(表表紙デザインはこんな感じです)








>>真昼と子夜のアンサンブル

 ・音也の幸せをトキヤが本気で考えすぎたお話です。
 ・8割トキヤ視点で進みます。ひたすら音也の事を考えてます(身も蓋もない!)
 ・小説「真夜中の二重唱」を前編として、中編、後編を書き下ろして1冊の本に構成した形になります。
 ・本にするにあたって、真夜中の二重唱にも若干の加筆修正を加えています。
 ・デビューから10年後設定、作品の展開上ST☆RISHは6人構成ですのでご留意ください。
 ・トキヤ、音也共に女性とお付き合いのあった描写や関係を持った描写がありますのでお気を付けください。






【サイトにて掲載「真夜中の二重奏」の直後部分から、冒頭部分】



□真昼の二重奏


「じゃじゃーん!」
 長い廊下を抜けてドアを開けるとそこは音也であった。
 下手な出だしだな、とトキヤは己の思考に嘆息する。何気なく本棚から出してきたその作家の代表作をさっきまで読み直していたせいで、その文章が咄嗟に浮かんだものの、ノーベル文学賞を受賞した作家の文章を捩ったにしてはあまりにお粗末すぎる。しかしトキヤの嘆息は何もそれだけではない。そのため息の大部分は目の前でニコニコ笑っている存在に対してのものでもある。
「なんですか…」
 一応そうトキヤは聞いてはみたが、聞かずとも実の所それはポーズにしかすぎず、音也の来訪の意味もその笑顔の理由も分かっていた。トキヤの部屋の前で音也は雑誌を開いて実に嬉しそうに笑顔を浮かべている。何をそんなに喜んでいるのかと聞きたくなるほどだが、それも音也が開いているページが全ての答えを指し示していた。
「えへへへ。お邪魔しまーす」
「あ、ちょ、音也!勝手になんです!待ちなさい!…全く」
 飛び跳ねるように家主の承諾の言葉も聞かずに入って行く音也の背中に、トキヤが形だけの文句をかけるのは何時もの事だ。親しき仲にも礼儀あり、という日本文化の象徴のような言葉は音也の前では、親しき仲の遠慮は蹴飛ばせ、という言葉に変質する。
 リビングに鼻歌混じりに入っていく背中を一瞥してから、トキヤが特大のため息をついて乱雑に脱ぎ棄てられたスニーカーを律義に揃えるのも何時もの事だ。何も変わらない、音也との風景だ。実はその来訪をため息の度合い程嫌がっていない事も、むしろ歓迎してさえいるのだという事も。何も変わらない。
 それは十年で出来上がってしまったポーズなのだとトキヤは思う。変える事が難しい、二人の距離だとも。

 トキヤがリビングに入ると、音也は既にソファの上に座っていて、上機嫌でその雑誌を見ている。一か月半ほど前にトキヤがインタビューを受けた内容が掲載されている女性向けファッション誌だ。トキヤが昨日事務所に立ち寄った所、スタッフが言うには雑誌の売り上げは上々なようで、店頭から在庫が消えるスピードが格段に何時もより早いのだと言う。有難い事である。
 勿論音也に二十代の働く女性を対象にしたファッション誌を眺める趣味は無いため、見ているのはトキヤのインタビューが載っている巻頭部分だけだ。恐らく、否、むしろ間違いなく既に一度読んでいるであろうに、音也はトキヤの前で再びその文面を追っている。
 トキヤは小さくため息をついて、キッチンに入り、コーヒーメーカーのサーバーから黒々とした液体をカップに流し込む。トキヤ自身のものはブラックで、音也のカップにはプラスしてミルク、そしてこの前地方ロケに行った時に思わず買ってしまった有名な養蜂場の極上の蜂蜜を少しだけとろりと流し込む。
 料理用に使うにしては随分と高価なそれを思わず購入してしまったのは――トキヤが嗜好品として蜂蜜を使うのはカロリー管理の点で殆どない――この部屋で何度もコーヒーや紅茶を飲むのは音也しかいない以上、殆ど彼のためと言っても過言では無い。
 トキヤはそんな自分自身の感情の流れに対して、客は他にも来るから別に音也のためだけではない、と無駄な誤魔化しを続けてもいるのだが。

