「飲むぞー!じゃなかったメリー・クリスマース!そしてハッピー・ホリデーズ!!」
“長いぞー!”“こっちで勝手に始めるぞー”と声が上がれば学生が集まるバーには和やかな笑い声が響く。


『サム!クリスマスの予定は?』
『…え?』
講義が終わって、次の空コマをどう過ごそうかとサムがぼんやりと考えていた所に、同じ学部の友人からクリスマスパーティの誘いが来たのは22日の事だった。
『“え?”じゃなくて!あれ?過ごす相手でも出来た?』
いや、そうじゃないんだけど、とサムが言えば、友人はその呆けた顔はどうしたんだよ?と問う。サムはその問いかけを適当に誤魔化しながら、内心の動揺を収めようと必死だった。

忘れていた。
普通なら一大イベントであるクリスマスの到来を意識していなかった自分自身にサムは愕然としていたからだ。

2日前とは随分と唐突な話だったがサムは二つ返事で了承した。
する事がなかったからだ。
否、しようと思えば予定は作れる。図書館から借りてきた本を読むことも出来るし、ゼミでのレジュメを早めに完成させて教官の指導を仰ぐ準備も出来ただろう。そして、そういうことが苦に思わない程度にサムは真面目だった。あくまで本人が思っている認識なのだから、周囲から見ればサムは真面目すぎるほどに真面目だった。
加えて彼は普通の大学生が当たり前に過ごすように、バーに身を置いてグラス片手に取り留めの無い話を続ける事もあまり好まなかった。当たり前の大学生のようで、少し周囲と違和感を醸し出す生き方のその原因は育った環境と、何より性格に依存するものだとサムは疾うに気が付いている。
しかし24日のまさに今日。サムはバーで、多くも無いが少なくも無い友人達とクリスマス・イブを過ごしている。右手にソルティー・ドック、顔面には作った完璧で誰にも破れない難攻不落の笑顔を貼り付かせて。
クリスマス・ツリー、政教分離の原則から言えばホリデー・ツリーになる、を見遣りながら、サムは聖なる夜とやらを過ごしている。

闇に潜むモノにとっては聖なる夜など全く関係ないことを知りながら。





「あー、くそ」
独り言は案外空しい事にディーンは気が付いていたが、それでも悪態を引っ込める気は更々無かった。相手がいないからこその独り言だ。誰にも聞かれなければ問題ない。
酷く忌々しい顔をしている自分の顔を想像しながら、ディーンはインパラのトランクを些か乱暴に閉めた。
――寒い。猛烈に寒い。
よもやこんなに冷えるとは思わなかった。ディーンは1人ごちながら、先まで自分が仕事をしていたその場所を振り返った。
夜の闇にじっと息を潜めるように佇んでいるのは死者がひっそりと眠る場所。墓地だ。
誰もが言いようの無い恐怖を抱くその場所も、魂の無い器が埋められているだけだと思えば何も恐ろしい事は無かった。
「仕事完了、っと」
今日もまた一つ、悪霊を退治できた事実にディーンはそれなりの満足感を得て、インパラに乗り込んだ。

少しでも暖と食べ損ねた夕飯分のエネルギーを摂取しようと深夜までやっているカフェを見つけたディーンは今日の労をねぎらおうと決めていた。
仕事自体はさほど苦労しなかった。ただの悪霊退治だ。
強いて言うなら悪霊の正体を見定めるのに少々手こずった位だが、死体を燃やすだけで済んだのだから、まぁ楽だったと言えるのだろう。1人でなければもっと早く終わっただろうが。
しかしディーンは1人だった。今回の件に関して父とは別行動。父親はもっと厄介な件に取り掛かっているようで暫くは別行動だ。その分、自分に仕事が任されたことが、それなりに仕事に厳しい父に認められたようでディーンの苦にはならなかった。
適当にメニューからカロリーの高そうなものを選んでコーヒーとともにウェイトレスに注文する。さり気無くウェイトレスをチェックして、この店はレベルが高い、と思いながらもナンパする気にはならなかった。しかし思いがけずウェイトレスに微笑まれて、ディーンも反射のような素早さで笑顔を浮かべる。

「メリー・クリスマス」

「…え?」
思いがけないウェイトレスの言葉にディーンは一瞬だけ呆けた。
オーダーを持っていくその背中を見送りながら、ディーンは今更ながらに気が付いた。
よくよく見れば店内の装飾は煌びやかだし、レジの隣には着飾った小さなもみの木があるではないか。

