ふとした空気の揺らぎに何かの気配を感じ取ったディーンは顔を上げた。
時は既に夜。閉館時刻を疾うに過ぎた図書館には当然人が居る筈もなく、非常灯の明かり以外は何も無い薄暗闇だ。そんな場所に不意に感じた自分以外の気配。ディーンは閉架書庫の中からじっとドアの方を見遣る。薄いドア1枚隔てて存在し、そして入ってくるのは何なのか。その来訪者の正体をじっと探るように。



ディーンは女からある程度図書館に出る幽霊の話を聞いた後、アパートには戻らずにそのまま大学の図書館に足を運んだ。名残惜しそうにしている女の様子には気が付いていたが、それはディーンの知ったことではない。ディーンの中で最初からその女は飲むだけの遊びのつもりだったし、一人の相手に縛られるつもりも無い。何よりその時既にディーンの頭の中は既に図書館の幽霊の事で占められていたからだ。

ディーンが聞いた図書館の幽霊話はこうだ。
図書館に若い女の霊が出る。時間は決まって夜。他に誰もいなくなった閉館間近の閉架書庫の中に恐ろしい顔をして立っている――。
まとめてしまえばたったこれだけの話だが、ディーンに何かあると思わせるには十分だった。それに加えて、この女の霊を見た人間には本が落ちてきたり、気の毒な奴だと本棚が倒れて怪我をするという厄災にも見舞われている。こうなってくるといよいよディーンは疑いを確証に変えた。

図書館には何かいる、のだ。

唇にグロスをたっぷりとつけた女は“面白い噂話でしょ。幽霊なんて”と綺麗に微笑んで見せたが、ディーンには幽霊なんて、という概念はない。普通の人間なら娯楽の類になる都市伝説や実在しない幽霊とやらの常識はディーンには決して通用しないのだ。闇には人ならざるものが存在し、虎視眈々と人の領域に現れてその命を脅かす。ディーンはその闇の世界をよく知っていた。
それが誰よりも大学生らしく羨まれるような過ごし方をしている少し普通ではないが、それでも一般人として通用しているディーンと、他の一般人であり普通の学生との決定的な差だった。



「……」
果たしてドアを一枚隔てて存在しているのは何か。相手には恐らくディーンの存在はバレているだろう。先まで派手に本やらを引っ掻き回していたから此処に居るとふれ回っていたようなものだ。出てくるのは閉架書庫の幽霊だけなのだから、こんな閉館後の図書館に他に誰もいるはずがないと高を括っていたのが仇となったらしい。まさか外から何かの気配を感じるとは。
ディーンはこの図書館に針金一本で侵入してみせている。大学図書館の施錠の仕組みなど容易いものだ。何を考えなくとも無意識に鍵穴に差し込んだ針金を動かせば鍵は開けられる。ピッキングで侵入した以上、ディーン以外の人間がいるはずがない。となるとドアの外には人ではではない何かの可能性が高い。
ディーンは静かにポケットに忍び込ませてあった銃を手に取った。実弾ではなく、塩の弾が装填してあるのを確認して安全装置を外す。

――来い。

内心だけで呟いて、ディーンはドアノブをじっと見つめる。少しドアノブが動いたのはドアの向こう側の存在がドアノブを握った証拠。ディーンは息を殺してじっと待つ。こういう場合にはどうするか、どうするべきか、ディーンはそれを今まで間違えたことはない。独りで霊に対峙する時には少しの油断もするな、そんな教えがディーンの身体には染み付いている。
次の瞬間、ドアが派手な音と共に開かれ、光がディーンの目を刺激した。目が眩んだのは一瞬だけで、それがペンライトの明りだとすぐに気が付いた。いや、待て。瞬時にディーンは思い直す。
――幽霊やら化け物はペンライトを持たない。

