「…あれ?」 うららかな日曜の午後。 図書館でレポートに必要な本を入手したサムが下宿先へと戻る最中、ふと視線に入ったものに足を止めた。 大学の周囲は日曜となれば人気が格段に減る。たまに学生らしき姿が目にはいるが、学園都市の閑静な町並みには珍しいほど人気が無かった。だからこそ余計に目立ったのだろう。 子供、が立っている。 正確にはリュックサックを背負った年の頃は10ほどの女の子が立っている。手に持っている物が地図に見えるのはサムの気のせいではないだろう。 サムは周囲に視線を巡らせ、周囲を観察した。保護者らしき人間の姿はない。その少女が誰かを待っているようにも見えない。むしろ道を捜しているようにも見える。 これは危ない、のではないだろうか。サムは静かに考える。伊達に法学部の首席を張っているわけではない。ここは犯罪大国アメリカだ。誘拐率も並大抵のものではない。そんな所に子供が一人。場合によっては州法違反だ。 「どうしたの?」 危ない、そう思った時にはサムは少女に声をかけていた。 「………」 けれど帰ってきたのは沈黙。少女はサムに一瞥をくれて、視線を手元の地図に落とした。眼中に無い、とでも言いたげな仕草にサムは小さく首をかしげた。 「あの?」 「知らない人とは口を聞かないようにしています。危ないので」 その言葉にサムは思わず苦笑した。随分利発そうな子供で、しっかりした発言にも思えるが、既に危ない一人歩きをしてる所を敢えて無視している都合の良さと、その矛盾さが逆に子供らしいと思ったからだ。彼の兄あたりが聞けば“可愛くないガキだな”とでも言ったかもしれなかったが、生憎サムにはそういう感覚は湧いてこなかった。 「そっか。なら僕が危ない人だといけないから、警察の人を呼ぼうか?きっと君の手助けをしてくれる」 「警察はあてになりません」 「君は迷子?」 「迷子ではありません。目的地は明確ですが、そこにたどり着く道を今、模索している最中です。なので私は迷子ではありません」 気が張っているのか、自尊心が強いのか。サムは苦笑を押し殺しながら、そっと屈んで少女と目線の高さを合わせた。少女の自尊心を傷つけないように、気遣いながら優しく笑う。 「そっか。探している道は見つかった?」 「まだです。もうじき見つかります」 「じゃあ、僕が君の目的地にたどり着く手伝いをするっていうのはどう?」 返ってきたのは言葉の代わりに訝しげな視線。 「もし君が僕を信用できないならそれでいい。けれど警察には連絡させてもらうよ。一人では危ないからね」 本当はこのまま警察に任せる方が一番良い選択だろうとサムは分かっていた。厄介事に巻き込まれることはサムが最も恐れていることだ。もしも万が一、家族にでも知られでもしたら、今のサムの進んでいる人生を歓迎しない思いのままに、“それ見たことか”、“だから言っただろ”と言われるのは目に見えている。それはサムが最も嫌遠したい事だった。 しかしサムは、少女に敢えて選択肢を残してみせた。何故か放っておけなかったからだ。 「………」 少女が僅かに考える仕草を見せた。サムの提案は少女の利発な頭脳に対して有益なものだっただろうし、サムはそれを分かっていて言った。迷子の道案内くらいならさほど問題はない。 「どうする?」 「身分証を見せてください」 「はい」 何処までも警戒心が強そうな少女にサムは少しだけ笑って大学の学生証を手渡す。 「スタンフォード大学、賢いんですね。名前は・・・」 「サム・ウィンチェスターだ。君の名前は?」 「クロスです。クロス・ブランチ」 こうして日曜のうららかな午後。サムは迷子と行動を共にすることになった。 少女がサムに手渡した地図には目的地とおぼしき場所に赤い印がつけてあった。幸いこの場所からそう離れてはいない。10分もあればたどり着ける場所だった。 「君は何処から来たの?」 「隣町です。あなたはこの辺りに詳しいんですか?」 「ん?まぁ大学になってきたから此処に越してきたから此処で育った人には敵わないかもしれないけど、人並みには詳しいよ」 「出身はどこなんですか?」 「カンザス。けど一歳にもならない内に引っ越したから、ほとんど覚えてないけどね」 むしろ出身地の意識も希薄なら、育った場所の印象も希薄だ。