「今日、24日か…」
――すっかり失念していた。





『ああ、そっか…クリスマス』
『勉強のし過ぎで曜日感覚が無くなったか?それにしてもクリスマスを忘れるなんて余程小難しい事でも考えてたのか?』
違う、何も考えていなかったのに忘れていたから驚いているのだ。とサムは言えずに小さく笑う。
『あれ?もしかして実家に戻るのか?』
『戻らないよ』
そもそもクリスマスを祝うなんて事をしないんだ、とも言えずにサムはクリスマス休暇の過ごし方を適当に誤魔化した。端から家に戻る事など考えていない。
その“家”が無い上に今家族が何処に居るのかをサムは知らないのだ。
サムが知っているのは、少なくともこの国の何処かに居るであろうと言う事と、今日も狩りをしているのだろうという曖昧で確かな推測だけだ。
『じゃあサムも来いよ。法学の奴しか来ないし、…此処だけの話、クリスマスは口実で実家に戻らない寂しい学生達の楽しい暇つぶしだ』
その言葉にサムは笑った。学生の偏差値に比例するのか、サムが今まで出会った多くの人間だけがそうだったのか知らないが、ここでは余計な詮索もされないし、機知に富んだ会話も出来る、サムの複雑な家族関係を悟った僅かな気遣いもそれなりにありがたかった。
『じゃあ行こうかな』

行かなくとも良かった。すべき事は在った。
ただ、クリスマスを“普通”に過ごしてみたかったのだ。





ディーンは神を信じていない。
地獄の猟犬や悪魔が居るだろうとは思っていても、聖なるものの存在はどうしても信じ難い。
故にクリスマスもそれほど祝う気にはならない。
この時期になるとショッピングモールには人がごった返し、NYのツリーの点灯がニュースになるが、ディーンにとってそれは余り関係の無い話だった。
――聖なるものを信じるのは、邪なるものを畏れているからだ。
ならば的確に邪なるものを退治する方法を知る世界に住んでいるディーンは聖なるものを信じない。たぶんそう言うことだ。そうやって育ってきたし、そうならざるを得ない環境だった。

それでも幼い頃はそれなりにこの日を過ごそうとした。
真っ直ぐな目でこの聖なる日を楽しみにしている存在がいたからだ。

ディーンのとりとめの無い思考は其処で1人の存在に思い至った。これ以上だらだらと考えていても仕方ない、と自分に言い聞かせてみても思考は止まらない。
「年か?」
目の前に置かれたオーダー通りの料理をつつきながらディーンは小さく呟いてみた。違う、こんなに思い出すのは年だからではない。今日がクリスマスの前夜だからだ。

そう。ディーンはたった一人の弟に“普通”を教えてやりたかった。
グリーティングカード、もみの木の下のプレゼント、家庭料理。少なくともあの悪夢の夜までディーンはそういうすごし方をしてきた記憶があるが、サムには其れが無かった。
神が生まれたと言う日でも父にとっては余り関係なかったように思う。それもそうだ。愛するものをあんな形で失えば、神など信じるに値しなくなるだろう。それを考えても、ディーンには何も知らないサムが不憫で仕方なかったことを覚えている。

神の存在など深く考えなかった幼い日々。それでもこの日を楽しもうとする幼心は否定されるべきではない。

ディーンは窓から空を見上げる。
遠い地にいる、かの存在は今日と言う日を楽しんでいるのだろうか。





「サム!楽しんでるかー?」
「うん、楽しんでるよ」
ほろ酔い気分で上機嫌な友人の言葉にサムは曖昧に笑った。
たぶん、楽しい、のだろう。
年相応の遊び方だ。大学生らしい過ごし方のはずだ。
けれど少しも酔いが回らない。何も考えたくは無いのに、胸に沈む錘が比重を増しているかのようだった。

サムは何処かに居るかもしれない神を信じていた。それは信々深いというわけではない。食事の前に神に感謝の言葉を述べる事も無いし、教会で祈りを捧げた事も無い。
ただぼんやりと信じているだけだ。
邪なるモノが確かに存在しているのならば、聖なるものが存在してもおかしくはないとサムは思っている。

サムは普通をよく知らない。
クリスマスもその一つだ。
グリーティングカード、もみの木の下のプレゼント、家庭料理。
知識としては知っている。テレビをつければドラマでは風景が映されていたし、ニュースではショッピングモールでごった返す人、NYのツリーの点灯。それがクリスマスの風景の様だった。
しかし知識は経験には及ばない。
知識がどれだけあっても身を持ってクリスマスを知る友人には及ばなかった。家族と共にごくありふれたその日を過ごした友人の経験に、何かが確実に及ばなかった。その時初めて知識の限界をサムは悟った。

