サム・ウィンチェスターにとって世界、というのはある程度、人類が進化の過程を辿ってきた中で、ほぼ解明されている、と思っている。 否、上記の言葉には若干の語弊がある。語弊と言うより説明が足りないという方が正しい。 彼はそれほど科学万能主義でもないし、人類のその小さい脳が世の中の事象全てを解明するのは不可能だと思っている。現在でも自然科学は発展の歩みを止めてはいないし、解き明かされていない定理もいくらか存在しているのは確かだからだ。もしそれら全てが解明されても、人間は新たな謎に気がつき、その歩みが終わることは無いだろう。その中で彼の生業に関する分野についても科学的なメスが入るかもしれないが、それは別の機会、別の次元の話になるはずだ。 ともかく。 故に世界は解明されていない。 しかしある程度は解明されている。法治国家の変遷も、大衆心理もインフォーマルな組織関係も、人々が残してきた歴史の足跡の解明はある程度なされているはずだ。解明され尽くし、研究の中で頭打ちになり衰退していった学問も多くある。 そういう点では人が解き明かしてきた数々の事柄をないがしろにすることはできない――そういう意味で最初の一文に繋がる。そういう理由だ。 だが、幼い頃からテキストに載ってる知識を貪欲に吸収し、時には数学の神様と呼ばれ、かつて籍を置いていた大学でも乾いた布が簡単に水分を吸収するかのように、脳内に知識をため込んでいるサムでも、今も昔もさっぱり分からない事があった。 ―――兄だ。 「…暑い。うっとおしい」 「俺は暑くないし、うっとおしくもない」 「そう。分かった。でも僕は暑いしうっとおしい。今すぐどけ」 「俺の事は気にしないでいい」 「最初から気にしてない!!」 ぶちり、とサムの堪忍袋の尾が切れる音がして、彼は背中にのしかかってきている元凶、―言わずもがなディーンだ―、に勢いよく顔だけを向けて声を張りあげた。こういう時はサムが本気で怒っている事を示せば、ディーンは大抵退くことをサムは経験から知っていた。たまに調子付かせる時も無いわけではないが。 肩越しにギロリと睨みつけたものの、サムの予想を裏切ってディーンは怯んだ様子も、退く様子も、ましてや面白がっている様子も無い。やたら上機嫌にサムを見つめ、 「んー?サミーちゃんはお怒りかー?」 と何でもないようにのたまう芸当をしてみせたのだから、サムは怒りを根こそぎ何処かへ持っていかれた。 おかしい、絶対におかしい。何かが絶対におかしい。誰が何と言おうとも、おかしいったらおかしい。 もう一度言う。 …おかしい。 「ディーン、とり憑かれてない?」 「聖水の一気飲みでもするか?それとも塩か?」 うん、そうだろうな。とり憑かれてないのは僕が一番知ってる。 その言葉を必死で飲み込んで、サムは目の前のPCに向き直った。背中は未だ重いが仕方ない。諦めが肝心だ。 2人が居るのは狭いモーテルではない。きちんとシングルのベットは2つあるし、仕事の為に使うための小さなテーブルもある。そのテーブルが今、サムが作業をしているこのテーブルだ。ちなみに椅子はきちんと2つある。 ”仕事”のためにこのモーテルを選び、サムがPCを開いて作業し始めたのは小2時間前で、その間、ディーンは情報収集のために役所に行っていた。 そんなサムの兄が戻ってきたのは30分ほど前だ。収穫物の一部をサムに渡して、彼自身も資料の分析を始めたまでは良かった。 ……それがサムの背中にのしかかるような体勢でなければ。 最初はサムも無視をした。兄の奇行に。相手にしなければ諦めると思っていたのだ。それは子供にするそれと同じ対処だ。そして20分後、――20分も我慢したサムは己の作戦の失敗を痛感する。兄は懲りる所か、サムの髪まで撫で始めたのだ。 そして冒頭のサムの怒りの一言に戻る。 おかしい。本当におかしいのだ。最近の兄は。 サムはPCの画面を見つめたまま、小さく唸った。 昔から理解できないと思った事は多かったが、最近はその比ではない。 