同じ地に一ヶ月以上過ごした記憶の無いサムには定住の意識も故郷への愛着も無かった。 「で、君は何処に行こうとしていたの?」 サムは歩きながらさりげなく聞くと、少女は少しだけ眉をしかめた。 「その地図に印がしてあるじゃないですか」 「住所じゃなくて、ここに何があるのか教えて欲しいんだ」 少女は一瞬だけ黙った後、ぽつりと告げた。 「母の家です」 「お母さんの?」 「はい」 「誰か迎えに来てくれるとか、そういうのは無かったの?」 一人ではあまりにも危険すぎる、そういう意味も込めてサムがやんわり告げると、少女は意に介した様子もなくさらりと告げた。 「びっくりさせようかと思いまして。サプライズです」 「次からはお母さんに迎えにきてもらうか、誰かに送ってもらわないと危ないよ」 「父とケンカをしたんです。今となっては些細なものですが、それで黙って飛び出してきてしまいました」 「なるほど。僕もケンカはよくするから気持ちは分かるよ」 「ケンカするようには見えませんけど」 「そう見える?」 「何処からどう見ても」 あっさりと断言された言葉にサムは思わず苦笑した。昔から何故か自分はそう見られがちだ。兄との対比で見られているのかとも思ったが、兄を知らない少女にもそう言われてしまうのならば、兄との比較ではなく、それは自分自身に原因があるのかもしれない、とサムは僅かに落胆した。 「まぁケンカは父と…兄としかしないかな」 「お兄さんがいるんですか?」 「まぁね。…なかなか意見が合わない」 ふとよぎるのは最後に見た少し怒ったような顔。いつでもサムを守ろうとし、父に従順な兄とは今ではもう、道を別かってしまった。連絡はとっていない。とれないし、とらない。 「お母さんは?」 「僕が小さいときに事故で。写真でしか顔は知らない」 そう考えるとサムにとっての家族や帰る場所は無いに等しい。存在がそもそも薄いのだ。言い換えれば、拠り所が霞んでいるのかもしれない。 けれどその生き方を選んだのはサムだ。 サムは静かに空を見上げた。雲ひとつ無い快晴だった。 「いい天気だね」 「世界平和を祈りたくなりますね」 まるで祈っていない皮肉めいた少女の言葉にサムは空を見上げたまま笑った。何故か酷くその言葉がこの少女らしいと思えたからだ。 「父と母は離婚調停中なんです」 不意に独り言のようにぽつりと少女が呟いた。まるで世間話をしているような重みを感じさせない言葉だったが、逆にそれが酷く重みのある言葉にサムには聞こえた。 「……うん」 サムは一言だけ、そう返事をした。ある程度サムが予想していた答えを自ら告げた少女に敢えて視線は向けず、ただ彼女の母親がいるであろう家を目指す歩みは止めない。 「私は父と母、どちらを選んでもいいと言われています。今は父の所にとりあえず住んでいますが、」 「迷ってるんだね」 「はい。そうしたらとうとう道にまで迷ってしまいました」 「迷っていいんじゃないかな?」 「え?」 「迷うのは君がご両親を愛している証拠で、ご両親が君に選択を委ねたのは君を愛しているからだ」 自由を与えるのも愛だ。 選択を委ねるのは信頼している証拠。 サムには与えられることの無かった親の決断はサムには酷く眩しく思えた。 この年で与えられた選択は幼い少女には酷かもしれない。否、間違いなく酷く苦しいものだろう。けれど彼女が悩んだ経験は彼女の人生を邪魔しないはずだ。 それだけの愛を選択という手段に乗せて少女は両親から受け取っている。 「…そういう意見は初めて聞きました」 「説得力なかったかな?」 「いいえ、参考にさせてもらいます」 「良かった」 頷いた少女の心にサムの言葉は何か響く所があった様だ。それに満足して、サムは笑う。 そうしてふと、違和感に気がついた。 「あれ?」 「どうかしましたか?」 「――、同じ場所に、」 戻っている、ような気がする。 さっき見た景色に近い。同じ所に戻ったのだろうか。不審に思ってサムは記憶を手繰り寄せるが、道を間違ったような記憶はない。 少なくともサムは方向音痴ではない。むしろ地図を読みとる能力や空間把握能力に長けているという自負はある。