私は彼を愛していたの。 言葉にすれば安っぽい、ただただ宙をきるような陳腐な台詞。けれどその中に渦巻く愛と言う名にコーティングされた感情は安くもなく、陳腐でもなかった。愛という感情の正体。征服欲はいわば愛情の側面。手中の存在を望む感情の名は愛情の裏に隠れた独占欲。 そう、私は。 サム・ウィンチェスターの胸の中に陣取り、居座っていたディーン・ウィンチェスターという男の存在場所を侵略して強奪したかった。 “ルビー” 私を示すその紅い石の意味は深く、強欲。 勝利の石、不滅の炎の化身、不死身の力、情熱、威厳 ――その全てをサム・ウィンチェスターにあげるわ。 ルビー[Ruby、紅玉]…コランダムと呼ばれる鉱物の変種。色によって名称が異なる。 数百年と言う時の中を私は生きた。人が生まれ、死に、その子供が大人になり、そして年老いて死ぬ。そんな単純な人の生の流れを何度も何度も繰り返している時の中を私は悪の使いとして存在してきた。 群れる事は無かった。むしろ敵ばかりをつくって生きてきた。 誰よりも強い力を得るため、時をじっと待っていた。真の黙示録が示すこの世界の終焉を示すその時を。私の目的は其処にある。全ての悪魔を出し抜いて強大な力を得る。 ルシファーの復活。 其れを成し遂げた時、私は誰よりも強い存在となる。魔女を越えた、強大な力を得、天も地も、その最下層のすべての世界を見下ろせる位置に立つ存在に。 そう強かに、獲物を狙う瞳を持ちながら存在する私の目の前にあの日現れたのは、驚くほど澄んだ瞳をした人間。 ――可哀想な人間。 悪魔に魅入られ、兄に執着され、モイラに翻弄され、タナトスに見過ごされた、可哀想な人間。 私と同じ野望を持ったアザエルの布石にされ、リリスに利用され、ルビーと言う名を名乗る私に目をつけられてしまった。 嗚呼、なんて可哀想な人間。 そして、なんて黒い祝福を受けた、人間。 本人達の知らぬところでモイラの歯車は静かに回り始めていた。 アザエルの目的、リリスの目論み、それらを私はずっと静観していた。上級位の悪魔ではない身で天と地を揺るがす渦の中に最初から足を踏み入れては命取りになりかねない。失敗は決して許されない。誰にも悟られてはいけない。誰にも。 そして時は満ち、渦の中心に位置する人間―ウィンチェスター兄弟―に出会った時には、その片方であるディーン・ウィンチェスターの余命は一年を切っていた。そしてサムは兄を救おうと必死だった。 全ては予定調和。歯車は軋む事は無く、幾重もの歯車を複雑に噛み合わせモイラは微笑む。 でもまさか弟の居ない人生に耐えられなかった、たった一人の男が起こした行動が世界を揺るがす初手になっただなんて! 私は見事に振舞って見せた。味方さえも欺いて。躊躇無く悪魔を殺した。そう、全ては悲願の為に。 そしてディーン・ウィンチェスターは地獄に堕ちた。 ディーン・ウィンチェスターは消えた。もうサムの前に現れる事は無い。 瞬間、私の胸にこみ上げたのは暫く感じた事の無い歓喜だった。そう途方も無い、快楽にも似た歓喜。 あの男はサムを捕らえて離さない。兄と言う肩書きを大義名分にして全てを独占しようとした男。男が抱えるのは悪魔と取引をしてでもサムを連れ戻したと言う途方も無い執着。 それは美しい兄弟愛にみせかけた独占欲。 サムは兄に巣食う想いを知ることは無い。ただ、兄の手によってタナトスから引き戻された。モイラは紡ぐ歯車の中にそれさえも想定していたのか、私は知らない。ディーン・ウィンチェスターは禁忌の想いと共に地獄の業火に焼かれる。焼かれ続ける。 66の封印を握る鍵。