目が覚めたとき、広がっていたのは病院の天井だった。

「…は?」
この稀有な状況に驚くほど早く覚醒した頭が状況を理解したのは賞賛に値する。が、にもかかわらず、次に彼の唇から漏れてきたのは状況を全く理解出来ていないことを示す、気の抜けた言葉だった。

…ちょっと待て。病院に来た覚えなんてこれっぽっちも無いぞ。

「そりゃ病院に来た覚えなんて無いだろうな。おい、大丈夫か?」
いきなり響いてきた声にディーンは心底驚いた。声の主は見慣れた人物。
どうやら内心で呟いたつもりのディーンの声は実際に音になって出ていたらしい。何だ、エスパーでも現れたかと思った。驚かせるなよ。
「ボビー?何だこれ、どうなってる?サムは?」
「おい、ディーン。親に対して呼び捨てで呼ぶな。父さんと呼べ」
見慣れた顔が出てきて安心したと思ったらこの仕打ち。今度こそ本当にディーンは思考を停止した。

「……はあぁあぁ?」

今までディーンが生きてきた長くは無い人生の中で1,2を争うほどの気の抜けた言葉が病室に木霊したのは言うまでも無い。



Parallel lines



「ちょっと待ってくれ、どうしてこうなってる?」
ああ、頭が痛い。何故か後頭部も痛むが気のせいだ。…たぶん。まぁ今は頭痛なんてどうでもいい。一体どうなってる、この意味不明な展開は。
「忘れたのか?周囲も確認せずに、のこのこ道を渡ったら自転車に轢かれて失神したんだぞ。あれは見物だった」
「げ、だっせぇ。だから後頭部が痛いのか。…じゃなくて!何の冗談だ?」
「俺にはディーンの方が冗談を言っているように聞こえるんだが」
ああ、そうかよ。俺にはボビーが親父ということも冗談だし、自分が自転車に間抜けに轢かれてしたたかに後頭部を打ち付けたと言う事も冗談にしか思えないんだけどな。
「何でボビーがいきなり親になってんだ。俺の親父はジョン・ウィンチェスターだろう?だからサムは何処に居る?」
「ジョン?そりゃ誰だ?しかもサムって誰だ?友達か?」
――マジかよ。
その心底不思議そうな顔と声色にディーンは悟らざるを得なかった。そうだ。元々ボビーという男は軽々しく冗談を口に出来るような男ではない。
「…本気で言ってるのか?」
「その言葉をそのままそっくり返す」
いや、返されてもこっちが困る。かなり困る。


「なぁ、ボビー。このありえない状況…これって…夢だろ?」



そこで目が覚めた。
天井は病院の真っ白なそれではなく、少し色褪せた壁紙の貼り付けてあるそれは確かにモーテルのものだ。
「……だから夢だって言ったんだ」
ああ、だとか、うー、だとか、ちくしょう、という独り言を呟きながら、ディーンが体を起こすと、少し離れたところから聞きなれすぎた声が聞こえた。
「起きた?」
視線を向ければ、PCから顔を上げた弟の柔らかな苦笑。

――そうだ、これが現実だ。

一気に力が抜けてディーンは持ち上げかけた上体を再び勢い良くベットに沈めさせた。モーテルの安いベットの割にはスプリングがきいていて、ディーンは脱力して全体重をベットに任せる。
「ああ、くそ、」
「夢見悪かったの?寝てるのに喧嘩売ってるような面白い顔してたよ」
「面白い顔って何だ。というか起こせ」
ディーンがじろりと睨みを聞かせても、寝ている間の兄の様子はサムにとって余程興味深かったのか、少しだけ楽しそうな表情は変わらない。
「どんな夢だったの?」
「自転車に轢かれて気絶して、病院で起きたらボビーに小言を言われた」
多少語弊はあるかもしれないが、大体合っているだろう。どうせ夢だ。
「ぷっ…何それ」
「だろ?」
しぶしぶというポーズで話し始めたのにも関わらず、サムの他意の無い笑顔でディーンの機嫌もぐっと上昇した。