敢えて言うなら意味不明。 相手は人間、ましてや自分に最も近しい存在だというのに最近は何を考えているのかさっぱり分からない。 本気でとり憑かれたのではないかと危惧して、ビールにこっそり聖水を混ぜてみたり、食事の時に手を滑らせた振りをして塩の入った小瓶をかけてみたりしたのは数日前の事だ。 結果、ディーンはとりつかれていないことは分かったが、逆にサムの混乱は増した。 きっかけは何だった? 兄がおかしくなったきっかけは――、 そこまで考えて本格的にサムは頭を抱えたくなった。 きっかけどころか原因だ。忘れていたわけではないが、頭の隅においやって、敢えて思い出さないようにしていたのに、わざわざ思い出してしまった。 そう、思い出した。というか忘れたフリをしていた。 兄の奇行が始まったのは、互いの抱える感情を押さえ切れなくなって、どちらからともなく吐露した、あの日。 「サミー、」 「う、わぁ!」 耳元で響いた低く、すこし甘さを滲ませた声にサムは反射的に叫んで椅子から自分のベットに飛び移っていた。 「な、ななな、な」 サムの目線の先で、その元凶をつくった兄はうっそりと微笑んでいる。一見すれば無害だが、普段の兄の素行を考えると胡散臭いことこの上ない。 誰かに助けを求めたい。ついでに出来ることなら、この兄をブン殴って欲しい。が、その肝心な頼む理由を説明することがサムには恥ずかしくて出来ない。 「詐欺だ…!!」 真っ赤な顔をしたままサムは口を何回かパクパクをさせてから、かろうじて呟いた言葉をディーンは笑み一つで黙殺した。 やっぱり詐欺だ。というか、誰にも相談できない事をいいことにディーンの術中に嵌められているような気がする。いや、たぶん嵌められている。 「さて、ここでサミーちゃんに問題です。」 「…は?」 唐突に変わった話題にサムは目を丸くしてディーンを見た。が、ディーンの笑みは少しも変わっていない。 「欲しくて欲しくて仕方なかったものを手に入れました。その後はどうするでしょう?」 「どうする…って、満足する?」 「ぶー。残念。不正解です」 律儀に答えたサムに小さくディーンは人差し指を立てて、悪戯っぽく笑った。 ぎしり、ベットが鳴く。 あ、とサムが思った時には椅子に座っていたはずのディーンはサムの隣にいた。 ディーンの吐息がサムの耳にかかる。至近距離で囁かれる言葉はまるで麻薬のようにサムに響く。 「手に入れたものは、宝物になって――死ぬほど大切にするんだよ」 「…?――――!!!!」 言葉の意味を理解した瞬間、途端に早鐘を打ち始めた心臓が五月蝿い。最早、心臓が耳にあるのではないかと思わせるほどだ。顔が熱い。これなら外から見れば、顔も相当赤いに違いない。 おかしい。こんなはずではなかった。 サムの想像からすれば、ディーンがこんな風に変わるなど思ってもみなかった。 想いを通じ合わせた。 その事実だけでディーンがこんなに変わるとはサムは思ってもみなかった。2人の関係は兄弟でありながら、違う名称がついて、何かしらの変化があるとは思ってはいた、が。 こんな、これほど、柔らかい綿に包む様な行動で想いを告げ続けられるなんて、一体誰が想像し得るというのか。 これでは心臓がもたない。 「ディ…、」 「言っとくけど、俺のは筋金入りだ。今更、手に入れただけじゃ満足しないからな。覚悟しろ。」 トン、とディーンが指さすのはサムの心臓。そこを真っ直ぐ狙った指先はサムの意識まで根こそぎ貫くようだった。 「もっと口説いて口説いて、お前をどうしようもなくさせてやる」 うわ、うわうわうわ。 突然の狙い撃ち発言に前後不覚に陥ったサムは、次第にまとまりを欠けていく思考の中で“ディーンに惚れられた人間は大変だ”と自分の事を他人事のように考えていた。 |
(シグナルXXX)
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この2人はまだちゅーさえしてません(爆笑)