リリスはディーン・ウィンチェスターを決して逃さない。 逃してしまえばルシファー復活という大いなる一歩が全て消えてしまうのだから。 何も知らないサムは足掻く。禍々しい目論みの中心に居ながらも何も知らないまま。この契約だけは決して破れはしない事を知らずに。 そうして私は絶望の真ん中で一人佇んで途方に暮れているサムの前に降りた。 サムは一人。 全部失って一人。 サム、私があなたの傍に居てあげるから、あなたは私のものになって。そうすれば永遠の絶対をあげるわ。 聡明で賢く、分別の在るサムが誰でもない私の言動で立ち直って行く光景は甘美な優越感。決して触れられない存在の一番近くに居るのは私。あの地獄に堕ちた男ではない。私はあの男が絶対に譲らなかった場所を奪い取ってやった。 愉悦に微笑み、叱咤するように手を伸ばしていた私はうぬぼれていたのだろうか。絆していると思いながら、本当は絆されていたのだろうか。 サムは私の中にディーンを求めていた事に私は気付きながらも、どうにかなると思っていた。求めていないと思った。 そして第一の封印は破られた。 ディーン・ウィンチェスターの最大の支えであり、弱点であるサムを引き剥がせば何時かは陥落する。そういう男だと私は知っていたし、リリスも知っていてうまく立ち回った。30年もの間耐えたのは奇跡に近かったけれど。 サムの知らないところで歯車は廻り始める。ゆっくりと、けれど確かな加速をつけて。 サム・ウィンチェスターと言うとても聡明な男に選択肢を与えながら望む方向に誘導していく過程を私は楽しんだ。数百年生きてきた私でも常ならば到底騙せる男ではなかっただろう。だから全ての鍵を握る存在になったのは皮肉としか言い様が無い。 サムは優しすぎる人間だった。 ――哀れすぎて愛しくなるほどに。 悪魔に憑かれた人間を殺さないために、嫌悪を滲ませながら悪魔の血を取り込んだ。悪魔の血が流れているが故に善を求め、残酷なほどに真っ直ぐ立ち回ろうとした。 その想いはサムの判断力を鈍らせた。緩やかに静かにモイラの歯車が正確に回る姿とは対照的に、サムの歯車は少しずつ噛み合わなくなっていく。 けれど其れで良い。最後に笑うのは私――そしてサム、貴方自身なのだから。 ディーンの居ない時間に徹底的にその喪失の隙間に滑りこんで、渋る横顔を私だけに向けさせようとした。なのに、一つの誤算が転がり込んできた。天使の出現は想定外だったけれど、それは如何でも良い事。私の最大にして、じれったさにも似た憤りをもたらしたのはもっと他の事。 あいつがサムの前に戻ってきた。 4ヶ月の時を経て、ディーン・ウィンチェスターが舞い戻ってきた。 すぐさま殺してやりたかった。忌々しいその存在。4ヶ月前と寸分変わらず、サムの前に存在し続けるその姿。ともすればサムを止めようとする。自分の前に引き戻そうとする。私が少しずつサムを引き寄せてきた血の滲むような努力を一瞬で無に帰そうとする。 殺してやれたらどれだけ清々する事だろう。 もうサムはお前のものじゃない。サムの一番近くに立っているのも、血の侵食も、秘密も共有しているのも私。兄弟なんていう儚い血の繋がりだけで、あの男はどこまでもサムを取り戻そうとする。兄弟という絆をとことん盾にして、兄弟と言う絆を免罪符にしてどこまでもサムの前に存在し続ける。嗚呼、八つ裂きにして消してしまえたら!! あの男の私を見る目。殺意を掻き立てられるほど気に食わなかった。 ―――お前にサムを渡してたまるか、 その目が、その表情が、その身体全身が私にそう言っていた。それは私と同じ感情。だから何処まででも対立する。 ――私こそ、今更渡すなんて出来るわけが無い。 サムは、私のもの。 危ない橋は何度も渡った。けれど私はしくじらなかったし間違わなかった。只の一度も。 開き始めたサムとあの男の距離は少しずつ広がる。悪に抗おうとするが故に手段の健全さを少しずつ剥ぎ落としていくサムと、そのまま傍に据え置きたいと切に望む男との溝は最初は小さくとも次第に抉れて深くなっていく。互いを想えば想うほど、命を賭けて守りたいと想えば想うほど、二人は同じ想いが故に対立する。同じ想いが二人を引き離す。 どちらが正しくてどちらが間違っているかなんて如何でも良い。物語の結末に笑うのは私なのだから。 サムがあの男から離れてくれさえすれば、それで良い。 そしてルシファーは復活する。 サムが心の底から憎んでいたリリスの死、という皮肉な結果で。 嗚呼、サム。この感情を何と呼ぶのかしら? サム、ルシファーを復活させた貴方は強大な力を得られるわ。ねぇ、私も同じ。聡い貴方を騙さなければここまでたどり着けなかったわ、ねぇそうでしょう。貴方は真面目すぎるから途中でやめてしまうでしょう?でも怒らないで。これが貴方の為よ。これがサム・ウィンチェスターの運命なのよ。正しいわ。とても正しいし、真っ当なのよ。それは不幸じゃなくて幸せなのよ。これから混迷し、人が死に絶えて行く世界で生き残れる人間は貴方だけ。私が貴方を生かす。私と貴方は一緒に生きるのよ。嫌いな悪魔を支配におけるの。リリスも死んだでしょう?ルシファーを復活させたからよ。結局其処に行き着くの。ねぇねぇ私聡い貴方をここまで導いたわ。誰でもない、私が!!私がよ!?あのディーンって男じゃない、私が。私が貴方の事一番に考えてる。そうでしょう?サム。だから、だからサム。サム、ねぇサム?サムサムサムサムサ、 …サム? どうしてそんな目で、私を見るの? まるで仇を見るような、そんな目で。 そうして次の瞬間、私はナイフを持って駆けてくる男を視界に捕らえた。 ディーン・ウィンチェスター!! 最後まで、無駄な足掻きを。ここで八つ裂きにしてくれる。人間が悪魔に勝てるわけが…、殺してくれる!!八つ裂きにしてくれる!!消し去ってくれる!!サムは誰にも…、だれ、に も? なぜ? なぜ、サムが、あなたが、 私の動きを止めて、いるの? あのおとこが、わたしを、ころそうと、している、の、に。 なぜ、その、てつだい…、を? 次の瞬間、胸に走る灼熱の痛み。悪魔を殺すナイフの刃が、ぎらりと、ディーンと同じ瞳をして輝いていた。 なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ!!! サム、私は間違ってなんて居ない!!如何して此処まで来て愚か者に成り下がろうとするの!!ディーン・ウィンチェスターを信じるの!!ディーン・ウィンチェスターは如何して其処までサムの心を離さないの!? 私は、私は、あの男と同じように考え、貴方の為を思って、勝者にしてあげた、私の…、私の…!! どうして、 な、ぜ? 私は、いつだって、完璧に、…立ち回っ、失敗なんて、一度も…力を、サムを導いて、 な、ぜ、…? 最期に見たあの男の顔は私に惜しみない怒りと憎悪を滲ませながらも。 ―――完全足るなる勝者の顔を、していた。 |
紅い石の誤謬
(彼女は最初から間違っていた、大きな間違いをおかしていた)
(兄が弟しか見ていなかったように、弟も兄しか見ていなかった)
(彼女は自分の目的と支配欲に溺れきっていた)
(サム・ウィンチェスターを見くびっていたのだ)
(彼女が最初におかしたミスは命取り)
(そして彼女は最後に足元を掬われた)