――そうだ、これが正しい。
サムが居て、こんな生活でもきちんと呼吸をしていて、そして世界は回る。
――これが、正しいんだ。




…だと思ったらまたコレだ。
「ああ、クソ。勘弁してくれ。何だこの夢」
ディーンは忌々しく携帯電話を閉じた。周囲に広がるのは例の病室。同じ夢、正確に言うなら同じ設定の夢の続きをまた見ている。

全く持って聞けば聞くほどおかしい夢だ。

目が覚めてみればまた病室。夢と分かりながら夢を見ているという事ほど面白味に欠けるものは無い。ディーンは殊更大きなため息をついて、半ば諦めの境地に至りながら、ボビー(父親という設定をディーンは大人しく受け入れることにした。所詮夢だ。)にこの夢の詳しい事情を聞いてみた。

どうやらこの夢の中のディーンは大学生、らしい。同世代の学生よろしく、キャンパスライフを謳歌しているのだという。サムのような真面目一辺倒な学生というわけではなく、当然ハンターでもない、ごくごく普通の大学生。
そんなわけあるかと鼻で笑おうとしたら、何故かその大学生である自分の記憶があったということが、ディーンを益々混乱させた。夢の中なのだから何でもアリなのかもしれないが。

となると疑ってかかるのがハンターとしての性というもので。
もしかしたらサムも同じようにこの夢の中にいるのではないか、このしつこい夢は何かしら自分達の仕事に関わりあるのではないだろうかとディーンは考えた。思い立ったら直ぐ実行。思いつく限りの携帯電話の番号、社会保障番号、偽名、でもってサムに繋がる欠片を探したがこの夢の中ではその痕跡さえなかった。
――この世界にサムが居ない。
それはぼんやりと、確実にディーンを消沈させるのには十分だった。

やはり夢か。だいたい2回同じ夢を見たぐらいでゴタゴタ騒ぎすぎなんだよ。夢なのにアホらしい。
と、ディーンは何故か少しだけ捻くれた気分を引き摺りながら病院の白い廊下を歩いていた。後は夢から醒めるのを待つだけだ。そう思いながら、ふと意味も無く見た病室にディーンの目は釘づけになった。

「…サム?」

いっそ毒々しいまでの白い壁に囲まれた一室で、静かに目を閉じていたのは見紛う事なき、弟の姿。
「サム!」
ディーンは慌ててその病室に駆け込んだ。夢だとかそういう言葉は瞬時にディーンの意識から押し出された。目の前の存在、それしか視界に、そして意識に入らない。
「おい、サム!!サム!」
―――起きろ。何で寝てる。
目の前の存在は固く瞳を閉じたまま。その瞳がディーンを映す事もなければ、その耳がディーンの叫びを聞き入れることも無い。
半ば思考が停止しかけたディーンの目に廊下を歩くナースが目に入る。気が付いた時にはディーンは怒鳴るように問いかけていた。
「おい!この患者は?」
「ずっと昏睡状態の患者さんですが?」
「昏、睡…?」
「ええ」
突然の問いかけに驚いたのか、入院患者が他の入院患者について聞きだしていることに不信感を募らせたのか―その両方だろう―ナースの表情には静かな警戒の色が浮かんでいる。
しかしディーンも構ってはいられなかった。
「どのくらい?」
「もう5年にはなるかしら」
「この患者の名前は?」
「******ですよ」
「サム、サム・ウィンチェスターじゃないのか」
「ええ、違いますよ」

――違う。
違うのか。
そうだ、夢なのだから、何でも起こりえる。そうだ、何も驚く事も、狼狽する必要も無い。夢、なのだから。

いや、違う。
違うんだ。
そうだ。違うのは名前ではなくて。
ああ、違う、違うのはこの世界で。これは夢で。だから間違っているのは、この世界で。

だから、だから、

「待ってくれ、コイツは俺の弟なんだ。だから、」
「弟さん?この患者さんには身内はいませんよ?」

――この患者さんは天涯孤独なんです。


ちくしょう。
何て、ユメ、だ。




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