囚われない形は自由。 奏でる音は時に優しく、時に厳しく。 恵みながら、奪い。 慰めながらも焦燥を生む。 幼い頃、サムは良く雨音を聞いていた。 誰かが居れば静かな雨音を聞くのは難しく、いつも1人の時に聞いていた。 1人の時間は多かった。父と兄が狩りに出た時の、1人っきりで留守番をしていた雨の夜。父が不在の時間、兄も何かの用事で出かけていて、一人で過ごす物憂げな午後の雨。家族に自己主張をすることを覚え、飛び出した先の自由の中で聞く雨の日。 それでも雨はサムにとって孤独の象徴ではなかった。どちらかと言えば静かに寄り添う、優しい音の象徴だった。 そんな二律相反した矛盾を抱えながらも優しい表情を崩さない雨が、サムは好きだった。 ざぁざぁと雨がアスファルトを叩く。アスファルトだけでなく家家の屋根を叩く。それだけでは無い。街、人、空を遮るものの無い場所、全てを叩く。 「あーくそ。降られた」 今夜の宿―毎度の事ながらモーテルだ―に慌しく駆け込みながらディーンは忌々しく呟いた。ディーンが出かけようとしていた時点で空は泣きだしそうだったのにも関わらず、ちょっとそこまで、ビールだけだから、と愛車を使わずに買い物に出かけたのがそもそもの間違いだったのだ。 部屋に駆け込んで、やっと不快な雨から逃れる事に成功したディーンは小さく息を吐いた。突然の雨だったことは不幸中の幸いで、雨はそれほどディーンを濡らしてはいない。革ジャンに雨粒が点々と残る程度だ。 それでも不快なことに変わりは無い。いつまで経ってもディーンを濡らした雨を吸い込むことをしない革ジャンから雨粒を払い落として、ディーンはやっと顔をあげた。 「・・・・・・・」 そこでディーンは顔を上げたまま、少し面食らったようにその動きを止めた。 「おい、サム?」 視線の先には弟。当たり前だ。ディーンは弟を見るために顔を上げたのだから。 動きを止めたのは。明かりもつけないで弟がベットの上で静かに横たわって微動だにしていないという状況に理解が追いつかなかったからだ。 「おかえり」 「うぉ」 声と同時にむくりと暗闇の中の人影の頭部分らしきものが動いた。天気のせいで薄暗い部屋の中で、ゆっくりと動くシルエットにディーンは少なからず驚いた。 てっきり眠っているのかとも思ったが、ディーンを驚かせた張本人は眠ってはいなかったようだ。しかし薄暗闇の中で眠っていないというのも若干不気味だ。 「ただいま・・・じゃなくて、お前、何してんだ」 まだ驚きの余韻を引きずっているディーンの顔が何時も通りの余裕たっぷり、というものに変わる前に言葉は自然に滑り出てきていた。その事を少しだけディーンは後悔したが、サムは気がついていないのか、少しも気にした様子はなかった。 「雨の音、聞いてる」 なるほど。ディーンが耳を澄ませれば、雨の音が静かに響いてきている。外に出てみれば忌々しい水の滴も、眺める立場にいれば不快ではないようだ。 「新手の儀式かと思ったぞ」 ”明かりくらいつけろ”と続けて、未だ革ジャンに張り付いたままの残りの滴を些か乱暴な手つきで払ってから、ディーンはそれを脱ぎ捨てた。買ってきたビールを備え付けの冷蔵庫に入れ、部屋の明かりをつけようとした。が、ディーンは思い直したように、伸ばしかけていた手を止めた。 「てか、何で雨の音なんか聞いてるんだ」 「好きだから」 「お前、雨好きだったか?俺は雨に降られて、雨に恨みを抱いている真っ最中だ」 「音が好きなんだよ。僕だって降られるのは好きじゃない。そもそもインパラに乗っていかないからだよ」 どうやらインパラに乗っていかなかった兄の目測の誤りを弟は見抜いていたらしい。ディーンはバツの悪さを見せぬようにしながら、そっと弟が陣取っているべットに近寄った。 「・・・・え、何、」 ディーンの行動にサムが発した言葉は、想像通りのもので、ディーンは悪戯が成功した子供のような気分になった。 「俺も雨音を聞いてみようかという酔狂な気分になったんだ」 「自分のベットで聞けばいいだろ」 サムの言い分は尤もだが、ディーンはその返答を無視という行動で済ませた。 サムは未だ困惑しているようだった。それもそうだ。ディーンは自分のベットを無視して、わざわざサムが寝転がっているベットに寝転んでいる。そんな兄の行動は弟の想像の斜め上を行っているのだろう。 モーテルのシングルベットでは青年二人を受け止めるには些か心許ないというもの。どちらかが小さく身動きする度にベットは小さく悲鳴をあげる。 「雨音の聞こえる窓側のベットを独り占めか?サミーちゃんは」 ディーンの一言でサムは黙った。普段は子供扱いされるとムキになるサムだったが、今回は呆れ、諦めたらしい。小さく息を吐くとディーンを追い出す気は無くなったのか、そのまま黙った。 さぁさぁと雨が降る。 時々ぱたぱたと大きな雨粒も落としながら。 まるで静寂を壊さぬようにサムがぽつりと呟いた。 「文化圏によって雨音を指す言葉の数は違うらしい」 「例えば?」 