けれど兄との二人きりのクリスマスを知っている。
たどたどしい子供二人のクリスマスはそれなりに楽しかった。少し普通ではなくても。

何故思い出すのだろう。
普通を手に入れた今になって。





少し熱めのコーヒーを一口飲んでディーンはほっと息を吐いた。

サンタクロースは本当に欲しいものをくれはしない。
少なくともこんな日に墓を掘り返して死体に塩をまいて燃やしたりしていれば、聖なる夜もサンタクロースも慌てて逃げていくだろう。
その代わりに、それよりも確実に何かを手に入れる方法がある事をディーンは知っている。
呪術、悪魔との契約、伝承の歌に秘められた秘具。
多分そう言う方法でしか願いは叶わない。純粋な願いを夢見る子供を卒業し、狡さと欲望を覚えた大人には、そんな方法しか無い。
それでも神の祝福を受けた水が立派な狩りの道具になっているのだから、世の中は矛盾だらけだ。

こういう日はいけない。思い出ばかりが転がり出てくる。
それでも思考は止まらない。

十数年前に貰ったお守りは今もディーンの首でその存在を主張している。
少しばかり物を手荒に扱うディーンでもこの魔よけだけはぞんざいに扱ったことは一度たりとも無かった。チェーンが切れそうならば修理をして、大切に扱ってきた。
そのお陰か、まだまだお守りはディーンの所有物で在り続ける事が出来そうだったし、狩りで致命的なミスをしたこともなかった。ディーンがこうやって健在で在る事が確かな証拠だ。

クリスマスの記憶。
それは二人ぼっちのクリスマスに帰着する。
ディーンのクリスマスは聖なる夜という意味合いよりも、二人で過ごした柔らかくて少し切ない憧憬だった。





サムは適当に酔いを醒ますと友人に告げて外に出た。少しも酔っては居なかったけれど。
息を吐けば白い。空には星が瞬いて、雪は降る気配は無い。それでも真っ暗な空を見上げるよりは幾分か気分が良かった。

――あのお守りはどうなったのだろうか。
サムは不意にそんな事を思い出した。

遠い記憶。二人で過ごした二人ぼっちのクリスマス。
もう数十年も経っている。子供が手に入れられる程度のものだ。壊れるのは容易い。現にサムだって、十数年も前の物で手元に残っているものなど何一つ無かった。
丁寧に扱っていた兄の姿がぼんやりと思い浮かぶ。物は必ず壊れる。それでもディーンが大事に扱っていていくれた記憶は残る。それで十分だった。
そういえば、渡した時も少し照れたようにはにかみながら受け取ってくれた。

その記憶は夜空で佇むサムに穏やかな温かさをもたらした。無意識に口元から力が抜けて僅かな笑みが浮かんだ。それは作られた完璧なものではない。

昨日のように思い出だせるそれは兄にとってはもう遠い記憶なのかもしれない。
進む道を別った時の僅かな痛みまでもサムは思い出して少し顔を歪めた。手が悴んで、ジャケットのポケットに手を入れれば、プラスチックの感触で携帯電話の存在を思い出した。
何時でも連絡出来る便利なそれで連絡を取った事は未だ無い。

きっと今日も狩りで忙しいだろう。邪魔をしてはいけない。

少しだけ巡考してサムは取り出しかけたそれを再びポケットの奥に押し込めた。いい訳めいた言葉を逃げる口実にして。





会計を終えてディーンは外に出た。
夜風が一瞬だけ強く吹き付けて、ディーンの皮ジャンを揺らせた。
今日はやけに冷える。
さっさとモーテルに戻って、ヒーターをフル稼働させれば温かいまどろみの中にすぐに飛び込めるだろう。其れが出来る程度には疲れている。
ふと立ち止まってディーンは空を見上げた。
晴れている。冬の澄んだ空気のお陰か、星は驚くほどはっきりと見えた。中途半端に雪を期待して真っ黒な空を見上げるよりも、こっちの方が幾分かマシだ。

どうも感傷的になっていけない。
弟の姿ばかりを思い出しては、最終的に進む道を別った時の僅かな痛みを思い出す。
もうこのお守りの事でさえ、弟にとっては忘却の彼方にあるのだろうか。
昨日のように思い出だせるその出来事は弟にとってはもう遠い記憶なのかもしれない。
それでも胸に揺れるそのお守りは確かに弟から貰ったもので、その記憶は確かに存在している。それで十分なのだろう。
無意識にポケットに手を突っ込めば、ひんやりとした冷たい無機物の感触で携帯電話の存在を思い出した。

きっと楽しいクリスマスを過ごしている。水を差さなくてもいいだろう。

少しだけ巡考してディーンは取り出しかけたそれを再びポケットの奥に押し込んだ。いい訳めいた言葉で無理矢理自分を納得させて。












それでも許されるだろうか。
願ってもいいのだろうか。
同じ空を見上げて二人は同じ事を考える。

信心深くはないから、クリスマスという言葉で願うのはやめておこう。
だから。せめて。

「「Happy Holidays」」

言葉と共に闇に広がった白い息はそれぞれの願いを乗せて、そっと闇夜に溶けた。