「「誰だ!」」
互いに叫んだ言葉が同じもので、それだけでもう決定打だった。相手は人間だ。間違いない。よく考えてみれば直ぐ分かる。そもそも幽霊やら化け物はドアノブを回してドアを開けたりしない。そんな基本を忘れていた自分にディーンは内心で舌打ちした。
ならば何だ。ディーンは次に警備員の類かと考えた。しかし警備員がペンライトとは些か心許無い。
ディーンは光から視線を逸らせながら相手の姿を探る。そしてシルエットの構えがディーンと同じく銃を持っているときのそれと同じだという事に気がついた。ならば強盗か。何にしろ厄介であることには変わりない。

マズイな、どう誤魔化すか。そんな事をディーンがひたすらに考えていると、相手の男―背から考えてどう見ても男だ―が口を開いた。
「……EMF?」
その相手の言葉にディーンは驚いた。確かにディーンは銃を持っている右手とは反対の左手にEMFを持っている。この場所に霊を調べるために持ってきたのだ。だがEMFの名称を普通の人間が知っているはずがない。知っているとするならば一般人ではない。同業者、だ。

ディーンは小さく息をついて警戒心を緩めた。そして同じように目の前の男も警戒心を緩めたのが空気で伝わってくる。
書庫は酷く暗い。不意に互いが見つめあったが、相手の顔まではよくは見えない。だが相手も声の調子でディーンと同じくらいの年なのは間違いないだろう。もしかしなくともこの大学の生徒ではないだろうかとディーンは思う。
そしてそれよりも確かな事が一つある。そして目の前の男もディーンと同じ事を考えているはずだ。
「…お前もハンターか?」
ディーンの問いかけに目の前の男は完全に警戒を消して、肩の力を抜いたようだった。聞こえてくるのは小さく息を吐く音で、ディーンは自分の言葉が間違いではなかった事を知る。間違いない、相手も同業者なのだ。
ディーンも同じように力を抜いて、目の前の相手の顔が見える所まで近寄ろうとしたその時だった。

不意に部屋の温度が下がり、唇から吐いた息が白くなった。

「………!」
その変化に驚くと同時にEMFが独特の音を響かせる。気温の低下、EMFの反応。ディーンと同じく、目の前の男もそのセオリーな変化に素早く周囲を確認するように周囲に視線を巡らせる。そして直ぐに二人は同時に視線を同じ方向で止めた。
振り返った二人の視線のその先。佇む影が部屋の隅にあった。
だがその闇にぼんやりと浮かぶ影――それははっきりと分かる姿になっていたが――を見て、ディーンは小さく呟いていた。
「……おい、ちょっと待て。話が違うぞ」
「…僕もだ」
直ぐ隣まで移動してきた男もディーンの言葉に同調する。少しだけ見えたその姿はやはり若い。それだけを確認してディーンは視線を人ならざるものに戻す。

二人の目の前に佇んでいたのは霊だ。それは間違いない。ただし噂に聞いていた若い女の霊ではなかった。若い男、だった。
しかも手に何故か斧を持っているというオプション付きで。

ディーンがまずい、と思ったのは一瞬で、次の瞬間にはそれすらも考える余裕は無くなっていた。男が斧を振りかぶりながら突進してくる。歯を剥き出しにしたその姿に常人ならば悲鳴を上げそうな光景にあっても、二人は冷静だった。すぐさま同時に銃を構え、躊躇わずに引き金を引けば男は塩の銃弾を浴びてふっとその姿が霧の様に掻き消える。
だがこれはその場しのぎの対処でしかない。追い払った程度で根本の解決にはなっていない。二人はそれをよく分かっていた。
「出るぞ!」
そう相手の男に告げてディーンは隣の男の肩に触れてドアに促す。
これ以上は対処できないのならば、この場を離れるべきだ。そう判断したディーンと、そしてもう一人の男もディーンと同じ判断を下し、二人は同時にすぐさま踵を返した。


***


図書館を出た二人は図書館の前で立ち止まり、同時に周辺地域でも随一の蔵書量を誇る図書館の重厚な建屋を見つめる。
「クソ、参ったな…」
「ああ」
幽霊が、ではない。初めて会った二人ではあったが、互いにそれなりに場慣れしていることは先の短い時間で把握している。二人が参ったのは噂どおりでなかった霊の正体の事だ。互いに互いがどんな情報を掴んでいるのかはお互いに知らない。それでも互いが男の霊であった事に意外性を見出していたのだから、その共通認識は疑わなくても良いのだろう。