それは生まれ持った能力ではなく、後天的に叩き込まれた能力でもあった。ハンターとして、座標から場所を把握することも出来る。それはサムが望んだものではないが、皮肉ながら日常生活で困ったことはなかった。 迷った理由が分からず、サムが再び地図を見直そうとした所だった。不意に背中を叩かれ、サムは反射的に振り返った。 「やっぱりサムだった」 「ジェシカ?」 いたずらっぽく笑っている人物は最近知り合った同じ大学の友人だった。美しいながらも聡明な彼女は不思議とサムとウマが合い、今では仲のいい友人の一人だ。 「偶然だね。今日は?」 「バイトの帰りよ」 「ああ、家庭教師の」 「サムは今日はどうしたの?待って…当ててあげる。図書館でレポートの文献を捜してた」 寸分違わぬ指摘にサムは苦笑をしながら両手を挙げることで無言の肯定を返した。そのサムの行動に満足したのか、ジェシカは楽しそうに目を細めた。 「真面目ね」 「そうでもないよ」 「この後の予定は?」 「ああ、ちょっと用事があって」 サムは足元を見遣って目線で少女を示す。対して少女は初めて見るジェシカに警戒しているのか、無言で会釈をしただけだった。 「そうなの」 「あ、ジェシカ、この辺り詳しい?」 「まぁそれなりには」 「ちょっと道を聞きたいんだけど」 道だけはどうにも自分でどうにかすることは出来ない。サムは最前の策をとることに決めて、素直に目の前の相手に教えを請うた。 「ああ、これだったら、このメインストリートを進んで右に曲がればすぐよ。道が新しいからすぐ分かると思うわ」 「ありがとう」 「じゃあ月曜に」 手を挙げたジェシカにサムも同じように手を挙げてその場を後にする。すぐに隣に立った少女が意味ありげにサムを見上げた。 「彼女ですか?」 「違うよ。友達」 良い女性だと思うが、人並みの幸福というものをサムはよく分からない。ぼんやりとした想像と憧れだけだ。 そういう意味でサムもまた、迷っているのかもしれなかった。 「こっちだ」 教えてもらった通りに進んで、路地を曲がった所で不意にサムは立ち止まった。 「――――?」 「どうかしました?」 「いや、」 どうもしない、とはサムには言えなかった。 この景色は見たことがある。此処はさっき通った道ではなかっただろうか? そんなまさか、とサムはそのまま歩みを進める。元々10分も離れていない場所に行くだけのことだったのだ。念のために道も聞いたのだから、すぐに着くだろう。 そう思い直したサムの期待は数分後に打ち砕かれることになる。 「……そんな、」 「戻ってきてしまいましたね」 隣に立つ少女が微塵の同様も滲ませずに呟いた。 文字通り、戻ってきてしまった。先にサムがジェシカと会った場所に。 いくら何でもおかしい。学園都市で入り組んだ道が多いとはいえ、いくら何でも同じ場所に戻ってくるのはおかしすぎる。ひんやりとした予感がサムの脳内を巡る。この予感を何度かサムは経験したことがある。 ――それは狩りの時に感じる予感。 過去の感覚に呼び戻されかけたサムを今に呼び戻したのはけたたましく鳴る携帯電話だった。少し慌ててポケットから取り出した携帯のディスプレイに見慣れた名前を見つけて、サムはすぐに通話ボタンを押した。 『サム?』 「ジェシカ?」 『もう着いた頃かなって思って』 「実はそれが、」 『まさかまだ着いてないの?』 「そのまさか」 面倒見の良いジェシカの驚いたような声にサムはもう苦笑するしかなかった。 『今、何処にいるの?』 「さっき君と会った所」 『サムって方向音痴なの?』 「そういう自覚は今まで一度もないんだけど。ごめん、もう一度道を教えてくれない?」 素直に聞きなおした道案内はサムが辿った道とやはり寸分違った所は無かった。奇妙な事態に巻き込まれたとは言えずに、サムは素直にジェシカの言葉を聞いておく。 『ところでその場所に何があるの?』 「迷子の子の家なんだ。女の子の」 『迷子?』 不思議そうに聞き直す声に、サムもまた不思議さを滲ませた声色が漏れる。 「…?ジェシカもさっき見ただろ?僕と一緒にいた…」 女の子、と言おうとして、ジェシカが発した次の言葉にサムは息を飲んだ。 『サム、ずっと一人だったでしょ?』 |