「東洋のあたりなんかは自然と共生することが文化の礎に組み込まれているから、雨を示す言葉や擬音語はとても多いんだって」 「雨を楽しんでたってか」 「自然を管理しようとする西洋には無い概念だと思うよ」 「まぁ、この国じゃ日照り続きでも無かったら雨はうっとおしいと思う奴がほとんどだろうな」 静かに雨音を楽しむなんて傷心の奴がするものだとディーンは思いこんでいた。あくまでディーンの基準でしかないが。 「こうやって外に出なければ、雨、嫌いじゃないけど」 「幽霊登場シーンの大事なアイテムの一つって何か知ってるか?雨だ。サミーちゃんは一つクリアだな」 「茶化すな」 「怒るな」 ぽつりぽつりとこぼれ落ちる会話はまるで心地の良い雨音のようだ。 「雨音、よく聞いてたから。こうやって静かに聞いてると落ち着くんだよ」 「・・・そうか」 雨の記憶。 そういうものがディーンにはあまりない。火のイメージが強すぎるのかもしれない。この生活に足を踏み入れるようになった鮮やか過ぎる炎はディーンの脳内にこびりついている。 “雨音をよく聞いてたから” その言葉の裏を返せば、サムがこうやって一人で過ごしていた時間の多さを無言で語っているかのようだ。きっとディーンの知らない時間を静かに過ごしてきたのだろう。 それは父とディーンがサムを残して狩りをしている時なのかもしれなかったし、一人で勉強をしているとき、何かに思いを馳せているとき。 ディーンの知らないサムの孤独がそこには確かに存在していたのだろう。 ディーンは思い立ったように仰向けにしていた体を横に向けた。サムが不思議そうな表情を浮かべる隙を与えずに、ディーンはその思いつきを素早く実行する。 「ちょ、・・・?ディーン!?」 「俺はこっちのほうが落ち着くけどな」 サムの動揺も気にすることなく、ディーンは深く深くサムを抱き込んだ。ディーンの腕の中の存在は驚いたように身じろぎしている。 「ちょっ、な、何?」 「今更照れるな。夜は・・・」 「言ーうーなー」 「されるがままにされてろ。悪いようにはならないから」 「その言葉が一番信用できない」 ため息のような言葉を一つ落としてサムは再び静かになった。今日の弟は諦めてばかりだな、と元凶を作り出した兄はのんきに考えながらもう一度深く抱き込む。 胸一杯に空気を吸い込めば、肺に馴染んだ弟の匂いが滑り込んで、知覚するものは弟だけになる。 雨はまだ降っている。 世界から二人を切り離すように。 世界はまるでふたりぼっちだと知らしめるかのように。 雨は静かに二人を世界から隔絶する。 「静かだな」 「雨だから」 突然降りだした雨から逃れるように帰ってきて、薄暗い部屋の中、お前がベットの上で静かに横たわる姿を見た時、思わず戦慄した、と告げたらどんな表情を弟が浮かべるのかディーンは想像してみて、無意味だとその想像を打ち消した。 過ぎた事だ。ましてやサムはその事を知らない。否、覚えていない。 あの日、確かに死んだ弟をディーンは目の当たりにした。体温を失う体。零れる命の雫。魂の無い体が横たえられていた、あの薄暗い部屋。あの時の感情は今も巣食い、ディーンを解放することはないのだろう。 後悔、憤怒、無気力、喪失感、悲しみ。 物言わぬ体は確かに一瞬、ディーンを殺した。それだけの力が鼓動を刻まない、声を発しない、体温のない、拍動を止めたサムの体にはあった。 そして雨に降られ、何気なくディーンの視界に飛び込んできた弟の姿は、確かにあの一瞬と重なった。 魂の無い体が横たえられていた、あの薄暗い部屋。僅かな時間の隙は、あの記憶へとディーンの意識は引き戻すには十分だった。 あの戦慄を何と呼ぼう。 ディーンはその感情を殺すように、深く深くもう一度抱きしめた体を抱き込んだ。 「ディーン・・・?」 とくり、とくり、と聞こえるのは確かな命の音。 それは静かに降り続ける雨よりディーンを安堵させる。 この音のためなら何をしてもいい。 ――例え、何と引き換えにしようとも。 「どうしたの?」 胸に収まった体から僅かにくぐもった声が聞こえる。 首筋に顔をうずめれば、鼻先に感じるのは弟の生の香り。 全身で抱きしめれば、柔らかい体温がじわりと柔らかく熱伝導する。 「・・・何でもない」 さぁさぁ、と雨は降っている。 サムに安らぎを与える音は静かに降り注いで、世界を曖昧にさせる。 とくりとくり、と鼓動は確かに聞こえている。 ディーンに安寧を与える音は触れあった場所から静かに伝わり世界の輪郭をはっきりとさせる。 「雨に降られて風邪でもひいた?」 「そんな軟弱に出来てねぇよ」 ディーンの言葉に少しだけ笑ったサムの体から力が抜けてディーンの背に、そっとその手が回された。 ひとたびドアを開けてしまえば、2人を待ち受ける世界はあまりも困難に満ちている。 安寧の少ない、戦う事を至上命題とされた、見知らぬ運命の歯車の下で人はあまりも無力だ。そんな世界でディーンもサムも生きるしかない。どんな結末が待っていようとも。 けれど今だけは。たった一晩、数刻でも良い。 雨が世界を隔絶すればいいとディーンは願う。サムの憂いを慰める優しい音。ディーンの生きる理由を与える規則正しい音。 たった二人きりの世界で、今だけ世界が2人を無視してくれれば良い。 そんな夢物語をディーンは願った。 |
rainy day