「随分嬉しそうですが、それはもう十日も前に出たものですよ。読むにしては随分遅いようですが」
 自分でも意地が悪い、と思いながらもそんな事を敢えて言ってみせながら、トキヤは音也の隣に腰掛け、片方のマグカップを音也に手渡す。音也はそれを両手で柔らかく包み込み、ふわりと口元を綻ばせてありがとう、と嬉しそうに言う。そうしてわざわざお礼を言ってから、やっとトキヤの言葉に口を尖らせた。
「えー、トキヤってば意地悪ー。俺が日本に居なかったって知ってるくせにー」
 勿論知っている。音也はここ十日ほどヨーロッパに行っていた。勿論仕事だ。
 音也はこの国の公共放送の欧米の世界遺産を紹介する集中番組のナビゲーターの仕事を受けたのだ。番組コンセプトが『旅の初心者が初めて世界遺産を訪れ、飾らない言葉でその魅力を伝える』というものだったため、イメージからして音也がぴったりだったらしい。実際の所、音也は仕事以外で海外に行ったことは無かったらしいし、勿論世界遺産など今まで行ったことは無かったらしいから、音也以上の適任者もいないだろう。

 そんな音也が日本に帰ってきたのは昨日の夜の事だ。
 長期間の旅行は仕事とは言え、音也にとって実り多いものだったらしく、海外からもネット回線を通して酷く満足そうなメールを寄越していたと思ったら「日本食が食べたいよー、カレー作って!」と空港からトキヤに連絡を寄越してきた。わざわざ電話で帰国後開口一番にこれを言ったのだから、流石の音也であっても長期間の海外食は堪えたらしい。
 カレーは日本食ではありません、と十日ぶりの会話の初めには些か不似合いな事をトキヤが言えば、「俺の日本での食事って言ったらトキヤのカレーなの」という言葉にトキヤは表情を変えずに動揺した事など音也は絶対に知らないだろう。確かにカレーの本場のインド人からすれば、日本人の嗜好に特化されたカレーなど、まさしく日本食であると言いたくはなるだろうが。
 流石に昨日はトキヤが夜まで仕事が詰まっていたためカレーは諦めさせ、今日ならば夕方には仕事が終わるからと、一日オフだった音也に夕方来訪するように告げ、カレーをふるまう約束をしたのだった。

 そうして昨日の夜、トキヤはカレーの大方の仕込みだけは済ませ、夕方に仕事を終えると真っ直ぐ自宅に戻り、カレーを仕上げた。それは手間をかけた分、トキヤ自身も納得のいく出来になり、今もキッチンで弱火で煮込まれているカレーは部屋中に良い匂いを振りまいている。
 時計を見ると午後六時。冬の夕暮れは早い。もっと遅い時間になっているかとも思ったが、そんな事も無かったようだ。
もう少し音也と会話をしてからの夕飯でいいだろうと、トキヤはコーヒーに口をつける。まだロケの感想もあまり聞いていないのだ。
 そんな事をトキヤが考えていると、音也は雑誌から目を離さす、こんな事を言い始めた。言い始めた、ではなく読み始めた。
「なになに…『私と音也は考え方やスタイル、何もかもが真逆なので、特にこういう個人の価値観が求められるような作詞をするときはテーマを決めます』うんうん、そうだよねー。『今はそれも含めて楽しんでいます』…ね、ね、トキヤ!楽しんでるの?ねぇねぇ?」
「そうインタビューに答えているんですから、そうじゃないですか?」
「ええー、俺はトキヤの口からききたいんだってばー」
 まったく、という言葉を零して、トキヤはこのインタビューを受けている時に考えていた音也が喜ぶだろう、という言葉そのままが現実になったと苦笑したい気持ちを抑えて考える。苦笑すれば音也は目ざとく気が付いてしまうから、あくまで考えるだけだ。
 音也の実力については荒削りだった早乙女学園の頃から認めていたつもりだったのに、改めてインタビューで答えただけで何が一体そんなにも嬉しいのか。トキヤは常々疑問に思っている。しかし面と向かってそういう言葉を音也に告げる事は無かったから、それも仕方ないのかもしれないとも考えながらも、トキヤは音也の不服を告げる言葉をさらりと受け流す。
「あ、トキヤの好みのタイプ!『優しく、責任感があって自分をしっかり持っている女性』まさしくトキヤって感じ。でもそう言えば、トキヤってデビューしてからずっとインタビューではこう答えてるよね?これってインタビュー用?マジ?どっち?あーでもトキヤは嘘つかないからマジだよねー」
「……そうですね」
 嘘をつかないから。
 そんな音也の言葉にちくりとした痛みが走るのをトキヤは気が付かない振りをする。痛みなど感じる資格はない。トキヤは知っている。
 トキヤが、音也のためと言う免罪符を以てつき続けているのは嘘に違いない。それは音也から見て許されるものでは無いだろうと知っているからだ。