そこでディーンは初めて目の前の男をじっくり見た。何で出会いがあの場だ。ゆっくり相手を見る時間など無かったのだ。
夜とはいえ、外灯に照らされた姿は図書館の中よりもずっとよく見える。
男の背は高い。が、その姿は青年と幼さの色が混在して不思議な雰囲気を纏っている。第一印象は穏やかそうな男。しかし瞳の奥に光る理性的な色が印象的だ。ディーンと同じ年か、もしかしたら自分よりも若く見えさえする。

ざっと見つめながらそんな事を考えているディーンの視線に気が付いたのか、男がディーンをじっと見つめ返した。その真っ直ぐな瞳の中に自分の顔が映っているのを見て、思わず無意識に息を詰めたのは何だったのか、ディーンにはよく分からなかった。
しかしそんなディーンの動揺は相手には露ほども伝わる事は無く、そしてディーンの不躾な視線にも気分を害した様子も無く、目の前の男は少し笑って手を差し出した。
「サムだ」
そう言われてディーンはまだ自己紹介もしていなかった事に今更ながらに気が付いた。サム、サムという名前か、と心の中で反芻して、ディーンも慌てて手を差し出した。全く自分らしくない、と思いながら。
「ディーンだ」
奇異な出会いを握手で歓迎しながら、そこでディーンはある事を思い出した。
「…“サム”?もしかして法学の?」
「そうだけど?」
ことり、と首を傾げる幼い仕草が不思議と似合う男を見て、ディーンはサムという男の噂話と、そこから抱いていたイメージとの齟齬を修正しなければならなかった。

法学に秀才がいる。ロースクールで高得点を叩き出した男で品行方正で人当たりはいいが根は真面目で、遊んでいる所を見たことがない。名前はサム。――そんな噂話だ。

ディーンはそんな話から、随分つまらない学生生活を送っている奴がいるものだと思ったものだ。
一緒に遊ぶ女からたまに出るサムという名は大抵ディーンとカッコいいという点で比較されるものの、その性格との違いで“サムはカッコいいけど知的で固いの。ディーンとは性格が逆ね”などど冗談交じりに言われたりしたものだ。
だからサムという男は、お固く、机に齧りついて分厚い法律書を読み漁っている根暗な男なのだろう。顔がイイってだけで比較されるこっちの気にもなってみろ――そんな具合だった。
だが本人を目の前にしてそれが間違いだった事をディーンは知った。少なくとも根暗ではない。何だかいい奴のような気さえする。これは俺が悪い。
ディーンは内心で滅多に呟かない謝罪の言葉を紡ぐ。人の噂は大概当てにならないことなど百も承知だったが、何故だが急に申し訳なくなったのだ。

「何?僕の変な噂でも流れてるの?」
「いや、いい噂だ。気にするな」
それをイメージの世界で曲解したのはディーンだ。
「そう?」
「しかしハンターだったとはな。こんな所で同業者に会えるとは思わなかった」
「僕も。驚いた」
苦笑交じりに呟く姿からは、命を懸けて狩りに挑む人間とは到底思えないが、ディーンの見た書庫での姿は確かにハンターだった。

ただの人間がハンターになるなどそうは無い。何かしらの闇との因縁が無ければハンターにはならないものだ。恐らくハンターとは無縁に見えるサムという男にも込み入った事情があるのだろう。ディーンはそう思ったが、まだ早すぎると相手の込み入った事情にまで踏み入るような真似はやめておいた。

「これからどうする?…って聞くのも愚問か」
聞かずともサムという男の答えは何となくディーンには想像が出来た。知り合ってまだ数時間しか経っていないが。
ディーンの問いかけにサムは小さく頷いてみせる。そして続いた“これからもっと被害者が出るのだけは避けないと”という言葉。

ディーンにはそれだけで十分だった。









共通点のない二人の共通点とか




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