方が分からなくなる。サムが居ないからこそ、生き方が分からなかった。だからサムの言葉に従った。そうしないとサムの居ない生き方が分からなかった。 サムはそんな先を見越していたのだろうか。そして俺の憧れを何処かで気がついていたからあの言葉を言ったのか――、ああ何て弟だ。ディーンの生きる理由を根こそぎ奪って、ディーンの平穏な生活を1から10まで与えて地の底へ消えていった。 「ディーン、アップルパイ焼けたわよ」 その声にディーンは顔を上げた。ふんわりと漂うバターの香りに交じっているのはアップルの焼けた甘い匂い。穏やかな生活、穏やかな家庭だとか野球観戦、週末のバーベキューにアップルパイのある生活。サムが昔欲しがっていて諦めて放棄して、そうしてディーンが憧れ、サムが最期に与えたもの。 この場所には何もかもが在って、何も存在しない。 そうして何時もディーンの答えの出ない思考は今日もまたここで終わる。いつもの事だ。この思考そのものがリサへのほろ暗い裏切りだともディーンは気がついている。サムの言葉に従って、サムの言葉があったからこそ、この場所に来た瞬間から裏切りは何処かで始まっていたのかもしれない。ディーンは思う。 弟は今この瞬間も太陽など覗くべくもない暗い地獄の檻の中、そしてのうのうと生きる不甲斐ない兄は日溜まりの中でアップルパイを食べている。 どう考えてもおかしい。矢張りこの世界は決定的におかしい。 そんなもう何度目か分からぬほど考え尽くした事をディーンは思いながら、こんがり焼きあがったアップルパイを口に運ぶのだ。 |