 一通りインタビューについてあれやこれやとやりとり出来て満足したのか、音也が他のページをさして興味もなさそうにペラペラとめくる。時折、こういうの流行ってるんだねー、などと言いながら。
 そして最後のページまで進んだ時、黙っているだけだったトキヤは初めて視線を動かした。あるページが目に留まったからだ。
「来月号、インタビュー受けるんですか?」
 音也が開いた来月号の予告のページ。そこには『一十木音也スペシャルインタビュー』と書かれていた。
「うん、インタビューはもうとっくに受けたんだけどね。あれ?聞いてなかった?」
 俺言ってなかったっけ?という言葉にトキヤは首を振る。
 初耳だ。あのインタビュアーもトキヤにそんな事を一言も言っていなかった。まさかあのインタビュアーはトキヤが音也の回答を予見して受け答えを計算させないために敢えて言わなかったのではないだろうかとトキヤは考える。
 考えすぎかもしれないが、あのやり手の女性ならやりそうだ。音也もどうやらトキヤのインタビューが書店に出る前に受けたようだし、まとまっていたであろうトキヤのインタビューのゲラさえも見せて貰っていなかったらしいから、そういう意味で何かしらの作為があったのかもしれない。

 あのインタビューを受けた日をトキヤは思い出す。一か月半前、あの日はそう、音也からのメールを受けて、インタビューが終わりバーに行ったのだった。あれからもう一か月半も経った。あの夜から。
 あれから音也に恋人は出来てはいないようだった。仕事の合間にメールを返信する事も無いし、仕事を抜きにした仲間との飲み会にもよく顔を出している。何より、トキヤの部屋に遊びに来る頻度が多い。
 この一ケ月半はアルバムのプロモーションで慌ただしかったし、いざアルバムが発売されてみれば今年のアルバムセールスランキングの一位に躍り出て、それからは御礼参りと称した歌番組の仕事やテレビ番組へのゲストが急遽増えたのだ。その仕事が落ち着いたかと思うと、音也は慌ただしく海外へと旅立って行ったし、恋人を作っている暇など無かっただろう。
 でなければ、そもそも長期の海外ロケから帰ってきて、音也が真っ直ぐトキヤの所に飛び込んでくることなどありえない、とトキヤは思う。恋人がいればそっちに行くだろう。
 それが正しい友人であり親友の距離だ。トキヤは正しく理解している。

 音也は興味の無くなってしまった雑誌をローテーブルの上に置き、マグカップに口をつけている。美味しい、そんな風に呟いてほっと微笑む横顔が心底安心しているように見えて、トキヤの口角も知らずに上がる。
「ねートキヤ、俺お腹空いた!カレー食べたい!」
「喋りたい事だけ喋ったらすぐそれですか…」
「だってすごくいい匂いがしてるんだもん」
 すんすんと鼻をひくつかせる音也に行儀が悪いとトキヤが叱る。そんな事をしていると、ローテーブルの上に置かれたスマートフォンがヴヴッと小さく震えた。トキヤは自身のものの着信かと思ったが、ディスプレイに通知が入ったのは同じくローテーブルに置かれた音也のものだった。
 メールのようだ。覗き見をするつもりなど無かったが、光るディスプレイは否応なく目に入ってしまう。そこにあったのはトキヤの見知らぬ名前だった。女性の。
 画面を見て、あ、と音也が言う。きっとメールの返信をすぐさまするに違いないと思っていたトキヤだったが、しかし音也はそのスマートフォンを手に取ることはなかった。
「メールでしょう?いいんですか?」
「あー、うん、あとで」
 やけにその歯切れは悪い。トキヤはふむ、と考える。この前音也がトキヤにバーで泣きついてから一か月と半。
ああ、もしかしたら。
 手持ち無沙汰になって、トキヤがマグカップに口をつける。舌の上に乗るコーヒーの苦みが途端に強くなったような錯覚を起こして知らずに眉が寄る。
「…付き合っている人ではないんですか?」
「うーん、違う、かな」
 音也にしては酷く珍しく、その歯切れは悪いまま。トキヤは音也の次の言葉を待ったが、続きは無い。トキヤは次の言葉を待つのをやめて、空になった音也のマグカップとまだ少しコーヒーが残っていたトキヤ自身のカップ二つを持って腰を浮かせた。
 暴かれたくないものを暴かれるのは苦痛を伴う。トキヤはHAYATOの経験からそれを知っていたし、音也は今までトキヤから何かを暴こうとしたことは無かった。それがトキヤにとってどれだけ有難かったことか。
 だからトキヤからも音也の何かを暴こうとは思わない。それは二人が十年の間で作った親友のラインだからだ。
「じゃあ夕飯にしましょうか」
 トキヤがそう言うと、音也は一瞬だけあからさまに安心した表情を浮かべた。その表情に自分自身が音也に踏み込む資格はないのだと突き付けられたと思う気持ちをトキヤは強引に殺す。そもそも『親友』には踏み込む資格はない。これで正しいと思わねばならない。
「あ、トキヤ!」
 腰を浮かせたトキヤに音也が慌てた様に声をかける。トキヤが振り返ると、トキヤの手の中にある、音也がさっきまで飲んでいた空のマグカップを指さしながら音也が言う。
「ありがとう。蜂蜜入れてくれたんだよね?とっても美味しかった」

 この男はタチが悪い。そんな風に感じるのはこんな時だ。
 音也はこうして気が付いてしまうのだ。トキヤが蜂蜜を忍ばせていた事に。そうしてその奥にある、普段トキヤが蜂蜜を使ったりしないのに、わざわざ購入して部屋に置いている意味までも。
 音也は愚鈍ではない、ましてや鈍感でもない。音也のそれは見せかけの繭のようなものだ。やわらかい繭。中身は視えそうで視えない。その本質は何人も容易く触れられるようなものではない。音也の普段の様子が誤解を与えやすい分、それは誰より何よりずっとタチが悪い。

 しかし聡い音也は勘違いをしている。音也はそんなトキヤの行動を優しいと結論付けている。そして折に触れてトキヤは優しいと何のてらいもなく言う。
 他人全員に万遍なく同じ優しさを与える人間が居るとしたら会ってみたいとトキヤは思う。そんな人間などいるはずがない。人は優しさの天秤を持っていて、その傾きの振れ幅が殊更大きいかそうでないかが、ほんの少し他人に見え隠れするだけなのだ。
 だから音也は気が付かない。トキヤは優しいと言うその言葉全てを裏付けてきたトキヤの行動全てが、そのままトキヤの音也への気持ちの現れだと。
 音也はそれをずっと、そのトキヤの行動全てを、親友であり友人の優しさだと勘違いをしたままだ。






【本文に続く】